労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が否定された事例 - 民事家事・生活トラブル全般 - 専門家プロファイル

村田 英幸
村田法律事務所 弁護士
東京都
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労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が否定された事例

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相続

労働者災害補償保険法の業務災害の業務起因性が否定された事例

最高裁判決平成11年10月12日、遺族補償給付等不支給処分取消請求事件

訟務月報47巻3号650頁、最高裁判所裁判集民事194号1頁、判例タイムズ1018号192頁

【判示事項】 長年にわたり粉じん作業に従事しじん肺及びこれに合併する肺結核にり患した労働者の原発性肺がんによる死亡が労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たるとはいえないとされた事例

【判決要旨】 長年にわたりセメント原料等による粉じんの飛散している事業場等においてアーク溶接作業に従事しじん肺管理区分が管理3イと認められるじん肺及びこれに合併する肺結核にり患した労働者が原発性肺がんにより死亡した場合において、粉じん作業ないしじん肺と肺がんとの間の病理学的、疫学的因果関係の存否につき専門家の見解が分かれており、けい酸ないしけい酸塩の発がん性についても消極に解するのが現時の支配的見解であるほか、肺結核ないし結核性はんこんと肺がんとの間の因果関係も明らかとはいえず、他方、右労働者が重喫煙者であったなど判示の事情の下においては、右死亡が労働者災害補償保険法にいう業務上の死亡に当たることが証明されたというにはいまだ不十分である。

【参照条文】 労働者災害補償保険法7条1項

       労働者災害補償保険法(平7法35号改正前)12条の8第1項

       労働者災害補償保険法(平7法35号改正前)12条2項

       労働基準法75条、79条、80条

       労働基準法施行規則35

       じん肺法(平10法112号改正前)2-1

       じん肺法4-2

 1 本件は、労働者の死亡が労働者災害補償保険法7条1項1号等にいう「業務上の死亡」に当たるか否かが争われた事件である。本件の被災労働者は、セメント原料等による多量の粉じんが飛散している事業場等においてアーク溶接作業に延べ16年以上にわたり従事した者であり、肺結核、じん肺にり患したとの各診断を受けた後、結核により生じた空洞瘢痕部に発生した原発性肺がんにより59歳で死亡した。同人は、他方で、21歳から約27年間にわたる1日20本程度の喫煙歴があり、その後は喫煙本数が減少したものの、少なくとも57歳ころまで喫煙を継続したと認定されている。喫煙の程度を示すブリンクマン指数(1日喫煙本数×喫煙年数)は、少なくとも540であり、重喫煙者とされる400をはるかに上回っていた。妻であるXが、Yに対して遺族補償給付等の支給を請求したが、不支給処分を受けたため、その取消しを求めて本訴を提起した。

 第1審判決判例タイムズ761号192頁)は請求を認容したが、原判決(判例タイムズ888号186頁)は、本判決の要約している理由によって、第1審判決を取り消し、Xの請求を棄却した。

 2 労働者災害補償保険法12条の8第2項は、労働基準法75~77、79、80条に規定する災害補償の事由が生じた場合に保険給付を行うものと規定している。

そして、労働者災害補償保険法75条2項は業務上の疾病の範囲を労働省令により定めることとしており、同法施行規則35条、別表第1の2が、これを列挙している。

したがって、本件の肺がんが同表の列挙するいずれかの疾病に該当するか否か、言い換えれば、業務と疾病との間の相当因果関係すなわち業務起因性の有無が、本件の争点である。

同表でまず問題になり得るのは、7号であるが、同号の11~17に具体的に列挙された中には、本件の粉じん物質であるけい酸にさらされる業務による肺がんが掲げられていないから、同号としては、その他の物質等による疾病を掲げた18への該当性が問題となる。

そして、これに該当しない場合には、9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」への該当性が問題となる。

 本件のじん肺及びこれに合併した肺結核が粉じん作業が原因となって発生したことは肯定される。

したがって、本件で問題となるのは、

[1]けい酸に長期間曝露されることが肺がんを引き起こす(けい酸が発がん性を有する)、」[2]じん肺(けい肺)が肺がんを引き起こす、

[3](じん肺の合併症である)肺結核によって生じた空洞瘢痕が肺がんを引き起こす、

の3つの命題のいずれかが認められるか否かである。

[1] が肯定されるときは、前記別表第1の2第7号18に該当することになり、[2]又は[3]が肯定定されるときは、同表9号に該当することになる。

喫煙、私病等業務に関係のない原因によってたまたま右瘢痕部に肺がんが発生した可能性もあり、因果関係の存否が証拠上いずれとも確定し難い場合には、立証責任に従って、請求を棄却すべきことになる。

