- 山藤 惠三
- 有限会社エスオープランニング 代表取締役 クリエイティブディレクター
- 東京都
- クリエイティブディレクター
「さようなら」、広告、映像の企画・演出術 #5
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デザインと企画、その気持ちイイ関係。
企画・デザイン、その発想法
2009-12-22 08:25
それは、「新」に決定!です。
何で「新」なの〜!と、10人中、9人くらいの人が突っ込みそうな感じです。
私もその一人です、私だったら「代」です、もちろん「政権交代」の「代」だからです。
エスオープランニング、山藤(サンドウ)です。
年末になり、さようであるならば、「さようなら」を考えるシリーズ、
「さようなら」、広告、映像の企画・演出術を書いています。
あまり聞かれなくなった「さようなら」という、日本の美しい言葉について考えています。
ある書籍とブログからの抜粋です。
「さようなら」は寸止めの言葉
「さようなら」の言葉の解釈として、紀行作家アン・リンドバーグの解釈です。
リンドバーグは「サヨナラ」について、
これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。
Auf Wiedersehen
Au revoir
Till we meeting again
のように、
別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる Farewell のように、別離の味わいを避けてもいない。
と他の言葉と比較したうえで、以下のように言います。
「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受けいれている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、
すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、
それ自体は何も語らない。
言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握るあたたかさなのだ──
「サヨナラ」は。
そうか、「さようなら」は寸止めの言葉なのか──。
評論家の澁川祐子さんは、自身のブログの中で、こんなことを言っています。
日本人の使う「さようなら」は、寸止めの言葉であり、禅の世界の言葉なのかもしれません。
ある意味、悲しいだけではなく、いさぎよく、それでいて余韻をかもし出す言葉、
こんなステキな言葉が日本語にはあるのです。
師走の忙しい喧騒の中、少しだけ、うれしい気持ちになりました。
つづく。
参考コラム : 評論家、澁川祐子さん 企画・編集/須藤 輝&連結社より
オフィシャルブログ、住まいのテレビマニア