規則は何のためにあるのか? - コラム - 専門家プロファイル

宮本 ゆかり
マイウェイネットワーク 
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閲覧数順 2024年04月25日更新

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規則は何のためにあるのか?

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“受験ネタ”です。

娘の受験を通じて深く考えさせられた事件がありました。

実は、娘にはどうしても行きたい第一志望の高校がありました。
その学校は、娘の実力よりはかなり偏差値が高かったのですが、それでも「帰国子女枠」での受験なら何とか合格できるかもしれない・・・と望みをもって必死に勉強していました。

親ができることは、娘の希望を叶えるために環境を整えてやること。
まず主人が日本〔東京都内〕でその学校の入試説明会に参加してくれ、入試書類をもってきてくれました。
私はその入試要綱に従って申請書類を準備し、定められた期日どおりに受験料を振込み、願書を提出し、日本行きの飛行機のチケットを購入。
あとは娘が勉強を頑張るだけ・・・と思っていたところ、突然、第一志望の高校から電話がきたのです。
「宮本さんですか? 提出書類に不備があったので、今回受験はできません」
この言葉に一瞬、耳を疑い、背筋が凍る思いがしました。

「そんな・・・困ります。娘は貴校が第一志望で、毎晩遅くまで必死に勉強しているんです。受験料も振り込んだし、願書も期限どおり提出しました。
もし書類に不備があるのなら、それだけでも修正して再提出するとか、なんとか対処できませんか?」
食い下がりましたが、先方は「そういう規則ですから・・・」という立場を一切くずさず、結局、受験はできなくなってしまいました。

今回の件で、願書を受理されなかった理由は、保護者である私〔宮本ゆかり〕の「在留勤務証明書」に問題がありました。
詳細を書くと長くかるのでここでは割愛しますが、要は、附則書類の添付が一部洩れていたのです。

私はどうしても納得がいかず、学校側に様々な質問を投げかけました。

私の疑問は、本質的な内容です。
●そもそも我が親子は、受験資格を有しているか?
→「YES」です。親子で規定の期間、海外に在留していたことはまぎれもない事実。

●願書は期限どおり申請したか?
→「YES」です。〔入試要綱の表記の解釈の相違いから、書類の添付洩れはあったが〕

●そもそも、学校側が要求している様々な提出書類は、それぞれどんな意図・目的があるのか?
つまり、その書類を通じて何を確認したいのか?海外に在留していた事実がわかればいいのではないのか?

●貴校の建学の精神が、先生や職員の考え方や行動に反映されているか?
〔国際化の時代、自由と個性を大切に、多様性を尊重して・・・云々という理念を掲げているのなら、個別の事情に柔軟に対応してもいいのではないか?〕

以上

これらの条件に我が子が合致していないというのなら、いさぎよく受験を諦めます。
だから説明して欲しいと伝えましたが、返ってきたのは「規定の要綱に必要な条件を満たしていなかった」という杓子定規な回答のみでした。

私はとても不愉快でした。
受験がでくなくなってしまったことは、〔百歩譲って〕こちらの書類提出ミスが悪かったとしましょう。
しかし、もっと残念だったことは、私からの魂の叫び
「貴校はどんな人間を育てたいと思っているんですか?」「そもそも、何の目的の為にこの規定はあるんですか?」と“あり方”を問うているのに対して、学校側からは“やり方”の説明しか返ってこないということなのです。


今、世界的な混乱と変革の時、すべての人類は、時代から“あり方”を問われていると思っています。これは昨今、多くの有識者が語っていることです。
我々はどうあるべきか? それは、個人にも、企業にも突きつけられている課題です。
それなのに、学校という機関は、“あり方”を語れずに“やり方”の違いに固執している。

ちょっと飛躍した話になりますが、そもそも規則は何の為にあるのか?

本質は、人々の幸せのためではないのか?
幸せになるためには、悪や不正を排除し、秩序を保つ必要がある。
だから手段として規則を作るのであって、規則に従うこと自体が目的になっていないか?

そんなことまで考えてしまいました。