神奈川の地震:フィリピン海プレートの話 - 地震・津波(耐震・地盤・液状化) - 専門家プロファイル

中舎 重之
建築家

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松島 康生
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(危機管理/BCP/防災計画コンサルタント)
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閲覧数順 2024年04月18日更新

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神奈川の地震:フィリピン海プレートの話

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      神奈川の地震:フィリピン海プレートの話

  「動かざること山のごとし」と詠まれた言葉は、アジア大陸、ヨーロッパ大陸、

アメリカ大陸のような地球の地殻の安定している所の話です。

日本列島のように常に地震や火山の活動の活発な地殻変動のある場所には、

当て嵌まりません。

 フィリピン海プレートは南の海から日本列島に向かい、年間4cmのスピードで絶え間なく北上しています。

そして相模トラフ、駿河トラフ、南海トラフの割れ目から日本を乗せている陸上プレートの下へと潜り込んでいます。

当方が住む神奈川には、北上するプレートに乗って本州へと運ばれてきて、

本州にぶつかり、沈み込むこともなく日本列島の一部になった南の島を二つ見る事が出来ます。


 一つ目は、丹沢山地です。今から600~400万年前に本州に突き当たる出来事です。

衝突の境界は、丹沢山地の北側でJR中央線と中央高速道路が通る関東山地の南縁です。

  二つ目は、200~100万年前に起きた伊豆半島の付着です。 

衝突の境界は、JR御殿場線と東名高速道路の通る丹沢山地の南縁です。


 フィリピン海プレートが年間4cmで北に動いている証拠は、

丹沢山地に現象として間近に見ることが出来ます。 

丹沢山地の地層が、本来の水平の縞々ではなく、垂直方向へと90度近くの縞々になっています。

南からの圧力により地盤が盛り上がった結果です。褶曲と云うそうです。

それと丹沢山地が南の島である証拠は、南海に存在していたアンモナイト等の化石です。

これも崖地に多数露出しています。当方もこれらを眼にした時には不思議な感覚になりました。

驚きとは違う何か別なものでした。


  丹沢山地の褶曲運動は、現在進行形で続いています。丹沢が上へと伸びているようです。

此の造山運動の代表格が、インド亜大陸とアジア大陸の衝突です。

ヒマラヤ山脈のエベレストの頂上が、今でも天へと向かっています。

やはり神々の山と呼びたくなります。


  此の大陸移動説は1910年頃、ヴェゲナーが唱えました。

1965年頃になり世界的に認識されだしました。日本では、1973年に小松左京氏が

此のプレートテクトニクス理論を使い「日本沈没」を小説にしました。

映画にもなり大ヒットしました。

  海洋プレートの沈み込みに、日本列島が引きずり込まれて日本が沈没すると云う物語でした。

ですが、丹沢山地や伊豆半島のぶつかりで判るように、

大陸を形成しているプレートは比重が小さく軽い、海洋プレートは比重が大きく重いので、

「日本沈没」は起きないようです。


 此の海洋プレートの沈み込みの時に、陸のプレートとのマサツとヒズミにより、

日本の海洋での地震を大きくしています。各地の地震に70年(小田原地震)、

150年(東海地震)、200年(関東地震)の繰り返し期間をもたらしています。

3年前には、1000年に一度のマグニチュード(M)9の東日本太平洋沖地震がありました。


 地震の大きさの話です。マグニチュード(M)が一つ違えば、エネルギー換算で32倍になります。

阪神淡路大震災はM7ですから、東日本の地震のM9を計算すると、32x32=1000倍という、

途轍もなく大きい超巨大地震であることがお分かりになると思います。

 阪神淡路大震災の地震の正式名称は、兵庫県南部地震と云います。

