依存症と共依存
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昨日は渋谷区の精神保健講演会という2時間の無料講座に突然参加してみました。
講演者はお医者さんで「自分と家族のための依存症講座~アルコールとギャンブルでお困りの方へ~」というテーマに惹かれ行ってみたのですが、あいにく新たな情報らしきものは特になかった感じで、やはり依存症にすごく効く薬などはなさそうだし、援助グループなどへの案内などが主。
質疑応答に入り、やっと「依存を助ける側の人の存在=イネイブラー(enabler=「可能にする人」)」の話が出ました。私も質問用紙に「共依存」の話をするようかきましたが、結局、後半残って参加していた人たちのほとんどは、そこに一番関心があったようです。
つまり、多くの方の参加動機は、おそらく「家族を助けたい」のでしょうね。
何をすることで「依存症を助ける」ことになり、ますます悪化させてしまうのか?周囲はどんな対応をすれば、本当の意味で治癒への助けになるのか…?
残念ながら、「共依存」から脱却した成功事例のような話はほとんど聞けませんでしたが、「イネイブラーとは、『私だったらできるはず。』と思っている人」とのこと。
「自分が助けているんだ。やめるともっと深刻化してしまう」という強固な信念があるそうです。
だから、実際はその本人が自力で立ち上がる事なんて信じてないのかもしれないですね、きっと。「私がいなけりゃ死んじゃう」と強く思っている。としたらそう思われている本人は、だからこそ、自分が「自立できるなんて信じられない」と感じる!
以前、「お母さんがアルコール依存」という方をカウンセリングしたことがあります。
時々らしいのですが、呑んでしまうともう手が付けられない状態で、働き先も首になっちゃったり家の中に浸り込んでただただ呑み続けてしまう、と。「なので、自分が行って部屋をあけ、全部お酒を捨てて、部屋をきれいにして帰って来るんです。母はそれをすごく嫌がって、『自分でやらせて』と言い張るんです。」と。
その方も、自分自身がイネイブラーだなんて信じられなかったでしょうね。でも「私がいなけりゃ」と思っていたと思います。
実際「自分でやらせてって言っているんだからそうしてみては?」と私が提案すると「え?でもそんなことしたら死んじゃうかも…」と言っていました。
「そうだよねー。でも、もし死んじゃったら、それは寿命だと思ってあきらめようよ。『自分でやりたい』っていってるんだから、『お母さんを信頼するね』って任せては?」と言ったら、さめざめと泣きながら納得しました。
後日聞いたら、あれからはお母さんが飲んでしまっても自分が片付けには行かなかったそうで、時間はかかっても、死ぬまで飲むなんてことはなく、ちゃんと自分でその都度立ち直ったようでした。
昨日の講演でも言っていた言葉。
「イネイブラー自身が『依存』と向き合うと、クライアント本人も向き合える」と。う~ん、深い!
あ~もっと事例が欲しかったなあ。
実際これは、病的な通常の依存症だけでなく、子育てしているお母さんとか、男女関係とか、教育の現場にいる人などにも共通のテーマがありそうで、裏を返すと、なんだか実に希望が持てる!…と、感じました。
つまり、「かかわる相手を心から尊重し信頼して行くことで、必ず本人も依存と向き合える」んだと♪まず、自分が尊重し信頼する、だけでいいんですもの!
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