労災保険法施行後に生じた疾病は、同法施行前の業務に起因するものであっても、労災保険法の保険給付の - 民事家事・生活トラブル全般 - 専門家プロファイル

村田 英幸
村田法律事務所 弁護士
東京都
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労災保険法施行後に生じた疾病は、同法施行前の業務に起因するものであっても、労災保険法の保険給付の

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相続

労災保険法施行後に生じた疾病は、同法施行前の業務に起因するものであっても、労災保険法の保険給付の対象となる。


最高裁判決平成5年2月16日、労災保険不支給処分取消請求事件
民集47巻2号473頁 、判例タイムズ823号106頁

【判決要旨】 一 労働者災害補償保険法施行後に生じた疾病は、同法施行前の業務に起因するものであっても、同法12条の8所定の保険給付の対象となる。
       二 被災者の疾病が労働者災害補償保険法に基づく保険給付の対象となり得ないとの理由で、その業務起因性の有無について判断することなくされた右給付の不支給決定の取消訴訟において、当該疾病が右給付の対象となり得るものと解すべき場合には、右業務起因性の有無についての認定、判断を留保した上、右決定を取り消すことができる。

【参照条文】 労働者災害補償保険法3条
       労働者災害補償保険法7条1項
       労働者災害補償保険法12条の8第1項
       労働者災害補償保険法12条2項
       労働者災害補償保険法附則57条2項
       労働基準法附則129条
       行政事件訴訟法3条
       行政事件訴訟法33条1項、2項

