禅 その5 - 心と体の不調全般 - 専門家プロファイル

荒木 健治
自然治癒力研究所 代表
愛知県
心理カウンセラー

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対象:心と体の不調

茅野 分
茅野 分
(精神科医(精神保健指定医、精神科専門医))
茅野 分
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(精神科医(精神保健指定医、精神科専門医))
茅野 分
(精神科医(精神保健指定医、精神科専門医))
市原 真二郎
(カイロプラクター)

閲覧数順 2024年04月24日更新

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 前回案内しました白隠禅師坐禅和讃を紹介します。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
それ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
その品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を証すれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり 

 以下、解説です。

私たちは本来仏なのです
それは水と氷の関係のようなもので
水がないと氷ができないように
私たちをぬきにして仏はありえません
ところが、私たちが仏であることを知らず
自分の外に仏があると思ってあちこち探しまわっている
それは水の中にいて
のどが渇いたと叫んでいるようなものです
また、裕福な家の子に生まれたのに
貧しい里をさまよい歩いているのと同じです
いつまでも迷いの世界から抜け出すことができないのは
自分の境遇をくよくよと 嘆くからです
その長い長い闇を通り抜けて
生きる・死ぬという想いから離れることが肝心です
そのために「禅定=こころを落ちつける」という行いは
わたしたちにとって大きな支えとなることでしょう
他人への施しや自分自身への戒めなどの行うべきこと
お念仏や懺悔(反省)、他力の信心、自力の修行など
数々の善行がありまが
それらはみんな「禅定=こころを落ちつける」の中に含まれるのです
ひととき、心を落ち着け坐った人は
迷いや悩みごとなど実はなかったんだ、と気付くのです
悪い出来事などいったいどこにあるというのでしょう
浄土は今ここにあるのです
ありがたいことに、この法(おしえ)を
一度でも耳にしたとき
讃え、喜び、信じ、受け入れる人は
必ず幸福を手に入れるでしょう
ましてや自ら修行して
本来の自分を感じとることができれば
迷いや不安などはなく
それはもう、すでに煩悩から離れているのです
私たちは今、仏と一体となり
このただひとつの真実を歩んでいきましょう
真実には本来決まった形がないことを感じ
どこに行っても、こころの安らぎを見いだしましょう
こだわらず、心おだやかに毎日をすごせば
行いが そのまま仏法となりまわりの人を救います
こだわりのない心は、大空のように自由に果てしなく広がり
煩悩を離れた清らかなお月さまが輝いています
このような時、ほかに何を求めるというのでしょう
心が静まり、究極のやすらぎが得られた今
この世がそのまま浄土であり
この身がそのまま仏なのです

 どうですか。
「衆生本来仏なり」で始まり、「この身即ち仏なり」で終わって凄いお経だと思いませんか。
私達は、今の自分では駄目だと変えようとしたり、違う自分に向かおうとしたり、でもそれって今の自分ではないから、苦しみ、恐れ、不安、不幸、等を作り出してしまっていますよね。
このままの自分がブッダ(仏)なら何も帰る必要はない訳で、それに気付いたら悟りの境地と言えるのでしょうね。




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