何が何処でどう繋がって行くのかは、誰にも分からない - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月23日更新

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何が何処でどう繋がって行くのかは、誰にも分からない

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「この世の全ては繋がっている」

この様な視野が有る人と無い人では、見えているものへの判断が真逆になってしまう場合が往々にしてありますね?

(^^;」

 

全てが繋がっているのだけれども、視野の狭い私達人間には「何時、誰が、誰に、どの様な影響を与えているのか?」という事は、本当は誰にも分かりません。

《 ゚Д゚》?

 

そして私達は自分の強いエゴが混じる主観で、偽善的に物事を見て判断してしまう事がとても多い。

ですので何かを発信する人の意図というものを理解するには、エゴの抜けた人でなければその判断は本当はとても難しいものなのです。

《 ゚Д゚》!!

 

 

それなのに人間という者は、何故本人でもないのに、当事者でもないのに、自分の見た範囲の中だけで「この人はこういう人で、この様な意図でこの様な事をしている」と勝手に無責任に決めつけられるのだろう???」と私はとても不思議に思うのです。

(^^;;

 

そして、そこに私は人間というものの性(サガ)を視てしまうのです。

( ・・) ~~~ ▲

 

ついつい他者に対してしてしまうその様なものの見方というのは、正にそれを判断する人が「自分がこの様な行為をする時は、この様な意図でする」という、自分の内面を相手に投影しているに過ぎないのですが、

 

そういう判断を他人に対してしたがる方というのは、そういう視野がご自分に無いから「他人に対して判断する」というお節介で傲慢な事ができてしまうのでしょう。

 

何故それが "傲慢な行為" かと言うと、私達が第三者に対して「あ~だろう、こ~だろう」と判断する行為は、「自分に "無責任" でいられる」行為だからです。

(^^;;

 

私達が "自己責任" というものを持てるものは、自分が「こう感じる」「こうしたい・したくない」「されたい・されたくない」という事をお伝えするという行為以外は実はありません。

「自分が感じる事を、直接本人に伝える事」以外には、私達が "自己責任でできる行為" は本当は無いのです。

( ・・) ☆彡

 

真の発信者というものはそういう事を良く理解しています。

ですので自己責任の元に、自分の言葉で自分の思いやメッセージを発信したとしても、

 

それを受け取る側がそのメッセージを「どの様な視野で、どの様な感性で、どの様な事を感じて何を学ぶか、或いは学ばないか」というのは、各人の自由であるという視野で「それぞれの相手に委ねる」だけなのです。

 

そして受信する側の立場でも、各自の自己責任でできる事は「自分はこう感じる」という行為しかないという事と共に、

 

第三者の成した行為に対して「良い・悪い」の判断をしたり、自分ではない相手に対して「こう感じているだろう」と憶測する行為や「こうするべきだ」という押し付けは、とても無責任でお節介な行為であると知っているのです。

 

 

「この世のものは、全てが繋がっている」

 

 

だからこそ、人は色々なものからそれぞれの感性で学んでいる訳で、その人の生活環境の中だけの狭い世界だけが、その人に影響を与えたりしている訳ではないという事でもあるのですね。

《 ゚Д゚》☆彡

 

 

例えばこの私のコラムだって、読まれた方に良くも悪くもどの様な影響を与えているのかどうか?

又、その波紋がどこにどの様に繋がって行くのか?などというのは、視野の狭い私達人間には誰も分からないのです。

 

 

★ 自分の発信するものに対しては「受け取り手がどの様な解釈をするのか?」という、その様々なケースを覚悟の上で「自己責任」を持つ事。

 

★ 自分が発信したものに対し、相手がどう感じるか?という事に関しては「相手の事は、相手に委ねる」という、相手の自由を奪わない視野を忘れない事。

 

★ そして、もし自分が発信したもので誰かの発想の転換に繋がり、その方の視野が拡がったり、何かを学ぶ事で気付きに繋がったり、そうしてその人が人として大きくなって行く事を感じられた時に嬉しく思える事。

 

 

これらの事を熟知している者が、「真の発信者」に成り得るのだろうと私は感じております。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

何故なら「全ては繋がっている」ので、自分の発信したものも又、自分に返って来るからです。

真の発信者の理解とは、その様に「自分の発信するものには自分で責任を持つ」という事なのです♫

(^^ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

 

 

 

空は果てしなく大き~~~い♫

(^^♫

 

 

 

「自己責任の行為」とは、自分の成す行為が因果の法則に従い、自分の「因」に成って行く事を熟知していて、その「果」をキチンと自分で受ける覚悟をしている事を指します。

 

ちなみに皆様は、ご自分のされる行為にいつもその様な覚悟はお持ちですか???(笑)

(・_・;)

 

もし人間というものが、皆その事を理解し行動するならば、

皆が自分の行為に自己責任を持ち、その結果に覚悟を持った上で行動していると分かるならば、

 

人に対して過干渉に、勝手な自分の憶測で「判断する」という行為も無くなり、

相手に対して「こうするべきだ」という押し付けの発想が無くなる分、

 

皆もっと自由に素直に大らかに、自然に「自分を表現」して生きていけるのだろうなぁ!と私は思います。

《 ゚Д゚》~ ✿

 

 

その様に、お互いが自立した "自己責任" の意識に来ない限り、私達は絶えず「自分の正義を人に押し付ける」という偽善の行為から生まれるお互いの誤解や諍いから解放される事は無いのだろうなぁ!と私は思います。

《 ゚Д゚》☆彡

 

本当に人間とは「自分の立場でしかものを見る事ができない」という哀しい性(サガ)の持ち主なのだと、つくづく感じる事の多い、今日この頃の私なのでありました。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年