「これだけ言ったら普通はやりますよね。」
「ああいう集まりの時は、普通自分から挨拶しますよね。」
「会議が明日とわかっているんだから、会場の手配は普通やっているはずだよね。」
「ここに看板があったら、普通は気がついて店に入ってくるはずですよね。」
さて、あなたの「普通」って何でしょうか?
私たちは、「普通」という言葉をよく使いますが、これってひとによって微妙に解釈が違いますよね。冒頭の4つの例で言うと、
「普通はやる」・・・・しかし、やってくれない。言った方は、「やって下さい」と指示したつもり。でも、聞いた方は「やれ」とは言われていないので、やらなくて良いという方の判断をしたようです。確かに、言った方は明確に「やれ」とは言っていないのです。でも、自分ならばここまで言われたらやるな、と言うくらいは言ったつもりだったのです。
「自分から挨拶しない」・・・・異業種の集まりやセミナー、展示会など初対面の方同士の挨拶をする場面で、なかなか自分から周りの人に積極的に挨拶が出来ない。22歳の新入社員じゃあないんだから言われなくてもいけよ。この場は我々に取っちゃあ営業活動なんだぞ!と思っている上司。しかし、自分から声をかけるのが苦手で、ずっともじもじしている経理担当の課長・・・まあ、営業経験が無いから仕方が無いのかな。
「会場の手配をしていない」・・・・・今日が会議だとは予定表でずっと前からわかっていたはず。なのに部下は会議室の予約をしていなかったので、全室満室。だって部長が「会議室予約しとけ」って言わなかったから・・・・
「看板に気がつく」・・・・・店頭に床置き式の看板を設置した店長。店の目の前の通りには多くのひとが行き来しています。これで売り上げはかなり伸びるな、と期待した店長でしたが、通行人は看板には目もくれずに素通りして行くのです。
一般的には「普通」を使うときは、「世間一般的基準」で、その大多数が選ぶ方について使います。しかし、たまに「自分基準」で「普通」を使うときがあるのです。気を付けなくてはいけないのは「普通」以外の判断をした人に対して「おかしい」「間違っている」と考えてしまうことです。こうなると、自分以外の考えを否定してしまい、相手の立場や考えを理解しようとしなくなってしまうので、しまいには自分勝手な判断に陥るような事態になるのです。
このブログでも、「相手は自分とは違う」「ひとにはそれぞれの判断基準がある」「多様性を認める事から良い人間関係は始まる」と言うことをよく書いています。相手に対する承認、相手の考えを受け止めることから、相手を理解する意識がスタートします。「普通は・・・」とか「自分なら・・・」で判断していては、相手を理解する事は出来ないのです。
さて、あなたは「普通」という言葉をよく使いますか?
その時、「普通以外」の考えについてどの様に受け止めているかをちょっと感じてみて下さい。
もしも、「普通以外」を否定していたら・・・
ちょっと、自分勝手な自分軸に立ってしまっているのかも知れません。
気を付けましょう!
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