大園 エリカ(クラシックバレエ教師・振付家)- コラム「全てのものは芸術に通ず」 - 専門家プロファイル

大園 エリカ
natural & elegance

大園 エリカ

オオソノ エリカ
( 東京都 / クラシックバレエ教師・振付家 )
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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全てのものは芸術に通ず

- good

2018-09-24 17:35

今回のテーマですが…。


これは先日私が友人とお喋りした時に、或る現役の役者さんが「演劇はアート(※芸術)ではない」という事を皆に話されていたという事を聞いた事から浮かんだテーマです。(驚!)

\(◎o◎)/!


それを聞いた時に、私は「そう思われる方達というのは、芸術というものを何か特別なものと勘違いされておられて、深く理解できていない方達」という事を友人に話したのですが…。

(・。・;




日本では現役の役者さんでさえ、「この世の全てのものは芸術に通じている」という事を理解せずに役者をされておられる方達がいらっしゃるという現実=芸術に対して浅い理解しかできない視野の狭い方達が多いという事からも、


やはり日本はまだまだ芸術後進国であるという事を痛切に感じてしまう私㋱なのでございます。

(^^;;




何故なら、この宇宙そのものが創造主のアート=芸術作品であり、私達は皆その中で生きているからです。(※ですので私達人間を始めとする生命そのものが、全て創造主の芸術作品=アートであると言えるのです)

( ・・) ~ ☆彡


ですので私からしたら、「芸術=アートと呼べるか、呼べないか」という事は、その成熟度から判断されるというだけのお話しであるという事です。


何故なら、それがどの様なものであったとしても、全てのものは極められた時には一つの"道"となり、そうして"道"と成ったものを、私達は芸術=アートと呼ぶからです。

☆_(_☆_)_☆




では、


「こういう事を理解できる方と、できない方がいるのは何故なのか?」

「それはどういう事から来ているのか?」


ですが、


その答えは「自分のやっているものが、キチンとした"根"を持つものなのか?」という事から来るのだと私は思います。


つまり単なる物真似や付け焼刃的なものではなく、「若い頃から"本物"と呼べるものに触れたり、学ぶという事から得られる"根"を持たれた方かどうか?」という事が、その方の芸術に対しての深い理解に繋がるバロメーターになって来るという事です。

( ・・) ~ ☆彡 or ★彡




本物の根を持たずに"枝葉"から入り、その枝葉を"根"と思っている方達というのは、芸術=アートというものに対して深い理解を得る事は不可能です。


ですので、もし芸術に対して「何か特別なもの」「お高くとまったもの」「近寄り難いもの」「窮屈なもの」「自分の身近に感じない」という様な解釈をされる方達というのは、


自分で選んでいるものが、オリジナル(=根)を習得理解していない"枝葉"とは気付かず、その枝葉を"根"として信じ込み(※何故なら彼らはそれしか知らないし、それが彼らの世界の全てなので視野が狭く、全体像が把握できていないからです)、


そうした勘違いの中から色々なもの学んで来られた方達は、狭い視野から歪んだものの見方を学んだ方達、或いはそういう方に洗脳されて、「自分の目でものを見て考えるという事をしなくなった方達」という事が言えるのかもしれません。

(・。・;




そして、そういう"根"を持たない方達が生み出すものというのは、表面的には一見斬新でインパクトの有る面白いものを生み出す事はできても、


結局は底が非常に浅く、その中身の無さを繕う為に生まれる表面的な"小手先のインパクト"というものに頼る事に成って行かざるを得ないので、


見る者が観たら知性と深みに欠ける分、視る眼を持った方達には段々と見破られて、そして最終的には飽きられてしまう事に繋がっても行くのです。

(^^;




これは、例えて言えば「本」と「漫画」の違いという様な事でしょうか。(※その事に関しては、私は以前こんなコラムを書いておりました♫ → 「想像力&創造力」 


漫画は分かり易くて刺激的なものも多いのかもしれませんが、最初から"絵=イメージ"という答えがあるので、文字だけの本の様に"自力のイマジネーション力"を養う事はなかなかできません。


故に「自分のオリジナリティー」という想像力や情緒が育ちづらいものなので、重みがなく軽薄に感じてしまう事も多い様に感じます。


そうした「大人が好むもの=芸術性」と「子供が好むもの=幼稚性」の違いというのは何から来るかと言うと、それは先述した様に"魂の成熟度"からではないでしょうか?

