中沢 努(コンサルタント・研修講師・講演講師)- コラム「せいさつ(085)コギト・エルゴ・スム 懐疑なき人間は養殖魚」 - 専門家プロファイル

中沢 努
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ナカザワ ツトム
( 東京都 / コンサルタント・研修講師・講演講師 )
パンセ・ソバージュ・アンド・カンパニー 代表
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せいさつ(085)コギト・エルゴ・スム 懐疑なき人間は養殖魚

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せいさつ 090~081 2010-09-27 09:00


テレビを見ながら朝ごはんを食べる人がいる。
新聞を読みながら通勤する人がいる。
ネットで検索しながら仕事をする人がいる。

私たちはそうやって情報を得、利用し、時にはそれを他人に伝えたりする。
そういうやりとりが「現実」として眼前に現れ、それが集まり、やがて「事実」となる。

しかし、考えてみて欲しい。

テレビで見た/聞いた情報は、どこまで本当」なのか?
新聞で読んだ情報は、どこまで本当」なのか?
ネットで拾った情報は、どこまで「本当」なのか?

もちろん、多くの人は「全てが本当だ」とは思っていない。

しかし「全てが本当だとは思っていない」という「個人の懐疑的認識」が集まり、全体性を帯びると、「情報」は「現実として独り歩きし、いつの間にか正当性を獲得してしまう。

結果として、テレビや新聞やネットの情報は「事実的現象」として認知され、いつの間にか“的”が抜けて「事実現象」となり、次いで“現象”が抜け、最後に「事実」となる。
それが私たちの日常だ。

しかし、これで本当にいいのだろうか?

デカルトは「コギト・エルゴ・スム(私は考える、ゆえに私は存在する)」といった。
方法的懐疑というやつである。

これをやっても真実が見つかるとは限らない。
でもそれをやらないから、「懐疑的認識」から「懐疑的」が抜け落ちるのだ。

懐疑を失った人間養殖魚である。
生きるのではなく、・・・権力に懐柔され、誘惑に籠絡されるという意味において・・・飼われるからだ。


斯くいう私も「飼われている」人間の一人だ。
だからこそ「懐疑せねばならない」と強く思うのだ。

(中沢努「思考のための習作」から抜粋)

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