今回のテーマは、ちょっとシビアですね~~~。
特に「肉体美」に一番重きを置いて生きていらっしゃる方達には、とてもシュールなテーマである事でしょう。
(^^;
ちなみにこの問い掛けに対するお答えは、ここでのコラム「ほんとうの豊かさ」の中にすでに書かれておりますが、今回はそこをもう少し掘り下げてみようと思いました♫
最初に申し上げておきますが、今回の内容には肉体に付いて一部、夢もチボウも無い(笑)大変シビアでシュールな現実が書かれておりますので、肉体信奉者の方々にはショックを与えてしまう恐れもあります。
ですので注意してお読み頂くか、お読みにならない事をお勧め致します!? (笑)
☆_(_☆_)_☆
では本題に…♫
人間は本音の所では、皆「綺麗になりたい」「肉体を磨いて若さを保ちたい」と思う動物ですが(勿論私もそう思います。誰も好き好んで早く老けたいとは思いません。(笑) )、
ではその動機とは一体何でしょう?
何の為にそうなりたいのか?
( ・・)???
それはキレイ事を抜きにしてハッキリ申し上げると「セクシーになり、他者からモテたい♫」という性欲以外の何ものでもありません。(笑)
人間はどんなにカッコつけていようが、元来その様に根が "どスケベ" だという事ですね!(笑)
(^^;;;
ちなみに現実をクールに観察する仏教は、人間のそういう思いに対してはこの様なシビアな観方を致します。
「キレイになりたいという人間の心理は、"人間(自分)はキレイではない" という認識があるから生まれている」と。
《 ゚Д゚》!!
仏教は肉体というものを重視せず、この様に現実をシュールに観察しています。
【 人間の体は不浄なものが沢山詰まった皮袋である 】
身体には毛髪、爪、歯、不浄物、皮肉、筋骨、脾臓、腎臓、肺臓、肝臓、胃腸、硬い部分と柔らかい部分、
大小便、唾、涙、脂肪、脳髄、血液、膿、骸骨、血管などがある。
人間の体には鼻汁、粘液、汗、脂肪、血、関節液、胆汁、膏(あぶら)がある。(一九六)
またその九つの孔(穴)からは、つねに不浄物が流れている。
眼から目やに、耳からは耳垢、(一九七)
鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。
全身からは汗を垢とを排泄する。(一九八)
またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。(一九九)
また身体が死んで臥すときには、膨れて、青黒くなり、
墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。(二00)
(中村元訳『ブッダのことばースッタニパータ』岩波文庫)
↑ ↑ ↑
つまり仏教では「人間の身体が生み出すものには、(糞尿含め)綺麗なものは一つも無い」と観ている訳ですね~~~。(汗ッ)
(^^;(^^;;(^^;;;
又、修行者達が愛欲・性欲から離れ、心を清める術としてこの様な事も言われています。
愛欲があれば、(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形を避けよ。
(身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。(三四一)
(中村元訳『ブッダのことばースッタニパータ』岩波 文庫)
↑ ↑ ↑
本当にハンパ無くシビアでしょう?(笑) (◎_◎;)
仏教はこの様に超現実的な真実を説くので、最初にこの様なものに触れられた時にはかなり落ち込む方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ちなみに私はクールに「あぁ、本当にその通りだな~~~」と思えただけでしたけれど。(笑)
(※元々私は仏教の教えに触れる前から超現実的思考を持っているもので、何の抵抗感も違和感も反論もありませんでした♫)
では皆様に質問です♫
肉体というものが人を惹き付ける威力には確かに時に凄いものがありますが、それは継続しますか?
最初に味わうその人の肉体から受ける刺激は、ず~~~っと持続するものでしょうか???
《 ゚Д゚》!?
そうですね~~~。
私の経験からするとプラトニックな恋愛ですと、その賞味期限の持ちは多少良いかもしれませんね。(笑)
でも肉体から受ける刺激というものは、慣れてしまうと消えて行くものなのです。
(…あ、今長く夫婦生活をされておられる方々や、長い春をお過ごしの恋人達から賛同の声がワンサカ聞こえて参ります!? (笑) )
(^^ゞ
そして肉体には遅かれ早かれ、必ずどなた様も「老化」というものは避けられない運命にありますね?
そうした時に、あなたを支えるものは何になりますか???
…という問い掛けを、今回のコラムではしているのございます。
✿_(_✿_)_✿
仏教の教えはとてもシビアで、一見残酷な様に感じられる方も多い様ですが、
私は逆に、
「いつかは朽ち果てる肉体というものの幻想的な夢に囚われるほど、"老いる" という現実への恐れを常に感じる事になり、美しさや若さに固執した分それは激しい苦しみ(執着)に成り、平安や幸せから遠ざかる道に成るのでそこから離れなさい」
というお釈迦様の深い叡智と慈悲を感じるのですね。
☆_(_☆_)_☆
"老いて行く" という経験も、人間の魂磨きの大事な経験になりますからね~~~。
「老い」というものが無かったら、元々エゴイストで傲慢な私達人間は驕ってしまい、気付けないものが沢山あると感じますし(※若さとは時に残酷な面を持っています)、
魂磨きの一つでもある「人への思い遣りを持つ」という事の為に、この様な仕組みになっているのかも?と私には思えたりもするのですね。
( ・・) ~~~
ちなみに、私は若い頃から「不老不死を望む人は多いけれど、もし人間が老いて死ねなかったら、何て残酷な事になるのかという事は誰も考えないのかな~?」といつも疑問でした。(笑)
( ・・) ???