( ・・) ~ ☆彡




…と言って、では「漫画は全て芸術的ではないのか?」というとそんな事はなく、勿論漫画の中にも芸術的な素晴らしい作品もあります。


ですが、そうした魅力的な作品が生み出される時は、それを描く作者の方の中に「宇宙の法則=この世の理」というものを俯瞰で深く理解されておられる部分があり、(※或いは自覚がなくても、そういうものに沿っているかのどちらか)、それを作品の"根"として描かれている時でありましょう。


それは何故かというと、そういうものは理屈で分からなくても、私達人間というものは「真理」という普遍的なものに強く惹かれ、その深みに魅力を感じる様に生まれついているからなのです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




つまりこの様な視野から観てみれば、芸術は何か特別な事をしている様な方達の専売特許ではなく、全ての人がアーティストに成り得るものだという事です。


例えば専業主婦の方であっても、会社員の方達であっても、巷で"ありふれている"と言われる様な生活を送っていらっしゃる方達であっても、その日常を"芸術の域"にまで高めてしまう様な方達がいらっしゃるのです。


巷では「お金を得られるものだけが仕事」と考える料簡の狭い方が沢山いらっしゃる様ですが、人の"働き"というのは、「お金をもらう仕事」だけではありませんからね~。


ですので家事でも介護でも、ありふれた日常の中でも、そういうものを達観して捉え、その"道"を長年実践し極められた方達は、私に取っては"芸術家"なのです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




芸術とは一部の人だけの専売特許ではありません。


ですが、そういう事が理解できる方達というのは、職業が何であろうと、そこに自覚が有ろうと無かろうと、やはり自分の中にそういう"根"を持たれて生きておられる方達になるのですね。


何故なら「自分の中に無いものは、他の中に見る事はできない」からです。


ですのでそういう真理に到達できずに、"枝葉"を根と勘違いされて生きておられる方達には、「本物を見抜く眼」や「本質を見極める感性」というものに歪みや稚拙さというもの入り混じってしまうので、


「真っ直ぐにものを見る事ができない」「本物・本質を見抜けない」という事に繋がってしまう事は、私からしたら至極当然の事の様に思います。

(・・;)




ちなみに「自分の眼でものを見るという事ができない(※受け売りに過ぎないのに、自分の眼でものを見ている気になっている含む)」=「根を理解できていない方達」の判断基準がどういうものになるかと申しますと…


それは往々にして世間で「一流と言われているもの」「有名なもの」「知名度があるもの」などになる事が大半で、そういうものにしがみつかれたり、安易に"虎の威を借る狐"的人生を送られる方達も、巷では大変多い様でございますが、


そういう方達は、"枝葉から培われた価値観"というエゴから、人に差別的な"間違ったプライド"である「特別意識」を持つ事が大好きな方達でもある様で、


私に取ってこの様な方達は、例え巷で"一流"と評価されたりして世間的知名度があったとしても、"本物のアーティスト(芸術家)"ではないのです。

"(-""-)"


(※本物かどうかを判断するバロメーターとしてのコラム)

           ↓

人から「学ぶ」人と「盗む」人の違い

他人のコピーする人は、コピーした人を超える事はできない




それと同時に、確かに芸術は一部の方達の専売特許ではないのですが、人間の魂の質にも「上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)」というものが有る様に、


芸術というものにも「上品・中品・下品」というものが存在致します。

☆_(_☆_)_☆


「上品の芸術」と言われるものは、所謂その道の「プロフェッショナル」と呼ばれる様な"スペシャルな才能"を持った方達が、高い精神性を伴って表現されるものを指します。


「上品な芸術」と言われるものほど波動を引き上げる力がありますが、それは"卓越した技術を持っている"という事とは必ずしも比例しない場合も多々あるというのは、やはりそれを表現する者の"根"から来るのだと私は思います。


(※「品格」に関しては、こんなコラムを書いておりました♫ → 「品格とは、何ぞや!? 《゚Д゚》!? 」

( ・・) ~ ☆彡★彡




私に取っての偉大な"上品(じょうぼん)の芸術家"の方達とは、純粋な情熱と忍耐力から得られる"長年の努力と精進の積み重ね"により得られた特別な才能が、自分の喜びであると共に、


それが自然に(※ここも重要ポイントかもしれません!)、他の方達の向上や幸せの為に役立てる事ができる方達、或いは自動的に役立ってしまう方達であり、


それと同時に「一人の人間」として、いつまでも素朴で純粋な心と真っ直ぐな眼を持ち続けられる"繊細且つ大胆な感性"を常に持たれた方達であり、


つまり"純真な子供の様な心"と、人生から培った"知性"の両方を持っていて、そのゆとりから生まれる遊び心を忘れない、そんな"成熟した大人の方達"なのでございます。

☆_(_☆_)_☆






クリムト「接吻」 1907/08 (ウィーン・オーストリア美術館)



この官能的なクリムトの作品「接吻」は、時代を超えて、多くの"大人"に愛され続けている作品ですね!

