- 田邉 康雄
- 有限会社田辺コンサルタント・グループ 代表取締役社長
- 東京都
- 経営コンサルタント
対象:人材育成
アバダスチは、琵琶湖疏水が日本人だけの手で成ったことを本国に報告しました。「日本は工学が進んでいる。侮ってはいけない」と。
―― 1905(明治38)年5月27日に行われた「日本海海戦」で勝利した結果、とりあえず日本の「負け」はなくなりました。国民は大勝利に有頂天でした。
―― 戦勝記念に「田邉朔郎の名前を英文で琵琶湖疏水のトンネルクラウンに刻する」ことが1905(明治38)年の京都市参議会にて決定されました。
これを受けて滋賀県側のトンネル入口と京都市側の出口に「Sakuro Tanabe, Dr. Eng., Engineer-in-chief. Works Commenced August 1885, Completed April 1890」と現に刻されています。
因みに、アバダスチが視察に来た時点で計画中であった「第二の琵琶湖疏水」は日露戦争後の1912(明治45)年に竣工しました
これらの逸話は、拙著:「生涯現役エンジニア」の25ページ「ロシアのアバダスチ」の項に紹介しました。