歴史で覚える日本の生命保険3 - 保険設計・保険見直し全般 - 専門家プロファイル

田中 香津奈
かづなFP社労士事務所/株式会社フェリーチェプラン 代表取締役
東京都
CFP・社会保険労務士

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対象:保険設計・保険見直し

田中 香津奈
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(CFP・社会保険労務士)
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大泉 稔
(研究員)

閲覧数順 2017年10月17日更新

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歴史で覚える日本の生命保険3

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かづな先生の新保険ゼミ 10.日本の生命保険の歴史

日本の工業化の発展に伴い、勤労者の数は著しく増大したため、企業による福祉制度が発展していきました。これに伴い、昭和23(1948)年以降、企業の福祉制度として「団体定期生命保険」の利用を進めた結果、年々その契約は増えていきました。また、人口の都市集中傾向は著しくなり、封建的な大家族制度が崩壊したため、生活保障の必要性が一般に認知されるようになりました。

日本が世界一の“生命保険大国”となった理由は、明治時代以来の勤勉貯蓄精神と、それにマッチした国営生命保険「簡易保険」の普及です。そのため、戦後から昭和30(1955)年代にかけて主力商品となったのが、「養老保険」です。戦後一貫して予定利率は4%と高かったため、満期保険金が、総払込保険料の2倍になって返ってくる時代で、貯蓄兼保障として大変魅力的な商品でした。ここから「貯蓄は三角、保険は四角」という言葉が生まれました。

一方、西欧や米国では、生命保険は火災保険や自動車保険と同じように、保障を重視した考え方で販売されていました。日本も戦後の高度成長期によるインフレの進行や核家族化の進展などにより、“少ない保険料負担で多くの死亡保障を”というニーズが高まりました。当時の一般的なプランは「養老保険」保険期間30年、満期保険金10万円もしくは20万円で、マイホームを建築しようと思ったら100万円必要な時代において、満期保険金100万円プランは、お医者様や一部の富裕層しか手が届く保険料ではありませんでした。しかし、大黒柱が亡くなった場合、10万円もしくは20万円では残された家族の必要保障額としては不足が生じます。そこで、昭和30(1955)年、従来の「養老保険」に「定期保険」を組み合わせ、保障部分を増大した「定期付養老保険」が発売されたのです。その後、日本経済の発展とともに「定期付養老保険」は年々人気があがり、昭和33年末の保有契約高は4兆4,640億円となり、国民所得に対する保有契約高の割合は94%と、戦前の最高水準まで回復しました。

当初は、「養老保険」1に対し、「定期保険」1の割合、つまり死亡保険金は満期保険金の2倍の保障が主流でしたが、昭和40(1965)年代半ば頃から3倍→5倍→10倍→20倍と、貯蓄性比率より保障性比率が高くなる高倍率化が進展してきました。また、より割安なプランとして、保険期間30年のうち、最初の10年もしくは20年のみ「定期保険」を組み合わせるという“L字型“も誕生しました。生保レディの成績は、今も昔も保険料ではなく、保険金額の大きさによって評価されるため、大型保障ブームが起きることとなり、昭和40(1965)年代、主力保険は、「養老保険」から「定期付養老保険」になりました。

同時期に、本格的な「個人年金保険」も発売されましたが、インフレの高進もあり、各社とも目立った販売実績は残せず、販売を停止する会社もあったということです。
一方、交通機関の発達に伴って交通事故が急激に増加しました。そこで、生命保険は満期を迎えても死亡した場合の10分の1とか20分の1の満期保険金しか手にできないという欠点をカバーするためにも、①「災害割増特約」、②「傷害特約」、③「災害入院特約」、などの特約を昭和39(1964)年に発売しました。これらは本来、損保業界の領域ですので、業界の垣根が取り払われたということと、生命保険が“死亡保障”だけでなく、“生存保障”取り入れて特約を誕生させたということで、大きな転機となりました。

昭和42(1967)年には、第百生命(現:マニュライフ生命)が「疾病入院特約」を発売し、医療費の増加にともない、昭和48(1973)年末から昭和49(1974)年にかけて急速に普及しました。また、主契約である死亡保障の特約として開発されたため、主力商品の販促に大きく貢献することとなりました。

この頃、外国会社が疾病関係商品を持って日本に進出してきます。

昭和48(1973)年12月 アリコジャパン(現:メットライフ生命)
昭和49(1974)年11月 アフラック(アメリカンファミリー生命)

この2社は、給付対象をがんに絞った「がん保険」や死亡保障を低く抑えて、医療保障を充実した「医療保険」を主契約で発売して、順調な販売成果を上げていきました。

そのため、日本の生命保険会社にも新規分野への進出を促すきっかけとなり、無配当「定期保険」、「がん保険」、「医療保険」を相次いで販売したり、百貨店やスーパーなどにおける店頭販売を開始するようになったのです。

このように、経済成長と生活保障に対する需要の高まりに呼応した業界各社の努力により、生命保険事業は戦後の痛手から立ち直り、着実な発展を遂げたのです。そして国民生活の福祉と産業経済の発展に大きな役割を果たすようになりました。



(2005.8.7&14公開 2015.11.2更新)

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