ちなみに私は彼が描く人物の知性的な表情が、とても好き♡

(*^^*) ~ ♡


クリムトの描く絵が非常に官能的且つ知性的であるのは、

クリムトが持つ"男女"というものに対する世界観から来ると言われています。


ですが次の絵を観れば、彼は非常にシビアな洞察力を持ったアーティストでもあった事が窺えます。





「女の生の三段階」 1905年 (ローマ国立近代美術館)



彼は自分の哲学として、人間の人生に「誕生・存在・衰微」というものを持っていたとされていますが、この絵には正にそういうシビアな世界観が描かれていると感じます。

( ・・) ~ ☆彡


これは余談ですが、彼は所謂"秘密結社"との関わりがあった様に私は思います。…というのは、彼の描く絵にはピラミッド&一つ目とか、生命の木(樹)とか、渦巻きなど、そのシンボルとも言えるものが多数描かれているからです。

\(◎o◎)/!




                                 


                                 [スクトレ邸フリーズ]の準備デッサン「生命の樹」




        


                                     [スクトレ邸フリーズ]の準備デッサン「期待」




これらの絵からも、彼は絶対「秘密結社の一員」であった事が私には窺えます。


彼の元々持っている感性に加え、多分そこで得られた「性」に対する哲学があり、それでクリムトの絵には非常に官能的なものが多いのではないかと私は思います。

\(◎o◎)/!


彼の絵が非常に官能的でありながら下品にならないのは、彼の中に哲学=一つの真理という知性が有ったからであり、それで「上品(じょうぼん)な芸術作品」と成っているのですね!

☆_(_☆_)_☆




話を今回のテーマに戻しますと…


例えばアマチュアや素人の方達が、プロフェッショナルの方達が豊富な経験から培った「卓越した技術」などを学ぶ事から得られるものは沢山あるという段階があります。


でも必ずしも「プロフェッショナルだから本物」とは言えない場合もありますし、逆に素人やアマチュアの方であっても、「本質を鋭く見抜く眼」を持たれた方もいらっしゃる訳ですから侮れないのですよ!

(・。・;


なのですが、この世は「大事な事は目に見えない」という世界である為、


そういう感覚を持たれていても「素人である私がプロフェッショナルの方に対して、そんな見方をしてしまうのは失礼な事ではないのか?」と、自分の感じた違和感や嫌悪感を否定してしまう事も良くある事の様なのですが、


人というのは個性の違いから、それぞれの才能や得意分野が違うというだけの話で、「人の魂は平等」であるというのが私の持つポリシーです。


ですが、それと同時に"人"としても、"アート"としても、「上品(じょうぼん)」というレベルに達する為には、それ相応の半端ない努力と精進が裏に存在するという事実=因果の法則も、私達は見落としてはならないのではないでしょうか?

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡




人間というものは「成長」する様に生まれついている生き物なので、それを失った時は「生きる喜び」を感じる事が出来ない動物です。


故に「高いもの=本物を知った者は、下がる事ができない=幸せを感じる事ができない」という事は、その法則からの事実であり、それが「波動の高いものは、波動の低いものに影響を与える事はできても、その逆はない」と言われる所以なのです。


これは「自分がすでに通って来た道を、後戻りする事は必要ない」という事でもありますし、「幼稚園生が楽しいと感じる遊び」と「大学生が楽しいと思える遊び」は、違って当然だという事でもあります。

(^^ゞ




例えば、今は稚拙な下品(げぼん)、或いは中品(ちゅうぼん)という段階にいらっしゃる方達であったとしても、成長せざるを得ない様に生まれついている私達は、ずっとそこに居続ける事は堕落や停滞を意味しますので、自然の摂理でその内に「そこから脱皮したい」と思える日が必ず来る様になっているのですね。


そうして自分の中から"生きる喜び"に繋がる向上心が芽生える事で、人間は変化して行きます。

(*^^*) ~ ☆彡


この世には、最初から上品な人間など一人もいません。


私が「上品な芸術家の方達」を心から尊敬するのは、そういうものを経て精進して行く事で「本物=上品(じょうぼん)の芸術家に成って行く」という事実(=宇宙の法則)を、深く理解できているからなのです。

☆_(_☆_)_☆




芸術を理解する能力に、職業や人種、性別、年齢などによる違いの専売特許はありません。何故なら「人の数だけオリジナルの"道"が有る」からです。

(*^^*) ~ ✿


大きな視野で観たならば、自分のオリジナルの道を歩んでいる方達は、皆「独創的なアーティスト」という事が言える訳で、


逆にこういう事が理解できないアーティストというのは、「自分の中に持つ根が本物ではない=枝葉だから気付かない・気付けない」という事ではないかと私は正直感じています。

(・_・;)







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