私は若かりし現役の頃、たまにサウナに行く事がありました。
( ・_・)
プロのバレエ・ダンサーの日常というのは、一日中スタジオでレッスンやリハーサルをして充分汗を流している訳ですから、普段はサウナに行く必要など感じないのですが、
例えば、たま~のお休みの日に自分で自習するだけの日とか、足を怪我したりして体を動かせない様な時に、こもった汗を出したい様な感覚でサウナを利用したものでした。
(^^♪
都内某所のそのサウナでは当時、私が行く時に必ずお会いするプロのモデルの方がいらっしゃいました。(サウナの中で他の常連の方と会話される彼女の会話から、モデルをされていると知った私)
その抜群のプロポーションの美しい女性と、サウナの合間に入る湯船でも時々ご一緒になる事があったのですが、その時に私が感じた事は、彼女はいつもギスギスと心がささくれ立っている様な印象でした。
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それは例えば、湯船に入ったり出たりする時の彼女の粗雑な所作から伝わって来たのですが、「この人は自分の事しか見えていないのだろうな~」と感じる事が多く、
(^^;(^^;
或る時、湯船から乱暴に出て行く彼女は、お湯に浸かっていた私の顔に水(湯?)しぶきを思いっ切りかけて出て行ったのでビックリしたのですが、
(^^;(^^;(^^;
それには全く気付いておられない、彼女の感性の鈍さを見た時に私は、
「きっと彼女は職業上、食べたいものを節制しなくてはならないストレスや、いつも"太ってはいけない!"という強迫観念のストレスで、イライラされて生きておられるのだろうなぁ!」と理解できました。
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そして「いくら外見が美しくても、心の美しさや豊かさは、又別のもの」という事と、
逆に "美しい" という事が生み出す人間の傲慢さや驕りの様なものと同時に、
そういう美しく生まれた方達が陥る苦しみ = "美しさを失う" 事に、絶えず怯える「焦燥感」や「怖れ」というものがセットになっているという、その人間の哀しさというものも若い私は垣間見る事ができたのです。
( : :) ~~~ ★彡
私はダイエットに限らず、人が何かをする時には「心が豊かにならないならば、その行為には意味は無い」と思うのです。☆彡
例え、人が羨む様な美貌や理想的なプロポーションを得られたとしても、もしその事で心がささくれ立って行くなら、心が豊かになれないなら、人生としてそこに何の意味があるでしょう???
《 ゚Д゚》!!
…と、この様に私は若い頃から、人も自分もクールに観察してしまう癖(!?)が有ったのでございますが、
それは「今でも失われていないなぁ!」と、好意的に(!?笑)自分自身を感じております♫
(^^♪
若い時から「生まれて来たものは、必ず老い、死んで行く」というシビアな視野がある人と、そうでない人は、
人生への大きな視野から生まれる「心のゆとり」というものが、全然違って来る様に私は感じております。
☆_(_☆_)_☆
人間の人生は、「生まれてから、老いて死ぬまで」が人生でございます故~~~。
(^^✿
綺麗な朝日!☆彡 美し~~~い♫
(^^♪
若い時にもてはやされる「美貌」や「肉体美」ですが、年を重ねた時には逆に、それを失って行く時に味わう苦しみや不安から生まれる「執着」というものが激しくなるものなのかもしれませんね?
その時に、失われて行く事から来る「苦しみ」は、もしかしたらその方が「美しかった分」に比例するものかもしれません。(涙)
勿論それは人にもよりますが (若い時も、又年を召されても、お心もお姿も美しい人もいらっしゃいます♫)、
そういうバランスが、この世の法則でもあるのですねぇ…。
(: 。 :) ~ ☆彡
生きるって、シビアッす!(笑)
(・。・;
このコラムの執筆専門家

- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年