いじめに勝つことと軍事力を持つこと1 - 住宅設計・構造設計 - 専門家プロファイル

敷浪 一哉
有限会社シキナミカズヤ建築研究所 
建築家

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対象:住宅設計・構造

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いじめに勝つことと軍事力を持つこと1

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社会にパンチ!
田母神さんの論文以降、再び自衛隊の存在についての議論が活発ですね。
その中で、平和を維持するために我々は何をするのか ということが必ず問題になってます。

僕も今まではなーんにも考えずに、軍隊が無い方が、憲法9条があるから、核三原則があるから、日本は平和なんであって、戦争がなくて、世界に誇れるんだ なんて思ってました。

ただ、最近気が付いたのは、「あ、なんだ。僕ら日本は金を使ってなんとか防いでるだけなんだ」ということ。
ようは、アホのボンボンは自分がいじめられないように周りの強い人たちに金を渡して、それで守ってもらってるというのとまったく同じことなんだと。

ということは、金の切れ目は縁の切れ目 ということになっちゃいますよね。

これは自分を自分で守ろうということとはまったく違うことで、なんだか恥ずかしいというか、全然うれしくないです。

国同士の関係をクラスメートに置き換えると非常にわかりやすいと思いますが、
学校でいじめられないためにどうすればいいのか。
もちろん暴力で言って聞かせるアメリカのようなこととか、みんなに金を配ってへーこらする今の日本のようなことは嫌です。クラスメートと対等に接し、みんなと信頼しあい、自分の意見もしっかり主張し、ということの積み重ねなんだと思います。ただし、クラスにはみんな話のわかる人たちばかりではありません。悪口を言ってくる人、暴力をしてくるひともいるでしょう。彼らとも対等に接することができて、はじめていじめられないんです。
だから、わけのわからない悪口にひるまない自分自身の考えと道徳心、そういうものを持っていないといけない。言い争う、受け流す、なんでもいいでしょう。いじめっ子が「こいつに何を言ってもひるまねーな」という印象を与えなければなりません。
一方暴力に対して。いくら自分をしっかり持っていても、「こいつ殴ったら簡単に泣きそうだな」みたいなことでは、結局いじめられちゃうんです。抵抗できなきゃならないんです。だから、いじめにあわないようにからだを鍛えたりして防衛をするわけなんです。「こいつおとなしいんだけど、めちゃめちゃ力強そうだな」と思ったら、いじめっ子はなにもしてこないもんです。

このいじめられないように体を鍛える は 国を守るために防衛力をつけることと同じことだと思います。
この場合の防衛力はやっぱりイコール軍事力なんじゃないでしょうか。
反対する人は「話し合いでなんとかなるでしょう」と必ず言いますが、それは、我々日本人の感性と理性と道徳心を持っているから、話し合いをすれば分かり合えると思っているだけで、相手が我々と同じ理性を持っていることが前提になっちゃうんです。もし、全然話が通用しない相手がやってきて、武器をちらつかせてしまったらどうするんでしょうか?
この「もし」 を考えておくことはとても重要で、話し合い理想論者は、みんなこの「もし」は絶対にありえないことだから、それを想定するのはおかしい といいます。
しかし、考えてください。いじめっ子は「もしあいつをいじめたら、逆に俺が怪我しそうだな」とかそういう計算のもとにいじめをしているわけで、要は弱いものしかいじめないわけなんです。
だから、この「もし」に備えて自分たちが強くある必要は当然あるわけなんです。

そうなると彼らは、「軍事力を持ってしまったら、他国に侵略したりクーデターが起こったりするんじゃないか」ということを言います。
なんで?
体鍛えてる人は、みんな他人に暴力をふるうわけ?
武道の達人はみんないじめっ子なわけ?

そういうことと同じことを言ってるわけなんです。
体を鍛えてもいじめをしない人はたくさんいます。彼らがいじめっ子と大きく違うところは、教育と教養と理性と道徳。
そこなんですよ。体を鍛えることと、他人を傷つけることは、まったく別の問題なんですよ。
そこをごっちゃに考えちゃうから論点がずれてしまうんだと思います。

だから、他国を攻撃してしまうから軍事力を持たないんじゃなくて、他国に攻撃されないように軍事力をしっかり持って、それでもってそれをしっかりコントロールする理性を教育する。それに限るわけなんですよ。それこそが教育なんです。

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