- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
これも、私が良く巷で観させて頂く光景なのですが…。
世の中には、自分の事は棚の上に置き、常に(自分ではなく)他人の批評にばかりに勤しむ方がいらっしゃいます。
(・・;)
つまり、相手の事を良く知りもせず、又ご自分の私情で判断している事にも気付かず、そのご自分の先入観で相手を理解しようとする心もなく、
自分以外の人間をいつも「この人は良い人か?悪い人か?」と、自分の勝手な憶測と狭い視野から独善的にジャッジしている人間です。
(^^;
この様な事を好んで生きていらっしゃる方達というのは、よっぽど「自分は良い人間だ!」という自信と自負がお有りになるのでしょうね~?
でなければ、自分以外の人を「この人は悪い人だ」「傲慢だ」などと評価できる訳がないのですから…。
でもその根拠のない自信は、一体何処から、何から来るのでしょう?
( ・・) ???
ちなみに私は「良い人間」かどうかというのを自分で判断する事は、自分にも他者にもしない主義です。
何故なら、それは立場により常に変動する評価であり、絶対的なものではないからですね。
一人の人間が、或る人に取れば「善人」であっても、別の立場の人からしたら「悪人」になるという事は、例えば今のアメリカ大統領のトランプ氏を例に考えてみれば、理解し易いでしょうか?
(^^ゞ
人間という生き物は、自分が気に入らないと思うと、その人が何をしても(例え善行をしていたとしても)、自分の「こう見たい」という穿った見方で捉え、
何としてでもその相手を「悪人に持って行かないと気が済まない」という歪んだ心の癖(私情)を持つ様です。
(^^;;
つまりそういう方達というのは、自分が気に入らない相手を「傲慢で悪い人間として見たがるという歪んだ心理」が自分の中でいつも働いているという事なのですが、(こりゃ又、疲れる生き方をされているものですなぁ!笑)
でもそれは、先ほども申し上げた通り、その裏を返せば「相手より、自分の方が良い人間だ!」と思っていなければ出来ない行為であるという事なのです。
そしてこの様な行為をされている方達の中で、そういうご自分のエゴにお気付きの方は、果たしてどのくらいいらっしゃるのでしょうか?
いや、この様な行為は「気付いていないからこそ、出来る行為」ではないでしょうか?
(・。・;
こういう「心の癖=私情からの邪見」を持って他者を見るという方達は、大概そういう「自分の心理の裏に在るもの」には、絶対目を向けないという頑固さも備わっておられますので、
まるで蛇さながらの執念深さを内に秘めておられる方が多い様です。
そうでなければ、この様な生き方は疲れてしまって、最後は自分自身に嫌気が差す様になると私は思うのですよ~。だから私にはできません。(笑)
(◎_◎;)
第一、皆個性と感性と立場が違うのですから「自分が感じている様に、他者が感じる」という事は無いのですし、他者に「自分が感じている様に見てくれ!」と強制する事はお互いにできないのですから。
(・_・;)
では、この様な方達は、何故執拗に「相手は傲慢な(悪い)人間=自分は良い人間」という所に異様に拘られるのでしょうか?
そこには「妄想」という私情が入るからです。
そしてその私情とは、「自分の方が優れていたい」という、つまらないエゴと虚栄心なのです。
(・_・;)
この世には、自分と同じ人間など、誰一人としておりません。
そして皆、自分の得意分野と苦手分野 (※これは努力をしないで良いという事ではありません。でも全てのものをしなくてはならないという事でもありません) というものを、それぞれが持っている。
そこに本来優劣は無いのですが、この世にはそれをジャッジしたがる人間が、
まぁ何と多い事、多い事!(笑)
\(◎o◎)/!
そういう方達は、自分にも他人にも苦手分野を「欠点」とジャッジして捉える方も多い様ですが、
それをお互い「個性」と認め、お互いが自分の得意とするものをお互いにシェアする事でしか、この世では自分にも他者に感謝するという心は生まれませんし、又良い人間関係が築ける訳がないのです。
(・。・;
ですので、その様な心の癖をお持ちの方達は、他者をジャッジしたくなったら、「何故、自分は他者より優れていたいと思うのか?」というご自分の心理に向き合い、
自分自身の内面に在る「闘争心・劣等感」という、これ又"表裏一体"であるものに、目を向けられる事を、私はお勧め致します。
☆_(_☆_)_☆
昨年のお正月にご紹介した、この絵ですが…。
舞子さんが「一人でいる事」と「後ろ姿である事」というのが、とても情緒があって、
何か自分自身と向き合っている様な、そんな雰囲気があって、私はとても好きなのです♫
(*^^*) ~ ♡
この世には、自分より優れた存在などザラにおられるのです。
その視野を宇宙に向ければ、尚更の事。
( ・・) ~ ☆彡☽彡☀彡
でも、自分という個性を持った人間は、この世に誰もいないのです。
それぞれが唯一無二の存在であり、そこに比較は必要ないのです。
もし「どちらが優れているか?」という競争を、自分の中(一人相撲)で他者と競い合う事や、
自分と他者を「良い人間・悪い人間」、或いは「優れた人間・劣った人間」などとジャッジされたいのならば、
それは他者との比較ではなく、過去のご自分とされた方がよっぽど疲れない建設的な生き方になります。
何故なら、それが「真の内観」に繋がって行くからです。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
「良い」と「悪い」は、表裏一体のものなのです。
もし、あなたが相手の中に「欠点」や「傲慢」というものを見るならば、それは他人をジャッジしている様でいて、実は自分をジャッジされているのです。
\(◎o◎)/!
相手の中に見るものは、自分の中に同じものが在るから。
ですので「相手を傲慢と思いたい」という心理の裏には、「自分の中の傲慢さ」や「自分の劣等感から生まれる、相手への嫉妬心」というものが隠されているのです。
(^^;;
けれども内観が進まれていない人達は、「自分以外の他人」というものを利用し、そういう事を表に表現なさるのですね。
つまり、「自分は良い人間である」というお化粧をして、他者を悪者としてジャッジするのです。
…これって「良い人間???」(笑)
(^^;???
同じ相手を見ても、自分と違う他者の方達は、それぞれ自分とは全く違う感性と視野と角度からその人を観ているのです。そしてその観方は人間の数だけ千差万別です。
そこにお互いが「自分の見方が正しい」などという妄想を持ち込んでも、「無知で理性に欠けた人」と思われてしまう事が多いでしょう。
(^^;(^^;;(^^;;;
内観の進んだ方とは、自分にも他人にも、そういうクールな観方ができる方達です。
☆_(_☆_)_☆
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年