カンナの想い - 婚活全般 - 専門家プロファイル

橘 凛保
社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
東京都
マナー講師

注目の専門家コラムランキングRSS

対象:婚活

舘 智彦
舘 智彦
(しあわせ婚ナビゲーター)
舘 智彦
舘 智彦
(しあわせ婚ナビゲーター)
舘 智彦
舘 智彦
(しあわせ婚ナビゲーター)
舘 智彦
(しあわせ婚ナビゲーター)
舘 智彦
(しあわせ婚ナビゲーター)

閲覧数順 2024年04月24日更新

専門家の皆様へ 専門家プロファイルでは、さまざまなジャンルの専門家を募集しています。
出展をご検討の方はお気軽にご請求ください。

カンナの想い

- good

  1. 人生・ライフスタイル
  2. 婚活
  3. 婚活全般
講習

1945年8月6日

時計の針は8時15分をさしたまま止まりました
その朝 私は夏の暑い日差しをいっぱいに浴びて生まれた
小さなつぼみのカンナでした
子どもたちが元気に学校に行くのを見ていました
子どもたちは私に声をかけてくれます
私も緑の葉っぱをいっぱいにゆらしてこたえました
後からお母さんが忘れ物を持って追いかけてきます
さっき 私にたくさん水をくれた隣のおばさんが
洗濯物を干しています
向かいの若い奥さんがお弁当を持って出てきました
「あなた お弁当」

戦争の世とはいっても
いつもとかわらない 暑い夏の朝だったのです


午前8時15分・・・・・

忘れてはならない 1945年8月6日 午前8時15分

私も爆風に飛ばされて 小学校まで来ました
やけどを負った親子の上に落ちました
さっき 私に声をかけてくれたあの女の子でした
忘れ物を届けたあのおかあさんでした・・・・



あまりに惨い 夏の朝でした



それからひと月が過ぎました・・・・

ほら 私を見て下さい 
私は今日も咲いています
たくさんの尊い命を頂いて
しおれてなんていられません
メソメソしてなんていられません
いのちはあるのです
ほら 私を見て下さい いのちは生きています
いのちを繋いでいきましょう
堅実な未来のために
いのちを伝えていきましょう
大切な未来のために・・・・

ほら 私を見て下さい
           ー広島に咲いた希望の花カンナ 橘 凛保作 抜粋ー

絶望の淵にたたされた時
真っ赤なカンナが咲いてくれました
明日は私の番・・・そんな時
真っ赤なカンナが咲いてくれたのです
爆心地820m 真っ赤なカンナが咲いてくれたのです
                               橘 凛保










戦後から59年の月日が流れた2004年
人々はすっかり私(カンナ)を忘れました
復興は過去を振り返らないことではありません
未来を作るのは過去を忘れることではありません

過去を見つめ
過去を知り
だけど 過去をひきずらないこと
過去と二人三脚で「未来」に向かって
ただ たんたんと歩くこと
平和は勝ち取るものではありません
たんたんと積み上げていくもの

原爆資料館を初めて訪ねた一人の女性が
資料館の悲惨な展示物を見るたびに
何もして上げられない自分を呪いました
「助けて!」の声に何もしてあげられない自分を呪いました
帰るに帰れない現実の世界
このまま ここをみすてて外へ出られない
そんな思いで歩いているのを私(カンナ)は見つけました