人間の本当の魅力とは肉体そのものに在るのではなく "心の輝き=波動の高さ" にあるのだという事を、もっと多くの人達が理解できれば、
人は自然現象である "老い" というものをもっと自然に謙虚に受け入れる心ができ、その様に成れれば人は人にもっと優しくなれて、今よりも楽しい善い世の中になれる気が私はしております。
♡_(_♡_)_♡
以前にもご紹介した「海の様に見える不思議な空」です♫
写真の世界って本当に面白いですね~~~♫
(*^^*) ~ ♡
人が人を好きになるのは、実はその方の肉体そのものではなくて、その方の持つ "雰囲気" なのですね♫
その目に見えないものの中に、その方の生きて来られた全てが現れているものです。
雰囲気には嘘が無く、肉体の様に筋肉を付けたり、脂肪を付けたり落としたり、又お化粧したり整形したりして誤魔化す事はできません。
(^^;;;
本当に魅力的な人とは、老いや年齢や体形を飛び越えて人々を魅了し続けられる方達なのだと私は思います。
☆_(_☆_)_☆
ちなみにお釈迦様という方はとても聡明でいらして、いずれは失ってしまう様な一時的に得られる儚い幸せではなく、永久的且つ普遍的な「人間に取っての本物の幸せ」というものを、それこそ命がけでトコトン探求なさった慈悲深きお方なのですね。
時には死にかける程の数々の荒修業をなさった末に悟りを開かれた方ですから、その本気度はハンパ無く、
その真摯に真理を求める情熱から大悟され、人間というもの、強いては生命というものへの正しい理解を得られた聖者、云わば "超人" のお一人なのでございます。
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
一説によると「釈迦は高次元の宇宙から飛来した魂 (宇宙人)」のお一人とも言われておりますが、ご存知でしたか?(信じるか、信じないかは、あなた次第です!?(笑) )
☆_(_☆_)_☆
一国の跡継ぎの王子として、これ以上に恵まれる事はないほどの才能や容姿や環境に育ちながら(※これらは数え切れない過去世で積んで来られた、彼の功徳から得られたものです)、
彼は人間含む "全ての生命" というものの持つ苦しみや空虚さというものに対しての真理を求めた為に、自らその恵まれた環境を捨てて出家された方なのですが、
出家前に "肉体美" に付いてこの様に語ったという説が、以下の様な逸話として残されています。
(^^✿
王である父の図らいから、何不自由なく美しいものだけに囲まれて育った王子(お釈迦様)は、或る時街で老人というものを生まれて初めて目にした時に、驚いて従者に尋ねられました。
「あれは何者であるか?」
「あれは老人というものでございます。人間が年月を長く生きると成るものでございます」と従者。
再度お釈迦様はお尋ねになりました。
「では私もいずれ、あの様に成るのか?」
「その通りでございます。どの様な方であっても人間は長く生きれば、必ず老人というものに成るのでございます」
これを聞いたお釈迦様は、
「いずれ失ってしまう肉体美というなら、それに驕ったり固執するのは意味が無いではないか…。私が求める幸せとはその様な一時的な幻ではなく、永久的に得られる普遍の幸せである」と考えられたと言われています。
そしてこの出来事は、その後出家を覚悟されるキッカケの一つにもなった "大きな体験" と言われているのです。
《 ゚Д゚》!!
さすが賢人というのは、私達凡人とは眼の付け処が全然違いますねぇ!
(^^ゞ
人間の宿命である「生老病死」の苦しみと、それを超える叡智を大悟されたのは、彼がまだまだ若くて美しかった35歳の時と言われておりますが、
お釈迦様は出家を決意された時点で、すでにご自分の持っておられた肉体美や若さへの執着を捨てられていたと言われております。
私はそれはとても凄い事と思います。(やっぱ、彼は凡人の感性ではないのでごじゃりますッ!)
☆_(_☆_)_☆
ちなみに悟りを得る為にお釈迦様が禁止したものの一つに「苦行」を挙げておられるのは、
彼がご自分で命を懸けて試された結果、「苦行というものは心を汚すもので、そこからは悟りには至れない」と悟られたからだと言います。
そしてご自分の経験から、何事も極端に走らない「中道・中庸」が悟りへの早道であると説いて下さっているのです♫
皆様、良かったですねぇ~!! (笑)
(*^^*) ~ ✿✿✿
でもだからと言って「ぬるま湯ばかりに浸かっている人生」では、元来が怠惰である私達は目覚めない様にも生まれついている様でございますねぇ…。(こちらは残念ながら!? (笑) )
(^^;(^^;;(^^;;;
ちなみにこれは私の見解ではありますが…。
若い時には若い時にしか味わえないものを、大いに楽しむ経験をする。
そして年老いた時にも、若い人には味わえないその深い経験を大事に生き切る。
その様に移り行く一瞬一瞬の輝きを自分で楽しみながらも、必ず変化して行く若さや美しさというものに固執せず、自分のあるがままを受け入れるという心掛けが、私は人間の心の健康にはとても大事なのだと思います。
(*^^*) ~ ♡
執着する心ほど人間を醜くし、自分自身を苦しくさせるものは無いからですね~。
《 ゚Д゚》!!
ちなみに私は、老いて行く事は自然に受け入れるアンチ・アンチエイジング派ではありますが、
清潔感を失わない、良い雰囲気の漂う健康的なおばあちゃんには成りたいと思いますし、
自分の体の感覚が、できればいつも "心地好い" と感じられる為の努力はしたいと思って生きております♫ (笑)
(^^✿✿✿
只、人間はできるだけの事をしていても、病気や事故に見舞われるという場合もありますからね~~~。
でももしそうなったとしても、その因果をキチンと受け止める覚悟を人間はいつも持って生きるべきだとも私は思っております。
☆_(_☆_)_☆
因果の法則を正しく理解すれば、"全ては起きるべくして起きる善きもの" だからです♫
全てのものに感謝~~~♡
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このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年