藤井 雅子(心理カウンセラー)- コラム「「そんなつもりじゃなかった」相手を傷つけたら言い訳よりまず謝罪」 - 専門家プロファイル

藤井 雅子
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フジイ マサコ
( 東京都 / 心理カウンセラー )
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「そんなつもりじゃなかった」相手を傷つけたら言い訳よりまず謝罪

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2022-04-20 12:57

吉野家の常務の不適切発言が話題になっていますが、個人的にはビックリというより「またか」と日本社会の時代遅れ感に改めてガッカリ、というか呆れています。

 

こうした不適切な言動に対する謝罪の決まり文句として、「そんなつもりじゃなかった」「悪気はなかった」があります。

 

私はこれを聞くたびに心の底から失望と憤りを覚えるのですが、その怒りは、「加害者が自ら免責を求めるような自分を正当化する言い訳をするな!」に尽きます。

 

被害者が聞きたいのは「私の認識(言動)が間違っていました。ごめんなさい」という謝罪のことばであって、加害者の言い訳ではありません。

 

もちろん、加害者にも言い分があるでしょう。でも、それが言えるのはまず加害者が自分の非を認め、そのうえで被害者が事情を聞いてくれたときだけです。加害者が自分が傷つけた相手に自分の事情をわかってもらおうとするなんて、おこがましいにも程がある、これは二重の加害行為にほかなりません。

 

わかってもらおうとする=自らの行いを正当化しようとしている、つまり、自分は悪くない、自分に非はないと主張しているのと同じです。

 

私はハラスメントやアダルトチルドレンの相談を多く受けてきましたが、そのなかで被害と加害は裏表の関係にあるということを学びました。最もやっかいなのは、加害者や行為者が自分の非を認められないことです。

 

彼らはかつて自分が被害者だったことや自分の弱さを受け入れられない、受け入れたら自分が崩壊してしまうように感じているのか、とにかく自分を正当化して非を認めない。「自分は正しい」が彼らの生命線と言ってもいいのかもしれません。

 

人間関係のトラブルの多くは、人によって「正しいと思うこと」が違うから、もっと言えば人によって正義が違うからだと思います。

 

何が正しいのか、誰が正しいのかは誰にも決められません。それぞれの正義は尊重すべきだと思います。でも、私は、どんな正義をもってしても他人を故意に傷つけることは正しくないと思います。

 

ただ、「そんな(傷つける)つもりじゃなかった」としても、人を傷つけてしまうことは誰にでもあります。そんなときは、真摯に謝って、相手の回復のためにできることをするしかありません。

 

一方で、「こんなこと言ったらパワハラ(セクハラ)になっちゃうかなー」「冗談だから」などと言っておけば大丈夫と誤解している人がいますが、これは免責どころか非常に悪質なハラスメントです。

 

権力、腕力、経済力など、力をもっている人の言動には本人が思っている以上に影響力があり責任が伴います。それは力をもつことのリスクです。力をもつ人はその責任に自覚をもつべきだと思うのですが、みなさんはどう思われますか。

先日、吉野家の常務の不適切発言が話題になりましたが、個人的にはビックリというより「またか」と日本社会の時代遅れ感に改めてガッカリ、というか呆れました。(関係先の対応の速さはすばらしかった!)

 

こうした不適切な言動に対する謝罪の決まり文句として、「そんなつもりじゃなかった」「悪気はなかった」があります。

 

私はこれを聞くたびに心の底から失望と憤りを覚えるのですが、その怒りは、「加害者が自ら免責を求めるような自己正当化の言い訳をするな!」に尽きます。

 

被害者が聞きたいのは「私の認識(言動)が間違っていました。ごめんなさい」という謝罪のことばであって、加害者の言い訳ではありません。

 

もちろん、加害者にも言い分があるでしょう。でも、それが言えるのはまず加害者が自分の非を認め、そのうえで被害者が事情を聞いてくれたときだけです。加害者が自分が傷つけた相手に自分の事情をわかってもらおうとするなんて、おこがましいにも程がある、これは二重の加害行為にほかなりません。

 

わかってもらおうとする=自らの行いを正当化しようとしている、つまり、自分は悪くない、自分に非はない、と責任逃れを主張しているのと同じです。

 

私はハラスメントやアダルトチルドレンの相談を多く受けてきましたが、そのなかで被害と加害は裏表の関係にあるということを学びました。最もやっかいなのは、加害者や行為者が自分の非を認めない・認められないことです。

 

彼らはかつて自分も被害者だったことや自分の弱さを受け入れたら自分が崩壊してしまうように感じているのか、頑として強がります。「自分は正しい」が彼らの生命線と言ってもいいのかもしれません。

 

人間関係のトラブルの多くは、人によって「正しいと思うこと」(価値観)が違うからだと思います。

 

何が正しいのか、誰が正しいのかは誰にも決められません。それぞれの正義は尊重すべきだと思いますが、個人的には、どんな正義であっても他人に押しつけることと他人を故意に傷つけることは正しくないと思っています。(だから戦争は正しくないと思う)

 

ただ、「そんな(傷つける)つもりじゃなかった」としても、人を傷つけてしまうことは誰にでも起こりうること。そんなときは、真摯に謝って、相手の回復のために相手が望むことをできる範囲でする、それが責任をとるというではないでしょうか。

 

一方で、「こんなこと言ったらパワハラ(セクハラ)になっちゃうかなー」「冗談だから」などと言っておけば大丈夫と誤解している人がいますが、これは免責どころか非常に悪質なハラスメントです。

 

権力、腕力、経済力など、力をもっている人の言動には本人が思っている以上に影響力があり責任が伴います。それは力をもつことのリスクとして、力をもつ人はその責任に自覚をもつべきだと思うのですが、みなさんはどう思われますか。

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