     
 一 労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)施行以前に、発がん性を有する化学物質であるベンジジンの製造業務に従事し、同法施行後にぼうこうがん等を発病した労働者(以下「本件被災者ら」という。)本人及びその遺族が、本件被災者らは、ベンジジンの製造業務に従事したことに起因して右疾病に罹患したとして、労災保険法12条の8に基づき、療養保険給付等の保険給付を請求したところ、被告(労働基準監督署長)は、労災保険法に基づく保険給付の対象となるのは、同法が施行された昭和22年9月1日以降に従事した業務に起因して発生した死傷病に限られるとして、不支給決定をした。
本件は、右不支給決定の取消訴訟である。
 本件の最大の争点は、労災保険法施行前に有害業務に従事したことに起因して同法施行後に発病した場合に、当該疾病が労災保険法に基づく保険給付の対象となるか否かの点であり、第一審(和歌山地判昭和61・5・14判例タイムズ596号27頁)及び原審(大阪高判平1・10・19判例タイムズ710号82頁)は、いずれもこれを肯定して、原告(被上告人)らの請求を認容したため、被告が上告をした。
 二 労働基準法(以下「労基法」という。)及び労災保険法が施行された昭和22年9月1日より以前の労働災害補償制度は、工場法、労働者災害扶助法等が、それぞれの適用対象事業につき、労働者が業務上負傷し、疾病に罹患し又は死亡した場合における使用者の扶助責任を定めるとともに、労働者災害扶助責任保険法が、使用者の扶助責任を保険するものとして、政府が管掌する労働者災害扶助保険制度を定めるというものであったが、同法2条2項の委任に基づく同法施行令において、土木建築工事等一部事業のみを同法に基づく保険に付することとされたため、現実には、土木建築業、貨物取扱業等ごく限られた範囲の労働災害に関する使用者の扶助責任が右保険制度によって、保険されていたにとどまった。
したがって、本件被災者らのような工場労働者の場合は、業務上負傷した場合でも、健康保険法の一部を改正する等の法律(昭和22年法律第45号)による改正前の健康保険法及び厚生年金保険法(右改正前の両法は、業務上外の別なく、労働者の負傷、疾病又は死亡に関する保険給付を定めていた。)に基づく保険給付を受け得るにすぎなかった。 昭和22年9月1日に労基法が施行されたことにより、労働者が業務上負傷し、疾病にかかり又は死亡した場合における事業主の補償責任が一本化されるとともに、責任範囲及び給付金額等が拡大強化され、この労基法による事業主の災害補償責任を保険するものとして、労災保険法が制定・施行された。
その間の経過規定である労基法附則129条は、「この法律施行前、労働者が業務上負傷し、疾病にかかり又は死亡した場合における災害補償については、なお旧法の扶助に関する規定による。」と規定し、労災保険法附則57条2項は、この法律施行前に発生した事故に対する保険給付………に関しては、なお旧法による。」と規定する。
 三 労基法及び労災保険法施行前に有害業務に従事したことに起因して右各法施行後に発病した場合に、右各法の適用があるのか否かについては、行政解釈は適用否定説を採っていた。
もっとも、かつては、発病日を基準に新旧両法の適用を分ける見解を採っていると思われる行政実例もあり(昭和23年6月24日付け基収第2006号、昭和23年1月13日基災第5号)、行政解釈が、立法当初から一貫して適用否定説を採るものであったとはいえない状況にあり、立法当初の行政解釈(昭和22年9月12日付け基発第41号)からすると、立法者は、昭和22年8月31日以前に業務上負傷し若しくは疾病にかかった(発病した)労働者については、それによる9月1日以後における療養、休業、障害又は死亡の事実に対しても、旧法の扶助に関する規定によるとの限度で、前記附則を定めたもののように見受けられるところである。
 また、学説の議論状況をみてみると、本訴提起以前には、この点について必ずしも十分な議論がされていなかったうらみがあるが、本件第1、2審判決を巡って、適用肯定説、否定説に二分された活発な議論がされてきた(適用肯定説を採るものとして、松岡三郎「労災補償の法的性格」明治大学社会科学研究所紀要第24集、宮島尚史「長期潜伏の職業病と労災保険給付」労経旬1371号4頁ほか、適用否定説を採るものとして、西村健一郎「労災保険法施行前の業務による疾病と労災保険法の適用」季刊労働法141号156頁、保原喜志夫・判評344号41頁、岩出誠・ジュリ昭和61年重判解説212頁ほか。)。
 三 このような中で、本判決は、次のように判示して、労基法及び労災保険法施行前に有害業務に従事したことに起因して右各法施行後に発病した場合にも、右各法の適用があることを明らかにしたものである。
 本判決は、労災保険法に基づく保険給付の制度は、使用者の労基法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであるから、本件被災者らの疾病が、労災保険法による保険給付の対象となるといえるためには、右疾病が、労基法による災害補償の対象となるものでなければならないとの前提に立ち、まず、労基法による災害補償の対象となる疾病の範囲について検討をしている。
そして、(1)労基法75条ないし77条が災害補償の対象となる「業務上の疾病」に特に限定を付していないこと、
(2)同法附則129条は、その文理からして、業務上の疾病のうち、同法施行前に疾病の結果が生じた場合のみを労働基準法による災害補償の対象外としている(旧法の適用対象としている)ものと解されること
を指摘して、労基法の右各規定は、同法の施行後に疾病の結果が生じた場合における災害補償については、その疾病が同法施行前の業務に起因するものであっても、なお同法による災害補償の対象としたものと解するのが相当であるとした。