県の一部で起きる大地震(M7クラス)である事を示しています。 

東海地震は県単位を越えて数県に跨る巨大地震(M8クラス)であると理解して下さい。


  伊豆半島の東側の相模トラフで起きる地震は、M7クラスの小田原地震とM8クラスの関東地震があります。

相模トラフは日本海溝に続く伊豆・小笠原海溝から枝分かれして相模湾の中央を内陸に向かいます。

此のトラフで起きた地震を海溝側から記しますと、

1605年M7.9、<間隔98年>1703年M8.2、 <間隔220年> 1923年M7.9となります。

1923年の震源は相模湾沿岸です。


 伊豆半島の西側は、駿河トラフ・南海トラフと西に海底の亀裂が走ります。

此の両トラフでの地震は、1605年M7.9で震源は紀伊半島沖(南海トラフ)ですが、

此の時は伊豆半島の西岸から四国足摺岬までの広域を巨大津波が襲いました。

しかし、地震動による被害の記録がなされていません。

1707年M8.4で震源は熊野灘(南海トラフ)ですが、地震は、駿河湾、遠州灘、熊野灘、紀伊水道沖、土佐沖と日本

列島全体が揺れました。


 1854年には、30時間の間隔で連続して起きます。

1回目はM8.4の遠州灘(駿河トラフ)、2回目はM7.9の熊野灘と東から西へと亀裂が走りました。

此の時も、前回と同じく日本列島全体が揺れています。

  1944年M7.9で震源は熊野灘、1946年M8.0で震源は紀伊水道沖と2年の間隔にて、

東から西へと地震が発生しています。


  伊豆半島を挟んで東と西で地震が発生する時期が同じである事にお気づきでしょうか。

1703年の相模トラフと1707年の南海トラフが連動しております。

此の地震の49日後に富士山が大噴火しています。

 1853年に相模トラフで嘉永小田原地震M7が起き、翌年1854年に駿河トラフに地震、

その30時間後に南海トラフにも地震が連続して発生しています。

翌年1855年には東京湾で安政江戸地震M6.9と続きました。

小田原をスタートして、西で2回のM8クラスが有り、最後が東京湾でした。

  1923年の相模トラフで大正関東地震が有り、21年後の1944年に南海トラフで昭和東南海地震、

2年後の1946年の昭和南海地震と三つがM8クラスの巨大地震が連動しています。


 此の時に駿河トラフが静かであったことで、駿河湾に空白域が出来ました。

故に50年後の1994年に、東京大学の石橋先生の警告が世に出ました。

東海地震の切迫性が叫ばれ、地震予知の為の観測がスタートしたのです。


  日本列島は、地球を覆っている十数枚のプレートのうち4枚のプレートがせめぎ合う世界的にも珍しく、

さらに最も活発フロントに位置しています。

陸上では、糸魚川・静岡構造線を境にして、西はアムールプレート(ユーラシア)であり、

東はオーツク海プレート(北米)になります。 海洋では、伊豆・小笠原海溝を境にして、

西はフィリピン海プレート、東は太平洋プレートになります。


  注目すべきは、神奈川の相模湾と千葉の房総沖の2カ所に三つのプレートがぶつかり合い、

せめぎ合う場所があるという事です。

 太平洋プレートは、水深9000m級の日本海溝よりオーツク海プレートの下に潜り込み、

日本海を越えてウラジオストクの下にまで達しているとの事です。

フィリピン海プレートは水深2000m級の相模トラフ・駿河トラフ・南海トラフよりアムールプレートの下に潜り込み、

本州の中央部に達しているようです。


  最後にフィリピン海プレートと本州との境界の話です。

東端は相模トラフから酒匂川沿いに北上して、箱根と富士山の北側を廻り込み静岡県の富士川を南下して、

駿河トラフに戻ります。

本来は海溝とトラフは日本列島に沿って走るのですが、伊豆半島の衝突によりトラフが、

本州の内陸に消えている状態です。富士山はフィリピン海プレートの北限にあります。

富士山のマグマ溜は、境界プレートでフィリピン海プレートの圧力をガードされています。

境界プレートで地震が起き、ガードが外れると富士山の大噴火となります。


2014年9月  中舎重之    ホームページ: スーパーフレーム「やすらぎ」 にて検索