今回のテーマですが、これは「思考からの綺麗事だけで考えて、聖人の様になろうと背伸びをする事から生まれる弊害」に付いてです。
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これはどなたに取っても一番大事な事だと私は思うのですが…。
当事者ではない部外者の勝手な主観と憶測からの、十把一絡げの安易なアドバイスよりも、
当事者がそれぞれが直に感じる繊細な心の機微である「"今"の自分の心に正直になる」という事の方が、それぞれ当事者が各々自分の答えを出すには、よっぽど大事であるという事です。
( ・・) ~ ☆彡
何故ならそういう中に、お互いに「今」必要な学びというものが、ちゃんと存在するからです。
その方が「頭で分かった顔をして、背伸びをして聖人の様に振る舞う行為」より、よっぽど生きた貴重な学びではないかと私は思います。
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つまり「聖人になろうと背伸びして、逆にモヤモヤとしたものを自分に残す行為」と「未熟でも、自分の心に正直になり、自分の中に相手へのわだかまりを残さない行為」とでは、果たしてどちらが良い結果を生むのか?という事でもあります。(人はそれぞれに、色々な段階を踏みながら成長して行くのですから)
人間の心というのは、そんなに単純ではないのです。
ですからベストな答えというものは、どれもがケースバイケースの繊細なオリジナルであり、それは決して一つではないという事ですね。
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これは丁度前々回のコラムで、私が知り合いに洋服を差し上げた事から色々な事が起き、その経緯から最終的には差し上げた洋服を、私からお願いして知り合いから返して頂いた件が良い例かもしれません。(笑)
ですが、こういう行為は、実は今までの私には無い事でもあったのです。
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つまり、私に取っては「今までに無い、我慢をしないという画期的な行為」だったという事でもあります。(笑)
\(◎o◎)/!
今までの私なら「一旦人に差し上げた物は、相手の物である」という事で、どの様な経緯になっても差し上げた服に関して「返して欲しい」という事はしない主義でした。(だってその方がクールでカッコいいでしょ?笑)
でも今回の経緯の中では、そうする事により「きっと私の中でモヤモヤとしたものがいつまでも残ってしまうに違いない」と率直に正直に自分は感じました。
何故ならその洋服達は、それだけ私がとても大切にして来た洋服達でもあったからです。(私は洋服を始め、自分が好きで購入した物は大切にし、そういう事を含めて自分の人生をとても丁寧に生きています故~)
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ですので、今回の私は自分に背伸びをしないで、自分の気持ちに正直になりました。
「私の差し上げる服は、本当に気持ち良くハッピーに大事に着て下さる方に差し上げたい」と。
今回の経緯から私が考えられる事は、きっと彼女は私からもらった洋服を見る度に今回の事を思い出すだろうなぁという事であり、果たしてそれはお互いにハッピーな事だろうか?という思い。
そして着られる度に、その様な思いが着る人から生まれる事は、洋服達に取って幸せだろうか?という思い。(※これは私の繊細な感性で感じる事であり、もしかしたら彼女は全然その様な事は感じない性格かもしれませんが…。でも人生を丁寧に生きている人間ならば、お分かり頂ける事だと思います)
今回の自分の選択から、私の事を「ケチで小さな人間」と捉える人がいらっしゃるかもしれませんが(笑)、私は自分を信じているので、そうは思っていません。(笑)
もしそういう方がいるとするならば、むしろ私はその様に「勝手に人の人生に介入し、お節介にも自分の人生経験からの憶測だけで、勝手に他者を評価する様な方の方が、薄っぺらくてミミっちい」と感じてしまうのです。
何故なら私達のこの世に生まれて来た目的は、ポジティブ・ネガティブ含めて色々な事を経験する事に価値がある訳で、成長する為には「ありとあらゆる経験を通る=両面を知る」という事が必要不可欠だからですね。
そういう意味で、今回「聖人ぶらずに、自分の心に正直」になった私の取った行動も、私に取っては非常に貴重で新しい、生きた経験の一つです♫
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そしてそれにより、今回私が何を感じているかという事は、私にしか解らない事であり、それは他者に介入されるものではないし、他者には分からない領域でもあります。
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泥臭い私達人間の人生というのは、「誰が見ても聖人の様な生き方をする」という様な綺麗事ではないと私は思っています。
むしろ「聖人の様に生きる事で、人の痛みを理解できない人間・驕る人間」という存在がこの世には大変多いというのも、私の眼から観た事実でもあります。
そして巷に有りがちな「浮足立った理想ばかりを追い求めるが故に、波動が高く綺麗なものしか受け入れられない」という人ほど、中身が稚拙で汚れて(歪んで)いるという事もあります。
それは正に奥深い「陰陽の世界観」を観る様であり、成熟したものの観方ができる人にしか視えない風景でもありましょう。
私達人間はどの段階であっても、自分の目指す山の登り方、選ぶ道、そして道順は、自分が決める事であり、自由なのです♫
そうでなければ、生まれて来た意味が無いじゃないですか!私達♡ (笑)
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あなたは、どの様に山を登って行きますか~?
