- 宮原 謙治
- 霧島住宅株式会社
- 工務店
対象:住宅設計・構造
■昭和45年(1970年) 住宅5ヶ年計画(年間200万棟)が発表され、大手ハウスメーカーの増産体制の整備と販売競争に拍車がかかることになります。
・住宅は、一般商品と同様な耐久消費財(個人的な欲望を充足させるために直接供される資財)としてユーザーの欲望を満足させるための商品となっていきました。
・本来の住宅の本質(正しい利用効果)が無視され、欲求心の充足が住宅を求める目的となったのです。
■昭和46年(1971年) 住宅供給が飽和状態となり、販売競争が熾烈化していきます。
・マンション建築が軌道に乗り始め、ユーザーの選択肢は木造住宅にこだわることなく広くなり、プレハブやマンションに対する人々の違和感・抵抗感が薄れ著しい販売増加を見ることになります。
・工業化住宅の普及で、木造住宅のシュアが住宅総生産量の50%をきります。
・居住環境の優れた住宅(見た目の良さ)として、ベニヤ合板など弊害をもたらす化学物質を使用した新建材の住宅が求まられるようになり、住宅の本質から益々遠ざかることになります。
そして、あの昭和47年(1972年)を迎えることになります。 (続く)
大阪の住宅家・幸せこだわり住宅職人謙さんは、高気密高断熱住宅は『百害あって一利無し』と思います。ただそれだけでは、遠吠えになってしまいますので、高気密高断熱住宅の経過について、シリーズで検証してみたいと思います。