3.11 あれから6年 - 婚活全般 - 専門家プロファイル

橘 凛保
社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
東京都
マナー講師

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閲覧数順 2024年04月19日更新

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3.11 あれから6年

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講習

震災から6年

橘 先生
おはようございます。
いつもお気遣い頂きありがとうございます。
おかげ様でカンナが縁となって広島に招か
れた息子も高校1年でヤンチャ坊主してます
けど(苦笑)
広島の思い出を話す時だけは真面目に聞かせ
てくれますよ。
あれから6年されどまだ6年なんですねぇ・・・


あの時一緒にカンナを植え広島で資料館を見学した

東北被災地の男の子が

もう高校1年生で6年目の3.11を迎えるのですね

この4月には高校2年生・・・

きっと道ですれ違っただけなら気付かないくらい

大人っぽくなっているのでしょうね

6年・・・・



6年前の震災の時 

「東北にもカンナを咲かせたいのだけれど」と

カンナ大使の子どもたち相談するとすぐさま同意してくれて

カンナを東北の小中学校に届けました

その中の1校とはその後広島青年会議所のおかげで

球根を提供してくれた学校の1つ

己斐小学校との交流をさせていただきました

長くなるのでここには書きませんが

この経緯がまた不思議な奇跡でした

この時 東北から広島に来てくれた6年生のご家族の方が

その後数年して偶然にもブログで見つけてくださり

コメントをいただきつながることができました

ブログってこんな嬉しいことがあるのですね

つそしてい最近 冒頭のコメントのやりとりがあり

ここにお借りいたしました

もう6年でありまだ6年でもあり

いろいろなことがあり

いろいろな思いがありますね・・・

この子の卒業した学校とは本当に不思議なご縁がありました

2011年5月に被災地を訪れた際

ある小学校の教頭先生との出会いから

64校にカンナをバトンすることになりました

そんな時 広島のRCCラジオのパーソナリティのY氏から

お電話がありました

「東北に取材に行きたいのですが、どこか取材に応じていただける学校がありましたら同行させてください。」

取材の申し込みでした

いつも突然なので十分な準備や連絡ができず

取材の候補の学校に直接連絡できないまま

中に入ってくださったその教頭先生とのやりとりだけで出かけました

出かけてみると「伺っていませんでした」

・・・・・・・

取材のRCCの方々も一緒でしたから

ところが校長先生は瞬時のご判断で取材をご承諾してくださいました

カンナ・プロジェクトの講演と植栽が急遽行われました

まさか・・まさか・・・の出来事でした

この手違いからの一瞬の出来事が

1年後の不思議な引き合わせへと繋がっていくのでした

2012年の広島にご招待の後いただいたその校長先生のメールには

「自分が校長になったのも、ここにつながるためだったのです(詳細略)」

と・・・・

本当に不思議なご縁を感じないでいられませんでした

「出あいは必然。そしてその時は一瞬たりとも早からず遅からず・・・」


その校長先生からはあの奇跡の取材以来メールをいただいていました

夏には「カンナが咲きました」と

10月の半ばの校長先生からメールには胸が詰まりました

「10月になってボランティアも少なくなりました。取材の人たちも減りました。忘れられていくのでしょうね・・・。カンナも枯れて寂しくなりました。」


「忘れてなんかいません!!」

そうお返事を書きました

『この気持ちをなんとか形にして伝えしなくては・・・』

そう思いました

花が咲くことを「花笑み」と言います

カンナの花笑みが枯れてしまったなら

『カンナに替えて人の笑顔を届けよう』

「先生、忘れてなんかいませんよ。みんな心配しています。花が咲くことを花笑みと言います。カンナが枯れたのなら、カンナの花笑みに替えて、今度は人の笑顔を1000人届けます。私も頑張りますから頑張ってください」