次いで、上告論旨が、労基法に基づく使用者の災害補償責任の本質からして、使用者は、その責任の根拠となる業務上の事由が生じた時点における法規に基づく責任を負担するにとどまるものであると主張するのに応えて、災害補償責任の本質が論旨の主張するようなものであるからといって、可及的に被災労働者の救済を図るという見地から、労基法の施行前に従事した業務に起因して同法施行後に発病した場合をも同法の適用対象とすることが許されないとすべき理由はないとした。
 以上の労基法の解釈を前提に労災保険法の解釈に進み、同法もその施行後に疾病の結果が生じた場合については、それが同法施行前の業務に起因するものであってもなお同法による保険給付の対象とする趣旨で、同法附則57条2項において、同法施行前に発生した業務上の疾病等に対する保険給付についてのみ、旧法によるべき旨を定めたものと解するのが相当であるとした。
その上で、このような扱いは保険制度としては例外的なものであることにも配慮して、業務上の事由によって被害を受けた労働者に対する補償を実効的に行うことを目的として労働者災害補償保険制度が導入されたことなどから考えると、労災保険法がこのような保険制度としては例外的扱いを採用したことには、合理的な理由があるものということができるとした。
 本判決は、以上の理由によって、労災保険法施行後に生じた本件被災者らの疾病は、本件被災者らがベンジジン製造業務に従事した期間が同法施行前であるとしても、同法12条の8所定の保険給付の対象となり得ると結論付けたものである。
 四 一般に、使用者の災害補償責任の根拠は、使用者の支配ないしその支配領域内で労働者を危険にさらしたことにあると解されていることからすると、責任根拠となる事実が労基法施行下において存在しないにもかかわらず、過去にそのような事実があったとして労基法に基づく災害補償責任を認めることは不合理であり、災害補償の要件たる「業務」は、「労基法施行後の業務」をいうものと解するのが素直な解釈とも考えられる。
また、労災保険法に基づく保険給付が保険制度に基づくものであることからすれば、保険制度が発足する以前に原因行為があり、結果がその発足後に発生した場合に、保険給付をするということは、例外的な扱いであるということができよう。
 しかし、本判決は、右各法の施行前に有害業務に従事したことに起因してその施行後に疾病等の結果が生じた場合に、これを右各法の適用対象とするかどうかは立法政策の問題であり、可及的、実効的に被災労働者の救済を図るという社会政策目的から、このような場合を右各法の適用対象とする立法政策を採用することにも合理性があるとの立場を採るものである。
そして、本判決は、このような立場に立って、労基法及び労災保険法がどのような立法政策を採用したとみるべきかを、その文理に忠実に判断したものであり、災害補償責任の本質や保険原理からみて、このような場合を右各法の適用対象とする立法政策は不合理であるとする判断を前提として、右各法がそのような立法政策を採用したとは解し得ないと結論付ける適用否定説とは、その前提において異なる立場を採るものといえよう。
 いずれにしても、本判決が、労基法及び労災保険法が、被災労働者の可及的、実効的救済を図るという観点から、その施行前に有害業務に従事したことに起因してその施行後に疾病等の結果が生じた場合も、右各法の適用対象とするとの立法政策を採用したとの解釈を示したことは、従来、右各法に基づく救済の対象とされていなかった被災労働者に救済の途を開くものであり、注目に値するものといえる。
 五 本判決は、以上の労働法上の論点に加え、行政事件訴訟法上も興味深い判断(判示事項二)を示している。
 すなわち、前記のとおり、被告(労働基準監督署長)は、本件不支給決定に際し、本件被災者らの個々の疾病の業務起因住についてはまったく調査、判断をしていなかったのであるが、本訴において、処分理由とした労災保険法の解釈の正当性を主張するほかに、本件被災者らのうち2名について業務起因性を争う趣旨の追加主張をした。
これに対して、原審は、右追加主張については、本件被災者らの疾病と業務との因果関係が処分事由とはされていないから、この点については検討を加えないとして、この点についての判断を留保したまま、本件不支給決定を取り消す判断をした。
そこで、上告論旨は、原審の右判断について、審理不尽、理由の違法があると主張したが、本判決は、被災労働者の疾病の業務起因性について、第1次的判断権を与えられている労働基準監督署長が、この点について判断をしていないことが明らかな本件においては、原審が、この点についての認定、判断を留保したまま、本件不支給決定を取り消したことに、所論の違法はないと判断した。
 行政事件訴訟は、行政庁がその第1次的判断権を行使した後に、その判断の当否を審査することをその基本構造とするものであること、裁判所の判断の関係行政庁に対する拘束力(行政事件訴訟法33条)は、判決理由中の判断についてのみ及ぶことは、異論のないところである。
このことからすると、行政庁が、処分の実体要件の存否について、その第1次的判断権をまったく行使していない場合には、裁判所がその存否についての判断を示すべきではないものと考えられる。
本判決のこの点に関する判断は、いわば当然の事柄を判断したもののようにも思われるが、この判断は、処分の取消訴訟において、当該処分をするに当たって、行政庁がその第1次的判断権を行使していない事項について、裁判所が審理判断をすべきか否かという観点から、裁判所の審理のあり方や処分理由の差し替えの可否に関し、新たな問題を提起するものともみられ、今後の行政事件訴訟の審理の参考となる点が少なくないものと考えられるので、併せて紹介する。