藤井 雅子(心理カウンセラー)- コラム「ファッションはコミュニケーションツールのひとつ」 - 専門家プロファイル

藤井 雅子
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フジイ マサコ
( 東京都 / 心理カウンセラー )
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ファッションはコミュニケーションツールのひとつ

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2018-10-09 15:49

先日、報道番組で、ぐだぐだの姿勢で鼻か口を絶えず触りながらコメンテーターの席に座っている青年を見てビックリしました。身体が悪いのかと思っていたら、発言するときは別人のようにしゃっきりし、鋭い意見を述べられていたので二重に驚きました。

 

その後、ネットで彼が有名人であることを知り、このテレビ出演についての本人の弁や視聴者の批判肯定さまざまな意見を見ました。そして、ファッションを含めたノンバーバル(非言語表現)はコミュニケーションツールだということは意外と知られていないのだなと思いました。

 

私はよく、大人のコミュニケーションは発信者責任だと言っていますが、それは、わかってほしければわかってもらえるように表現する責任があるということです。言語表現はもちろんですが、非言語表現も含めてです。非言語表現とは、ファッションや表情、態度のことです。

 

いくら中身がすばらしい話であっても、それを相手に受け入れてもらうには工夫が必要です。たとえば、プレゼンをするときは、わかりやすい資料を用意するだけでなく、身だしなみを整えたり、姿勢を正したり、発声に気をつけたりと、非言語表現にもかなり気をつかうものです。高級店に行くときにオシャレをしていくのは、同席相手やお店に対する礼儀でもあります。

 

中身さえよければ見かけはどうでもいいというのは、視聴者と番組を無視した傲慢な考えです。実際私はこの青年の態度を不快に思い、それ以上にこの態度のまま出演させたテレビ局の視聴者に敬意を払わない姿勢に憤慨し、すぐにチャンネルを変えてしまいました。

 

コミュニケーションとは、双方向のものです。他人に媚びへつらう必要なありませんが、相手をなるべく不快にさせないように思いやる気持ち、つまり、お互いを尊重する気持ちがいい関係を生むのだと私は考えています。別の言葉で言えば、人間関係には社交がつきもので、それにはマナーや礼儀、エチケットが不可欠だと思います。だから、「自分さえよければ後はどうでもいい」というのは、とても暴力的で自分勝手なかんじがします。

 

プライベートは好きな格好で好きに過ごせばいいのですが、相手があること、まして報酬の対価として仕事をするなら、先方のニーズを考え、できるだけ応えるようにするのが労働契約なのではないでしょうか。

 

「いつも素の自分でいたい」、「自分を偽りたくない」というのは、社会性がないことを正当化しようとする言い訳です。

 

価値観の違う人たちが平和に暮らすためには、お互いを尊重し合うことが必要であり、それがマナーやエチケットだと私は思っています。マナーやエチケットを守らないことがかっこいいと思っている人は、自ら社会に背を向けているのだから社会に認められないリスクもセットだという覚悟があるのか疑問に思います。

 

コミュニケーションには、相手を思いやる想像力がとても重要です。先日のテレビを見て改めて考えさせられました。

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