当時は「頑張って」の言葉に敏感になりすぎていて

「頑張って」が言えませんでした

だから「私も頑張るから頑張ってください」

そうとしか言えなかったのです・・・

1000人正直自信はありませんでした

知人にさえもなかなかタイミングがあわないと言い出せないものです

一人目(同時に2人)は短大の授業の日でした

忘れもしない2011年10月20日

講師室で看護科の教授と学生の談笑があまりにも爽やかで

思わず「その笑顔東北にくださいませんか?」

これがカンナスマイルのはじめの一歩でした

そこからは勇気を出して1000人頑張りました

3週間でした 11月10日1000人目

これがまた短大の私の教え子でした

彼女は脳腫瘍の手術に成功して久しぶりの登校でした

そんな時のカンナスマイルもまた不思議なご縁です

この編集や印刷が本当にm¥大変な作業でした

それでもなんとか雪が降る前に被災地の皆さんに届けたい一心でした

1枚ずつ印刷して切り貼りして並べたものです

こういう技術が全くなかったので本当に大変でした

それでも被災地の人達のご苦労を思えばこそできたものでした




1000カンナスマイルを被災地11カ所に届けました

12月3日の仕事から帰宅して夜中出発ギリギリまで

この11枚のカラーコピーを1枚ずつコンビニでとりました

11セット間に合いました

6時間かけて真夜中の道を走り仙台に着いたのは朝でした

懐かしい皆様と再会しながら

また新たな出あいもいただいて11カ所届けました

もちろんその校長先生の所へも届けました

(この話は長くなりますので過去のブログをお読みいただけたらと思います)

寝ないで走り続け仙台〜鶴巻〜石巻〜気仙沼〜大船渡〜大槌と

11カ所・・・この旅は生涯忘れられない旅となりました

気仙沼にしか宿が取れずフェリーで渡るにも

フェリー乗り場も見つからず

それでもなんとか間に合いようやく寝ることができました

翌朝は早朝から出発その夜も寝ないで走り続け

帰宅は12月6日の朝でした

「眠眠打破」という眠気覚しのドリンクももはや効かず

睡魔との戦いでした

1000カンナスマイルをお届けしたら終えるつもりでした

ところが・・・

お届けした先々で「私たちもお礼の笑顔参加したい」

そんな風に言ってくださり

カンナスマイルは1000を超え続けることになったのです

これが正直本当に大変でした

「東北を忘れないのカンナスマイルください!」

被災地の皆様に比べたら これくらいのこと・・・

そしてまた「もちろん!」と

笑顔で頑張りポーズをしてくださる方々

人間って捨てたものではない
世の中って捨てたものではない


言葉は悪いですが「人間って素晴らしい」

では表せないものを感じたのでした

一番大変だったのは写真をパソコンに落とし込み

ブログに添付する作業でした

このカンナスマイルのためにアメブロやFBを始めました

本当にそうさがわからず何度もなんども消えてしまったり

UPできなかったり・・・

仕事の合間の徹夜での作業となりました

毎日のように寝ないで作業をしました

と言うよりつい最近までこの作業は続き

昨年10月に10000カンナスマイルを超えました

1000カンナスマイル以来1000ごとに被災地に届けてきました

初年の2011年冬〜の1年間で4000人の笑顔を届けました

徹夜での作業 運動する時間もなくなりパソコンとの格闘のストレスで

代謝が悪くなり1年で12kgの激太り

太りたいとは思ったことはあってもなかなか太れない体質が・・・

わずか1年で12kgも増えました

そしてがんにもなり・・・

本当にこのカンナスマイルには様々なことが刻まれました


この小さなの中に今は

10000人を超える人の笑顔が詰められています

10000人を超える人の優しさが込められています

10000人を超える人の「頑張れ!」が込められています

10000人を超える人の笑顔の中には被災した方々の笑顔もあります

10000人を超える人の笑顔は東北だけではなく熊本にも向けられました

10000人を超える人の最後の日は鳥取の地震の直後でした

東北だけではなく熊本も鳥取も

そして地震だけでなく洪水への祈りも込められました

そして災害だけでなく人々が穏やかに暮らせますようにの祈りを込めて


今日3.11に改めて祈ります

10000人を超えるそんな人たちの祈りを込めて

東北の被災地の皆様に

そして失われた尊い命に

今日ここに祈ります







canna-project.com