…え、誰ですか?「私は登らず、眺めている方が良い♫」なんて言っている方は!(笑)
\(◎o◎)/!
今回、何故この様な内容のコラムになったのか?というのは、実は最近アメーバブログの方で「まるで私のコラムを読んで、そこから自分のブログを書いている」様な内容を書かれる(私が読者になっている)ブロガーの方がいるからです。(興味のある方でご存知の方は、是非そこからお入りになって読んでみて下さい)
書かれている内容がもっと深さを感じるものならば、私は逆に大歓迎ですが、何かとても独善的で違和感を感じるのは、このブログ主さんの人生経験からの私情が多分に入った主観が含まれているからなのだと思います。
そして彼女のこの傾向は(勿論今回の件以外でも)最近とても多くなり、例えば先日もニュースなどで話題になったものをこのブログ主さんが取り上げて、ご自分の狭い視野からの理解と憶測で、その他人の行為に対し、勝手に"自分寄りの批判"をされている様な内容を書かれていた事もあります。
私はそれを読んだ時に、「彼女の言う事も一理ある」とは感じましたが、「全てはその人、人に必要な経験をしているだけなので、他者が介入する事ではなく、全ては"あるがまま"で良いのだ」と感じたまででした。
だってその行為から何を感じるかは、各々個人の自由であり、全ての人が彼女の様に感じる訳ではなく、それに感謝を感じる人間もいるはずだからです。(人が起こした行動から生まれる色々な影響や波紋というものには、私達人間には計り知れない人知を超えた宇宙の叡智が含まれているのです!)
そしてその様な印象は、彼女が媒体となってアドバイスを伝えて来る存在にも最近感じる様になりました。
つまり随分と彼女寄りなアドバイスが多くなり、中立的なものの観方ではなくなって来た印象なのです。
ちなみにそのアドバイスというのは、私に取って苦手な分野である政治的なものや、その改革に向けての斬新なものの観方は非常に画期的であり、脳が喜ぶ感じで面白い♫と感じたのですが、心理的なものに関しては、今まで自分が人生で実践して来た事の確認という印象しかないのです。
ですので、今回の私の行動も「知っている上で、自分の気持ちに正直になる」という経験を、自己責任の元、背伸びをせずに自分で選択しただけの話です。
…という訳で、正直私は「このブログ主の方は、随分視野が狭くて稚拙な方だなぁ!」と感じてしまう事が増えました。
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彼女は以前は、ご自分が媒体として伝えられるメッセージだけをシンプルに伝えていたので、そういうものはあまり見えて来なかったのですが、もしかしたら最近は彼女自身に自覚の無い驕りがあるのかもしれません。
最近の彼女は、まるで"絵に描いたお餅"で判断する裁判官の様です。
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私は以前は、その様にシンプルなスタイルで彼女が伝えて来る「メッセージ」の部分には魅力を感じる事も多かったのですが(…と言っても全てという訳ではありません)、
最近は、特に彼女自身の多分に私情が含まれた個人的主観の内容が増える様になってから、そのものの見方にはとても薄っぺらい稚拙さを感じる事が増えて来て、正直私は魅力を感じなくなりつつあります。(その内、読者も止めるかも…)
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まぁ、もし人の書くものを安易にネタにし(※これは共感ではなく、相手への敬意が感じられないものを指します。敬意を感じた時には、人は不愉快には感じないものです)、後追いする様な内容になれば、やはりオリジナリティは失われて行くので当然でありましょうし、
そして本当にそうだとすれば、この行為は彼女が今までメッセージとして他者に伝えて来られた内容とはかけ離れた行為であり、私はそこに非常に矛盾を感じます。(※彼女自身が他者に伝える事を実践できていないならば、他の方に対して彼女がそれを諭す資格はないですからね~。でもだとしたら、彼女は"媒体"として徹する方が良いのではないかなと私は思います)
私的には、正直「何故他人のコラムを利用するのだろう?」「何故部外者である他人の事に、彼女は一々干渉して来るのだろう?」という思いから、「お節介で、とても鬱陶しい」という思いがありますし(笑)、
そして、私は或る時を境に、自分の人生で「未熟と言われようとも、我慢をするという事を一切止めました」ので(※これは私的には喜ばしい大きな変化であり、その意味は他人が判断する事ではなく、自分が一番良く理解しています)、
今回敢えて、こうして「自分に取って、安易にして欲しくない事」をコラムにさせて頂いた次第です。
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人が責任を持てるのは、各自「自分の人生」だけなのですもの。
自分の経験を元に、自分が感じた事を書くならいざ知らず、「人の事にうつつを抜かして裁判官の様になる方」というのは、自分への内観が進んでいない方がする行為だと私は思いますね~。
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ちなみに返して頂いた洋服ですが、とても喜んで着て下さる方に改めて差し上げる事ができましたので、私的には非常に気持ちがスッキリとしております♫
(*^^*) ~ ♡
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年