人間は煮込む程に良いダシと灰汁が出る
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「エゴが全ての苦悩の根本である。」
ということは、少し仏教を学べば理屈として分かることです。
「自分一人で生きられるものは誰もおらず、周りの環境のおかげで生きているのだから全てのものに感謝していこう…。」
というのも、頭では理解することが出来ます。
ですが、人間というものは、そう簡単ではありません。
例えば、どこかで食事をした際、美味しくないものが出てきたとします。
すると、意識しようとしなくても不愉快な感情が起きてくるわけですね。
「なんで、こんな美味しくないものを食べなければいけないのか…。」
その上、店員さんの態度が悪かったりした際には、さらにヒートアップします。
「お金を払う客に、こんな不愉快な思いをさせて腹立たしい!」
などと、もしかしたら口に出してしまうことがあるかもしれません。
人間がエゴで生きたらロクなことにならないのは、理屈を少し学んだら分かることなのですが、実際には簡単にいきません。
「我が子を愛するように全ての人を愛せたら、世界から争いや憎しみなんて消えてしまうのに…。」
と思っていても、全ての人を愛することが難しい。
自分に都合の良い条件が当てはまれば愛せるけれど、その条件から外れた人達のことは愛することが出来ない。
愛するどころか憎しみさえ湧き起ってくる…。
では、どうして全ての人を愛することが出来ないのでしょう?
それは意識上のことではなく、もっと深層にある根深いものだからです。
自分に執着するということは、なかなか薄くしていくことが出来ません。
「じゃあ、エゴなんて薄くすることなんて出来ませんよね?所詮、人間というものはエゴに塗れた存在なんですから。」
という話しになってくるのですが、実はこのエゴこそが苦悩の根本であると同時に、幸せへの道にもなっているというのが面白いところなのです。
良い人になろうと思うだけでは、本当の意味で良い人になることは出来ません。
表面上は良く見せることが出来ても、そんな薄っぺらいものは、すぐに透けて見えるようになってきます。
浅層に見えるものは、深層にあるものの現れです。
表面にある灰汁だけ取っても、底にドロドロとしたものが残っているのであれば、また上がってきて、ツラく苦しい思いをすることになります。
故に、根本の心から正していく必要があるわけです。
深層意識にあるものというのは、今までの自分が溜めてきたものなんですね。
それを、ちょっとだけやって無くしてしまおうというのは無理な話しなんです。
世の中には、そういう話しもありますが、実のところは夢物語でしかありません。
繰り返し繰り返し、表に出てきたものを取り除いていく必要があるんです。
表に出て来なければ無くなることも無いわけですから、勉強してエゴが出てくるというのは、むしろ喜ばしいことでもあります。
エゴだけ溜め込んでいるなら、汚れていくだけですが、灰汁を出す代わりに、綺麗な出し汁を入れていくのだから、それはそれは、良い香りのする存在に変わっていくわけです。
多くの人は、自分のエゴが見えた段階で苦しくなってやめてしまうんです。
結果、同じような苦しみを繰り返していくことになります。
「あ~、また出てきた!」
と俯瞰しながら、楽しんでいけるようになればいいだけのことです。
美味しいダシを取るには、味の元になるものが必要となります。
煮込む過程で灰汁というのは出てくるものなんですね。
ですが、その灰汁に執着する必要なんて一切ありません。
灰汁が無くなれば、美味しいスープが出来るのですから…。
心の学びというものは、知れば知るほどに楽しくなっていくものです。
良い料理人というものは、楽しくお客様のために料理を作りますよね。
もっと気楽に肩の力を抜いて、失敗する自分も笑いながら適当にやっていけばいいんです♪
あなたにはあなたの器があり、あなたにはあなたの味があります。
自分なりの美味しく透き通ったスープを作ってみませんか?(^_-)-☆
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