 なお、第4の議論として、じん肺による病変や肺結核による空洞瘢痕が存在したため、本来なら発見することができ、適切な治療を受けることにより救命ないし延命をすることができたはずの肺がんの発見が遅れ、そのために死亡するに至ったと認められるならば、業務に内在する危険が右のような形で顕在化したものとして、業務と死亡との間の相当因果関係を肯定する余地がある。しかし、本件ではこの主張はされておらず、原審も当審も判断の対象としていない。

 3 業務と疾病との因果関係の存否については、医学的見地からの検討が不可欠であるが、訴訟において相当因果関係の存在を肯定するには、医学的因果関係が証明されることは必要ではない。最2小判昭50・10・24民集29巻9号1417頁は、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りると判示している。このことは、業務起因性の判断にも当てはまる。

しかし、これを裏返せば、通常人が真実性を確信し得ず疑いを差し挟まざるを得ないという場合には、証明不十分とすべきであることも意味している。また、医学ないし疫学的知見を無視して通常人の非専門的常識に基づく判断によってよいというのではなく、立証命題が医学的ないし疫学的にどの程度真実らしいとされているのかを重要な判断要素とすべきことを否定する趣旨ではない。そして、医学的因果関係が証明されていない場合に、訴訟上の因果関係があると認めるために、どの程度の立証を要するかについては、結局、個々の事案ごとに判断するほかはないであろう。

 一般に、がんは発生原因によって区別することができず、個別的ながんの発生原因を特定することは不可能とされており、本件においては、あくまで粉じん作業が直接・間接に肺がんの原因となる蓋然性がどの程度高いかということに関する一般的な因果関係に関する知見と肺がんの原因となり得る個別具体的な因子の存否・程度に関する事情とに基づいて、経験則に従って合理的推認をすることにより、因果関係の認定をするほかはない。

 4 本判決は、医学文献のうち特に重視すべきものを掲げて原審の認定判断を争う論旨に答えて、記録中のその余の膨大な医学文献をも検討して、原審の認定判断に経験則違反等がないことを説示した上で、本件の事実関係に基づく限り、業務起因性があるとの立証があったというには不十分であるとの判断を示し、上告を棄却した。この判断は、粉じん作業と肺がんとの因果関係はないと断定したものではなく、現在までのところ因果関係があるという証明まではできていないとする原審の認定判断を法律審として是認したものとみられる。

したがって、今後医学等の新たな知見が出てくることによってじん肺患者の肺がん死の業務起因性が肯定されることになる余地は、残されているというべきである。

また、本件被災者は重喫煙者であり、業務外の肺がんの危険因子があることがはっきりしていた事案であるから、全く喫煙歴のないじん肺患者が肺がんにり患したような事例については、別途検討が必要となろう。

なお、本判決は、その判文上、業務起因性を認めるには業務と死亡との間に「相当因果関係」があることが必要であるという考え方に基づいていることが明らかである。

近時、災害の発生が業務に内在する危険の現実化と認められるか否かにより業務起因性の有無を判断した最高裁判決をもって、相当因果関係の存在を要しないとしたものと評する向きもあるようであるが、本判決をみれば、そのような理解は誤りであるということができよう。

 じん肺に合併した肺がんの業務起因性が問題となった事件は、本件以外にもあるが、最高裁の判断が示されたのは、本件が最初である。

下級審の裁判例は、〈1〉 粉じん作業ないしじん肺(その合併症である肺結核)と肺がんとの因果関係を肯定し業務起因性を認めたもの(本件第1審判決のほか、札幌地判昭57・3・31判例タイムズ468号119頁、松山地判平2・1・25判例タイムズ725号134頁)、

〈2〉 右因果関係を否定し又はこれに触れずに治療機会の喪失を理由に業務起因性を認めたもの(広島地判平8・3・26判例タイムズ929号187頁、札幌地判平9・7・3判例タイムズ954号145頁)、

〈3〉 右因果関係を否定し業務起因性を認めなかったもの(本件原判決のほか、札幌地判平9・1・28訟月44巻9号165〇頁、札幌高判平9・10・31訟月44巻9号1641頁)、

〈4〉 右因果関係のほか治療機会喪失による業務起因性も認めなかったもの(福岡地判平10・12・16労判752号14頁)

などに分かれている。

このように判断が分かれているのは、考え方の相違というよりも当事者の主張を含む事案の相違によるところが大きいものと思われる。したがって、本判決の判断が直ちに他の事例にも当てはまるということはできないが、じん肺に合併した肺がんの業務起因性という下級審裁判例の分かれている困難な問題について最高裁が初めての事例判断を示したものとして、参考となるところがあろう。