- 橘 凛保
- 社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
- 東京都
- マナー講師
対象:婚活
- 舘 智彦
- (しあわせ婚ナビゲーター)
昨日は講師を務める短大の卒業式でした
式、謝恩パーティーに参列致しました。
この短大の謝恩パーティーは毎年心温まるものがあります。
その模様は私のブログで紹介させて頂くことにして
このコラムでは 少し学びを書かせて頂くことに致しましょう
式典につきものの引き菓子 引き出物の「紅白まんじゅう」についてです。
式典ではつきものですね。
昨日も頂いて参りました。
饅頭は、鎌倉〜室町時代にまでさかのぼる歴史があります。
中国に留学した禅僧が伝えた点心のひとつです。
2つの説があるとされています
聖一国師(1202~1280)による「酒饅頭説」福岡博多紀元のこの説と
林浄因の「薬饅頭説」です。
林浄因は禅僧との別れを惜しんで日本までついて来てしまったと言う話が残っていて、
その時代は、足利尊氏が征夷大将軍の頃、室町幕府草創期,南北朝時代の頃と言われています。
始めはその僧と一緒に天竜寺にいましたが、南北朝の対立から逃れるために奈良に居を移し、饅頭作りを始めたようです。「奈良饅頭」と呼ばれ、中国式の饅頭が肉をつめたものであるのに改良を加え、餡を入れた和菓子として、禅僧でも食せる饅頭を作りました。それが「塩瀬饅頭」の始まりだそうです。
「酒饅頭」の方は、1241年、宗から帰国して承天禅寺を建立した聖一国師は布教に勤めましたが、普及の途中で立ち寄る茶店の主人に酒麹で作る饅頭の製法を伝授し「御饅頭所」の看板を与えたそうです。
その看板は現在は縁あって「虎屋」に保管されているというのも、なかなか興味深いですね。
実は、それ以前にも「饅頭」の食べ物が日本にもあったそうです。
こちらは甘い和菓子としてではなく、野菜や木の実などを具材として作られ、汁をかけて食される料理だったようです。福井県に永平寺を創建した道元の「正法眼蔵」にその記録があるそうです。
いずれも小麦粉やふくらし粉を用いて、中に具材を入れた食べ物としては、どこにでも存在しそうです。
砂糖の伝来によって和菓子としての地位を獲得したのも頷けます。
さて、時代は下り江戸時代、漸く庶民の間にも甘い小豆餡入りの饅頭が「高級品」として出始めました。
江戸も中期以降になると砂糖の流通量も増大し、商業の栄えとともに全国に広まり、「庶民のお菓子」としても定着するようになったようです。
「東海道中膝栗毛」や落語「饅頭怖い」でもおなじみのお菓子になるわけです
「引きでもの」「引き菓子」はその場に出席できなかった人たちへのお裾分けの意味が込められていると思います。
家に帰って、「いい式典だったよ!」の話に花を添えてくれます。
私も昨日の卒業式が本当に素敵なものであったことを話しながら、紅白のおまんじゅうを蒸かし直して、抹茶を点てて頂きました。
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