人が、他人を愛せるキャパシティ ② - 心・メンタルとダイエット - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:ダイエット

佐久間 健一
佐久間 健一
(ボディメイクトレーナー)

閲覧数順 2024年04月24日更新

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人が、他人を愛せるキャパシティ ②

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前回では「人間は、自分が自分を愛している分しか、他人を愛する事はできない」という真理は、親子関係にも当てはまるというお話しでした。_(_^_)_

 

それでは今回は、私なりの観方で、こんがらがった親子の関係というものを分析して参りましょう。

_(_^_)_

 

 

今からお話しする事は、どなた様もまず、ご自分が「子供」という立場として、考えてみて下さい。

何故なら、現在「親」である方々も、且つてはご自分が「子供」であったからです。

 

 

人は「親」という立場になられると、どうもご自分も且つては「子供」だったという事実を、特にお子さんを前になさると、すっかりお忘れになる性(サガ)をお持ちの様ですね!?(笑)

 

そして現在「子供」の立場で悩まれておられる方達も「且つては自分の親も、自分と同じ(子供という)立場だったのだ」という視野で、ご自分の事と同時に、親の事も一緒にそう捉えて考えてみて下さい。

 

つまりどちらのお立場であっても、一旦「親」や「子供」という立場から離れ、お互い同じ経験をしている人間同士という捉え方で視野を広げて考えて頂くと、より今のご自分の「親子関係」への理解が深まると思います。

_(_^_)_

 

 

子供の立場から考えますと、親との関係を通して生まれる苦しみというのは、「私は親から愛されていないのではないか?」という思いではないかと思います。

 

又、子供という、本来純粋で優しい存在は、元来親から「愛されたい」だけでなく、「愛したい」という気持ちが、親子ですから当然ある訳ですが、

連綿と受け継がれている「家系のカルマ(人生の宿題)」により、親子関係が複雑にこんがらがってしまうと、その子供の優しさは、やがて「怒り」「憎しみ」「恨み」「卑下」「自己憐憫」「罪悪感」というものに姿を変えてしまいます。

 

優しい子供ほど、幼い時には、

 

「親を悪く思っちゃいけない」

「親は私を愛しているはずだ(と思いたい)」

「親ではなく、私が悪いのだ」

 

という様に思い、その様に考えてしまう「思い癖」が、知らず知らずに心に巣食ってしまいます。

 

 

そうして子供が自分自身を責めたり、持たなくて良い罪悪感を自ら植え付けて、自分を卑下してしまったり、投げ遣りな性格になってしまったり、

又、親から経済的なものを盾に、自分の人生の全てを「親にコントロールされている」様に思わされる様な弱い立場でもある子供は、自分に「無力感」を感じて生命力を失うという事もあります。

 

特に、感情的になってしまう親を持った子供は、親の機嫌を損ねると、その罰として、

 

「自分の欲しいものは得られない」

「自分のやりたいものを、やらせてもらえない」

 

ものなのだと理解し、脳にインプットされてしまい、年中親のご機嫌を伺う様な子供になってしまったり、「自分は愛されていない」「自分は価値の無い人間」と感じたりしてしまうのです。( ; _ ; )

親の方にはそのつもりは無く、又自覚が無い場合も多いのですが、子供に取っては理由も無くその様な気持ちになる事は有り得ません。

 

 

では何故子供の心は、その様な受け取り方をしてしまうのでしょうか?

その原因は、私はその家庭内の空気感から生まれていると思います。

 

 

親が「私は子供や家族の為に、これだけ我慢をしている」と言動や、そういうピリピリした、或いは暗い空気感が家庭内にある。

「お前は親じゃないから解らない」という様な、子供の立場である者に言われても、不可能でどうしようもない「親である事」だけを理由にされ、言い聞かせようとする。

又「子供だ」というのが理由で、自分の話す事を聞いてもらえない。(一人の人格として、扱われない)

 

 

