- 野平 史彦
- 株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
- 千葉県
- 建築家
対象:住宅設計・構造
勿論、プロとしてやっていることなのだから住宅に対して自分なりの考えや哲学を持っているつもりである。
しかし、どうも最近自分が歳を取って来た所為なのか、“家族”というものが随分変質して来ている様に感じる。
例えば、こんなことがあった。
僕は時々暇を見て馴染みの歯医者で歯を見てもらっている。
訳ありでただで見てもらえるので時々気分転換に行っているのである。
受付に二十歳前位の女の子がいて、その子とおしゃべりをしていた時の事なのだが、
最近、中古の家を買って家族でそこに移り住んだ、という話しで、
彼女はその家が欠陥住宅ではないか、と言う。
よく聞くと、その家は設計士が設計した家で、リビングに階段があり、それが欠陥ではないかというのである。
これでは友達を呼んでも、いつも家族と顔を合わせなければならず、友達を呼べない、と言う。
子供の頃から馴染んだ家は、玄関を開けるとすぐに階段があり、家族と顔を合わせることなく自分の部屋に友達を招き入れる事ができた。家はそうあるべきだ、と彼女は主張する。
親としても他人に散らかったリビングを見られるので、娘に同感して、まずかったかな、と反省しているらしい。
リビング階段については、30代のお客さんから同様に否定的な意見を聞いた事があるので、玄関階段の家で育った子供たちが、今まさに自分達の家を持つ年齢になり、再び,玄関階段が復活するのかな? と思っていたことはある。
開けっぴろげなその子は、そんな家でも週末には彼氏が来て彼女の部屋に泊まってゆくのだという。
親も勿論、何も言わない。
そんな話しを聞いて、子育て期の子供ではない、玄関階段で2階に自分の個室を与えられて育った、すでに成人しようというこんな子供がいる家族が、もし、僕のところにやってきたら、いったいどんな家を設計してあげたらいいのだろう、と勝手に悩んでしまった。
これまで私のコラムでは、住宅のハードの部分について論じてきたが、
これを機に住宅の計画論について、社会学的な見方を踏まえながら少し考えてみようと思う。
その手始めに“子供部屋”というものについて少し考えてみよう。
(次回、「子供部屋はラブホテル!?」に続く)