最愛の母との永久の別れ・・助けられたレッスン。 - 料理・クッキング全般 - 専門家プロファイル

坂本 孝子
りもんちぇーろ 自宅サロン りもんちぇーろ主宰 おもてなし研究家
東京都
料理講師

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対象:料理・クッキング

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閲覧数順 2024年04月23日更新

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最愛の母との永久の別れ・・助けられたレッスン。

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私事ですが、11月2日の明け方、最愛の母が他界致しました。

こんな事をブログに書く事を・・どうしようか・・

考えましたが・・これも含めて私の人生では・・

一番、切なくて、悲しくて目の前が真っ白になり・・

今、目の前で起きている事が現実なのかどうなのかも

わからない位とっても、とっても、耐え切れない位悲しい・・

そして、とっても長い一日でした。

 

母は二か月前から入院しておりまして、あまり良い状態では

ありませんでした。

生きた心地のしない日もありました。

 

母の急変はあまりにも、早かったのです。

でも一進一退を繰り返し・・(なんとかまだレッスンは出来るのでは

と思いました)

お料理のレッスンが近づく中、毎日、御茶ノ水の病院まで

行っておりました。

 

母の容態が悪化しましたのが、11月1日レッスンの前日の事

でした。

午前中に買い出しに行き、お昼も食べないで、仕込み

だけは、しておき、病院へ駆けつけました。

 

10月31日の日の事です。

 

私はその日に母に一生分の親孝行をして参りました。

酸素マスクをしながらも母が私にひっきりなしに、おしゃべりをするんです。

先を急いでいるかのように・・・。

 

私は母が元気な頃はそんなに意識もしてないことに、

恥ずかしながら、この年齢になって初めて気が付きました。

「こんなに、深く母を愛していた事に・・・」

親が亡くなる時に・・気が付くものなのかもしれません。

 

母が危篤になる前に・・私が帰宅するとき、

最後に・・・「みんなに愛される、いい先生に

なるんだよ。」

母が私に最期の送った言葉でした。

 

私は、悲しくて、悲しくて涙で、母の顔がにじんでしまう位

でした。

でも!

母の応援に後押しされ、11月1日のレッスンは、絶対に

やりたいと決意しました。

 

人間、頑張れば、強い力が湧いてくるものです。

 

そして!!

有難い事に、お越し頂きましたみなさまに、

心から支えられ、救って頂きました。

無心に、夢中で仕事をしていると、その瞬間は

忘れられるものなんだ!!

ということを、みなさまから、心から教えて

頂きました。

いらして下さいましたみなさま、

本当に有難う御座いました。

私は、みなさまから「気」をいっぱい頂きました!!

心より、お礼を申し上げたいです。

 

みなさまがお帰りになられました後、病院に駆けつけました

でも、母は私をちゃんと待っていてくれました。

親子というものは何かテレパシーでしっかりつながって

いるんですね。

 

母の血圧が0になる瞬間まで、昏睡している母に

私が手をしっかり握りしめ、ずっと母に話かけておりました。

看護師さんからお聞きしましたが聴覚だけは最期まで聞こえる

らしのです。

 

朝方、搬送車で帰ってくる途中、富士山がとっても、綺麗でした。

4年前、両親と一緒に箱根旅行をした車中で、母が富士山が

とっても、綺麗だったと・・・

昏睡に入る前に嬉しそうに話しておりました。

 

最期に又、富士山を見せられて、良かったです。

 

母との別れは娘の私に多くの事を教えてくれました。

 

母は最後の最期まで、「頑張って生き抜く事」を身を持って教えてくれました。

そして、私や夫に「来てくれてありがとう」と言っておりました。

意識も薄れそうな中でも「感謝の気持ち」を心から言える人でした。

 

私は母から、「頑張りぬく事」と「感謝の心」を教えてもらったのです。

 

今、教室を続けて行く上で・・・

りもんちぇーろの教室で一番大切にしている事・・

「感謝の心」

そんな母に育てられた私の原点なのかもしれません。

 

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