この様に、親自身が放つ「自分は家族の犠牲者」や「独裁者の様な雰囲気」という、子育てや家庭に幸せを感じられない空気感が家庭内にあるので、優しい子供には「自分のせいではないのか? 」「私は本当に愛されているのだろうか?」と思う様になるのです。

 

そして、親の「お前の為にこんなにしてやっている」という犠牲的な空気感から、親に何かされても、子供はその「重い波動」をキャッチしてしまいますので「受け取りたくない」と感じてしまうのです。

 

子供に取っては、そこには親からの「無償で与える喜び=愛」が感じられず、ただ「犠牲的なもの」として、自分の罪悪感を刺激するものに感じてしまうからです。

 

今、親になられておられる方達も、もしかしたら且つては、そんなお子さんでいらしたのではないですか?

 

或いは「自分を持たずに、親から言われた通りの優等生で "流されて" 漠然とした人生を歩まれてしまっていた」か?(そういう方も、心の中はとても複雑な罪悪感や劣等感に縛られています)

 

 

もし親が自分の子供時代に、本物の愛情(※ここ重要ポイントです!)で、自分のやりたい事を存分にやらせてもらえるなど、「親から愛されていた」という実感のある方が家庭を持たれた場合には、子供がそんな思い癖を持ってしまう様な空気の家庭には決してならないのではないかと私は思います。

 

その様に、お子さんが自分に持ってしまう「罪悪感」は、実は親御さん達の深層心理に在るものから、連鎖で生まれているのです。

親御さんが、そういうものをご自分では消化し切れないまま、そしてその自覚が無いまま、家庭を持ってしまった事に原因があるのです。

 

 

ですので、子供の立場で苦しんでおられる方。

どうかご両親を許しておあげになって下さい。

親御さん達も、且つてはあなたと同じ「苦しんだ子供」だったのですから。

 

 

そしてどなた様も、親から「愛されて」います。

 

 

でも親は「完璧ではない」という事。

(親というものは、何故か子供に取って「完璧」で在りたいと思いたい様ですが・・・!?(笑) )

 

 

親も未熟な「人間」なので、100%は無いのです。

ですから、親も「自分を愛している分しか、子供を愛せない」という事実を、どうかしっかりと理解して差し上げて欲しいと思います。

 

けれど、そういう中でも親御さんという存在は「自分の出来得る限りのベスト」の愛情は精一杯、いやそれ以上に子供に注いでおられると私は思います。

自分自身を愛している分と、同じパーセンテージの中では、精一杯に・・・!

 

 

親に取って、自分が持っているキャパシティの中では、最大限に子供を愛している事は間違い無い。

私はそう感じます。《゚Д゚》☆彡

 

 

ですので、親の立場である方も、そういう視野でご自分をご覧になり、そして又、ご自分が子供の立場だった時に「立ち返って考えてみる」という謙虚さは、必要ではないかと思うと同時に、

子供の立場である方は、「親も子供だった時がある」という視野で考えられる様になると、お互いの理解が深まって行き、わだかまりも解けていくのではないでしょうか?

 

どちらの立場も「一生懸命生きていらっしゃる」事には、間違い無いのですから・・・。☆彡

 

「親である事」とか「子供である事」などの垣根を取って、お互いが一人の人間であり、又未熟な人間同士であるという事が解れば、「お互いに許し合う」という事が可能になります。

 

もしそれがお互いにできたら、

 

「お前を生んで良かった」

「私を生んでくれてありがとう」

 

という、相互に感謝できるハッピーエンドに近付いて行くのだと、私は思っております。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

本物の愛は、太陽みたいに温かいものです。☼

それが例え、時に厳しい愛だとしても、本物である時は「ピリピリした空気感」や「重たく暗い空気感」という違和感や不調和は起こりません。

 

そして又、「お互いを許し合う」という行為も又、素晴らしい愛の行為です。♡ ♡ ♡

 

 

尚、今回は全ての人の根である、「親子関係」をテーマにお話しさせて頂きましたが、この法則は全ての人間関係にも当てはまります。☆彡

 

 だって、且つては誰もが「子供」だったのですもの♫

(^^✿

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年