幸せを感じるのに条件は要らない (何かの条件が必要な幸せは、本物の幸せではない) - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月18日更新

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幸せを感じるのに条件は要らない (何かの条件が必要な幸せは、本物の幸せではない)

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今回のテーマは、先日の「病気を治しているのは、治療でも薬でもなく自己治癒力」というコラムの締めでお伝えした、「幸せになるから笑うのではない。笑うから幸せになるのだ」というフレーズが、自分でとても気に入ったから♫という理由から思い浮かんだものです。 (笑)

(^^✿

私達は良く「〇〇になったら幸せ」「〇〇を得られたら幸せ」という様に、幸せになる為の条件を自分に課していますよね?

でもそれって「本当の幸せではないなぁ」と私は思います。

《 ゚Д゚》!?

そしてその様な思考の方というのは「一時的な幸せ」を所々で感じる事はできても、「真の幸せ」というものは味わえないのだろうなぁとも感じます。

何故なら例えどの様な「幸せになる為の条件」を得られたとしても、この世ではそれは「永久に続くもの」などでは無いからです。

《 ゚Д゚》!!

 

この世というのは "絶えず変化している" という真理があり、どの様なものでも「永遠」であるものなど一つも存在しないのです。

人の心一つ取ってみても、コロコロコロコロといつも絶えず変化しているではないですか?

今「幸せ」と感じていたとしても、何か自分に取って不愉快な事に遭遇した途端、一瞬で不機嫌という「幸せを感じない心」に自分の心は変化してしまいます。

(・。・;

 

そして肉体というものもクールに観察してみれば、赤ちゃんとしてこの世に誕生した時から成長し続け、そして或る時からは "老化" と呼ばれるものに向かい始め、最後は死を迎えるという現実があります。

肉体一つ取ってみても、一日たりとて全く同じというものは無いのです。

(・・;)

 

体が「太る・痩せる」「病気・怪我をする」という事を観ても、体というものも心と一緒で絶えず不安定なものであるという事が分かりますね?

だから皆様、ダイエットや健康法などというものに拘られる訳ではありませんか?

そして多くの方がご自分に失望されたりしています!? (笑)

(^^;(^^;;(^^;;;

 

そうして自分が自分のマインドや肉体ごときに振り回されるという本末転倒な事になってしまうのは、「この世は絶えず変化している」という真理を理解していない事から来ているのですが、

多くの方はそういう事実を深く観察するという事が無いので、自分が人生で拘る何かに「執着する」という苦しみを自ら生んでしまっているのです。

(・。・;

 

そしてその「執着」という拘りが強い方ほど、自分が幸せというものを感じる為に無意識に自分で自分に沢山条件を付けるので、そこから「〇〇を得られたら幸せ」というものにしがみつくのですが、

でもその様なものには必ず表裏一体にセットで付いて来るものにはお気付きではないのです。

 

それは「〇〇を失う怖れ」というものの存在ですが、この様なものがセットになっている条件付きの幸せとは、果たして本当の幸せといえるのでしょうか???

そしてこの世の中には、一体どのくらいそういう真理に気付かれておられる方がいらっしゃるでしょう?

( ・・) ???

 

…というのが、今回のテーマで私が投げ掛けたい事なのであります♫

☆_(_☆_)_☆

 

本当はその様な「条件付きの幸せ」というのは、その自分が拘る "条件" への「執着という苦しみ」も同時に生み出しているものなのですが、

 

大抵の人はその一時的なシャボン玉の様な儚い幸せを "人間の幸せ" だと思い込んでいて、その裏に在るものに賢く眼が行かないという落とし穴にハマり込んでしまうのですね。

 

不安や恐怖が一体となっているものを「幸せ」だと思いしがみつく訳ですから、その人は心に "平安" という「真の幸せ」を感じられなくなってしまうのです。

(・。・;

 

でも人間のマインドというものは "刺激" を「幸せ」と感じてしまうという癖がありますので、多くの方は "平安" という地味なものには目が向かず、逆に面白味の無いものとしか感じない様です。

でもそれは、実は心眼が開いていない方が持たれる感覚なのです。

《 ゚Д゚》!!

