- 橘 凛保
- 社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
- 東京都
- マナー講師
対象:婚活
- 舘 智彦
- (しあわせ婚ナビゲーター)
給食・会食・晩餐会
カンナでご縁を結ばせて頂いたインドのカンナ大使さんが
日本にいらしているので
日本文化体験へのお誘いを致しました
「お抹茶は頂いたことがありますが 茶室は初めてです」
と答えてくれたのはインドの高校2年生のSちゃんです
インドにカンナ・プロジェクトのリレーを繋いでくた高校生です
お母様は日本人 お父様がインドの方です
現在はインドにお住まいです
早速 いつもの茶道の子どもたちと放課後お茶会を致しました
限られた子どもとだけの交流ではもったいない
そう思い 一か八か学校に相談してみました
「インドから高校生がみえます」
児童の皆さんがインドのことを知るきっかけになってくれたら
そう思ったからです
機会は多ければ多いだけよいと思うからです
急なことにもかかわらず
6年2組の担任の先生が手を挙げて下さいました
この瞬時でのご対応は素晴らしいと感じました
副校長先生のご配慮で
給食も頂けることになりました
インドのSちゃんにとっては 初めての給食です
共に同じものを食べる
この意味は深いですね
食べると言う行為がもたらす役割
深いですね
というわけで 「インドの話」の前に
一緒に給食を頂けたことは 子どもたちにとって
話すSちゃんにも
聞く6-2の子どもたちにも有効だと感じました
「食べる」という行為
「同じものを食する」という行為
会食 お茶時での懐石 晩餐会
そして給食も然りです
「食」がもたらす力です
日本で学校給食が制定されたのは昭和29年でした
教育の一環として全国で行われるようになりました
海外ではさまざまです
インドではお弁当だとSちゃんは話してくれました
宗教上食せないものもあり
給食はむずかしいのかもしれません
同じものを一緒に頂くことで生まれる親近感
これが 講話の前にあったことはほんとうに感謝でした
Sちゃんの社交的なご性格も手伝い
まわりの子どもたちとはすっかり打ち解けていました
もちろん彼女が日本語が話せることは大きな理由のひとつです
『言葉の壁』はやはり大きな壁ですね
さて
講話は英語で始まりました
日本人のお母様が通訳です
子どもたちは解らないながらも
聴こうとする姿勢が後ろから見ていても感じられました
内容についてはインドのカンナ大使来日②で書きたいと思います
話が終わり質問コーナーです
インドへの関心があるようでたくさん手が挙がりました
講話の内容への質問ではありませんでしたが
日頃から思っている関心事を次から次へと質問していました
Sちゃんも流暢な日本語で答えてくれました
「御飯は手で食べると聞いていますが・・・そうですか?」
「肉は食べますか?」
「インドのどの返に住んでいますか?」
「学校は楽しいですか?」
「お寿司は食べられますか?」
「女性が頭に巻いている布は何ですか?」
後から後からでました
メモを取っておけばよかったと思うくらいです
Sちゃんは笑顔でユーモアも交えて応えてくれました
和やかで楽しげな空気がながれていました
最後に「なぜ インドの高校生が来てくれたか」について
校長室の前に咲く真っ赤なカンナという花との繋がりを話ました
今年はカンナの花をみてインドを思い出すのでしょう
こうして 互いの国のことを知る
その繋がりの由縁を知る
お互いに違うところに気づき理解する
受け入れる
お互いに想いを馳せ合う
このことをカンナを媒体にして伝えているのが
『カンナ・プロジェクト』です
Sちゃんのお人柄が子どもたちを打ち解けさせ
たくさんのことを個人的にも話していました
アニメのこと 音楽のこと
英語であいさつしてくれる子たちもいました
カタカナ発音の日本人の私たちですので
Sちゃんの発音に戸惑いながらも聴こうとする姿勢
話そうとする気持ちが伝わりました
最後は皆でカンナスマイルの写真を撮りました
30カンナスマイルです
カンナで繋がる世界の友達
Sちゃんの英語でのスピーチに続く日本語での質疑応答
このカンナの株分け球根がインドでも咲いている
カンナ・プロジェクトHP canna-project.com
カンナは1945年8月あの広島の原爆投下のあと爆心地820mで1ヶ月で咲いてくれて
「生きられるよ!」をくれた花です。しかし、忘れ去られて60年。
今、子どもたちと再びカンナを咲かせ、世界中にバトンを繋いでいます。
「世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせよう!」