勝手なイメージが現実を作り出している!?
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人の心というものは本当に面白いもので…。
人が見たもの聴いたものというのは、
誰しもが同じように感じ取るわけではありません。
美しい花を2人で見ていたとします。
美しい花のイメージは、お互いの知識や経験や生活環境の他、
その時の心の状態によっても変わってくるんですね。
私はガンダムが好きでカッコよく見えるのですが、
まったく興味の無い友人から見たら違う答えが返ってきます。
「なんか細くて弱そう。」
こんなことを聴くと「なにを~!」って思ったりすることもあるのですが…(笑)
それもお互いが積み重ねてきたものが違うので仕方の無いことなんです。
日本人は虫の声に耳を澄ませて音色を楽しむことをしますが、
ヨーロッパの人達は、虫の声などほとんど気にしないと聴いたことがあります。
出版している知人などもいるのですが、本を読むと立派なことが書いてあるわけです。
ところが、その知人を知っている私から見たら、
「言ってることとやってることが全然別じゃないか!」と思うわけですが…(笑)
本を読んだ人は、さぞかし素晴らしい人だとイメージを作り上げ、
その思いのままに会うと、当人の本質というものが見えなくなるわけです。
全ては自分の思いから勝手にイメージを作り上げるわけですね。
特に言葉というもののイメージは強いものがあります。
少し前に妙義神社というところに行きました。
妙義神社の宮司さんにお話しを伺っていたら、
「あれが妙義山ですよ。」と教えて頂いたんですね。
「なるほど、あれが妙義山ですか。」
と、名前を聴いてわかった気になってしまいました。
ところが実は何もわかっていないんですね。
妙義山にはどのような歴史があって、どんな山なのか何も知らないんです。
なのに名前を聴いただけでわかったような気になってしまいました。
これはお釈迦様の説法でも同じです。
諸行無常・諸法無我などを本で読んだとします。
「なるほど無常とか無我にはそういう意味があるのか。」
と思った時点で、わかっていないということでもあるんですね。
良い事を聞いたとか、自分は素晴らしいことを知っているなどと、
少しでも自分の中にそういう気持ちがあるならば、
それは無常でも無我でも何でも無いわけです。
私はエゴを薄くすることの大切さを、師匠から何度も教わってきました。
ところがエゴがあるばかりに、その本当に意味すらもわからなくなるんですね。
それどころが、エゴがある時点で自分が何も知らないことに気付きもしないわけです。
人間として生まれてきた以上、エゴを無くすことは出来ません。
「それが人間なんだから、エゴが強くたっていいじゃないか。」
そう思って生きるのも自由です。
ただ、エゴで苦しむのは自分なんですね。
そして自分だけではなく、周りまでエゴで巻き込んでいってしまいます。
わかった気になるという心を理解した上で、
自分のエゴを薄くしていこうと思うと、より楽に生きていけると思います。
エゴを薄くするのは誰のためでもなく自分のためなんです。
自分のエゴを薄くしていくというのは、そのまま誰かのためにもなります。
迷いや苦しみの原因ともなる勝手なイメージというものを、
振り払って生きていけるように楽しんでいってみませんか?(^_-)-☆
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