 

心眼の開いた人というのは感覚が研ぎ澄まされて行くので、繊細で高い波動を敏感に感じる事ができるのです。

ですので、彼等には「心眼の開いていない人が感じたがる幸せ=刺激」は、そういう人達にとっては「苦しみ」にしか感じなくなって来るという事でもあります。

(・・;)

 

「刺激」から得られる幸せというものには、人はすぐに慣れてしまいます。

ですので刺激を受け続けたいと思うならば、前よりも強いものを与えられなければ満足できなくなって行くものなのですね。

 

ですので、多くの方が幸せと思っている「刺激から得られる快感」というのは、受けても受けても絶えずドラッグの様に知らず知らずにエスカレートして行く不毛なもので、

その正体は「刺激への渇望(飢え)」であるという事を、心眼の開いた方達はその繊細な感覚=叡智で理解しているのです。

( ・・) ~ ☆彡

 

自分が幸せになるという事に、本当は条件など要りません。

条件が伴う幸せというのは、真の幸せではありません。

 

ちなみに最近車のCMで「好きになるのに一秒もいらない」というフレーズがありますが、これは正に「幸せ」にも言える事だと私は思います。

その様に無条件で幸せになる事ができる才能の持ち主は、どんな変化する自分でも愛する事ができるという才能の持ち主だという事です。

(*^^*) ~ ♡

 

「痩せていなければ幸せになれない」

「美しい肉体を持っていなければ幸せにはなれない」

「お金持ちでなければ幸せになれない」

「恋人がいなければ幸せになれない」

「結婚していなければ幸せになれない」

「子供というものを持たなくては幸せになれない」

「社会的な地位を持っていなければ幸せになれない」

「若くなければ幸せになれない」

 

etc.etc.etc. ……

 

この様な条件は、 "本当の幸せ" には実は全く関係無いものなのです。

この様なものは社会がビジネスに良い様に作り出した集団意識からの洗脳であって、その人個人の普遍的な幸せではないのです。

 

ですからこの様なものを自分の「幸せ」の基準にしている人は、その自分の拘る条件を失った時には、自分が執着していた分だけ苦しみも味わう事にもなるというのが、この世のバランスであり真理なのです。

(・。・;

 

 

「幸せになるのは簡単だ。"今" 感じれば良い♡」

これが本物の幸せの正体だという事を、以上の説明でご理解頂けましたでしょうか?

 

 ちなみに「まだ良く分からない」という方は "無心の幼子" を教師としてご覧になると良いと思います♫

 (^^✿✿✿

 

「幸せ」の本当の正体とは、「無条件にどの様な自分でも愛せる事」なのです♫

これが人間の本当の幸せなのだと、私は思います。

♡_(_♡_)_♡

 

 

 

 

  (片岡鶴太郎画集「No Rain, No Rainbows.」より)

 

素敵な絵を描かれる片岡鶴太郎さん♡

彼が画家になられたキッカケは、冬の寒い早朝に人知れずひっそりと咲く一輪の赤い椿の花でした。

 

誰が見ているでもない所でも誇り高く精一杯咲いている、その凛とした清く美しい姿の中に、

彼は「花」という存在が秘めている "無償の愛" に気付き、痛く感動されたというのは有名なエピソードです♫

(*^^*) ~ ✿

 

 

 

私達人間は、人生の最上級課題に「無条件の愛」を学ぶというものがあると私は思います。

そしてこれは「自分が真に幸せである人=無条件に自分を愛せる人」しか成せない事であるという事ですね。

(自分の中と外は一緒です)

( ・・) ~ ☆彡

 

条件付きでなければ自分を愛せない人は、他者を愛する時にも条件を付けるのです。

しかもそれは大概「自分に都合の良い条件」というものを…。

(^^;;

 

「自分が持っていないものは、他者には与えられない」

これも又、偉大なこの世の真実です。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年