私(カンナ)は その女性を誘い(いざない)ました
「さあ こちらへ」

『75年は草木は生えないと言われたこの広島にひとつのいのちが芽生えました』

その女性は ほっと笑みを浮かべました
そして
「このことばに助けて頂きました」といいました

白黒の写真でしたが 私を真っ赤だとちゃんと見てくれました

そう 私は真っ赤なカンナです


彼女の旅は始まりました
私の物語を書いて私を伝えてくれました
私が本当に真っ赤なのか それとも他の色なのか探してくれました

子どもたちと咲かせてくれました

球根が増えるのを知ると
今度は私をバトンにして日本中の子どもたちと咲かせてくれました
世界にも咲かせてくれました

ただたんたんと

「原爆にも負けないで 爆心地820mに1ヶ月で咲いてくれた花なんですよ」

ただただ たんたんと私(カンナ)を咲かせてくれました

もちろん長崎にも
もちろん沖縄にも
東京・大阪にも・・・・

私が苦手な寒い東北の被災地にも 
彼女は勇気を奮い立たせて咲かせてくれました
ただ 被災地に真っ赤なカンナが咲くことを思って

「世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせましょう」

そういって 寒さにも勇気をもって向かってくれました
東北の被災地に見事に咲きました
東北の人たちに笑顔を届けました

花が咲くことを「花笑み」といいます


北海道にも見事に咲きました

そしてその球根は 今 カナダで芽をだしています

子どもたちからの願いは「アメリカに咲かせてほしい!」でした
私(カンナ)もそう思っていました
彼女は原爆のもとになるウランの発掘された地
アリゾナ州にもバトンを繋いでくれました

こうしてただたんたんとカンナを咲かせて歩く姿に
多くの人が共感するようになりました
しかし 無償の行為は資金源を見いだせず
人々の共感も感動も次第に薄くなっていきます

それでも彼女はただたんたんと歩みます

戦後60年を迎えるころから
再び私(カンナ)は咲くことが出来ました
そして 世界中に咲くことができました

彼女はいいます

相手を受け入れることが大事です
でもとても難しいです
お互いに想いを馳せ合うことが大事です
でもとても難しいです

カンナをバトンにして繋いでいったのならば

もしかしたら この難しいことでも 
少しの人でもいい その心に響くかもしれない

そう信じたい

カンナをバトンに繋がった人たちが
ひどい目に遭うことを だれも望むはずがない

ただ たんたんとカンナをバトンすること
ただ たんたんとカンナを咲かせること

きっと 心は通じ合うはずと信じたい
国境も 人種も 宗教も イデオロギーも越えたところに平和はあります
そして それはけっして遠いところにあるのではないのです
すぐそこにあることだと 人々が 気づくことなのです

そう言って彼女はたんたんとカンナを咲かせます


「カンナから元気をもらった人は
今度は誰かに元気をあげて下さい」

「カンナを見て笑顔になってくれた人は
どうぞ 誰かに笑顔をあげて下さい」

花が咲くことを「花笑み」といいます

冬の寒い時 花が咲かないときも
人の笑顔はあります
寒くてカンナが咲かないところにでも
人の笑顔はあります

「世界中の人の心にに平和と希望の花を咲かせましょう!」



ただ たんたんと 私(カンナ)を咲かせて世界中を旅する彼女を
私は「花咲か冒険家」とよんでいます

未知の世界に向かい
ただ1歩1歩 たんたんと歩む 冒険家です

私(カンナ)はこの冒険家のおかげで
今では たくさんの人に知ってもらい
たくさんの人にかわいがっていただいています

どこかでカンナを見るたびに
「あ~ 原爆にも負けなかった立派な花だねぇ~」
と想いを馳せて下さいます

花のいのちは短いです
だからこそ
みなで繋いでいくことができます

私は強い花です
それは皆を元気にするためです

でもとても弱い花です
みんなの優しさがないと生きられません

みんなの笑顔が私を咲かせ
私がまたみんなの笑顔をつくる

カンナスマイルのリレーです
リレーはみんなで築く力です
勝ち取る力ではありません

みんなでカンナリレーを繋いでいきましょう
いつか カンナの想いでバトンがつながった時

世界中が真っ赤なカンナの絨毯で覆われる時
きっと 地球は平和を感じるでしょう

たくさんの笑顔がこぼれ 輝く星になるでしょう


最後に私(真っ赤なカンナ)の花言葉は 「堅実な未来」です

いつか「彼女の志」が「みんなの志」になるとき

堅実な未来は約束されるでしょう

それまで私(カンナ)は咲き続けます

ほら 私をみてください
私は今日も咲いています
しおれてなんていられません
メソメソしてなんていられません
未来はあるのです

ほら私を見て下さい
いのちは生きています
繋いでいきましょう  大切な未来のために
そして 伝えていきましょう  
堅実な未来のために

カンナ・プロジェクト 橘凛保
2014年6月3日 9:16