結果からいいますと5作品には残ることはできなかったんですが、でもそんなことはまぁどうでもいいかと思えるほど、実に有意義な時間をいただけました。建築のプレゼンはふつう「ここの周辺環境は○○××で、敷地が○○××なので建物は○○××に配置することにし、内部の空間は○○で××になっていて、構造形式は○○××で、素材は○○××です・・・」とやるけっこう地味なものなのですが、それはここでのスナガの役割では無かろうという気がしたので、『ワタシはこう思うのでありますっ!』を制限時間いっぱいまで(いや2割ほどオーバーしてたな)やってきました。「建築家は世の中の、みんなの役に立っているのか。もしもいま、UFOに乗った宇宙人がおおぜい襲来してきて・・・」ではじまり「・・・それがいまの僕の夢です」で終わる、僕の、建築家としての所信表明でした。
その結果、会場の皆さんからの拍手を私だけ2度いただきまして、(ハナシ聞いてつい手を叩いちゃったという感じで、それが本当にありがたかったです)また審査会のあとも声を掛けにきてくださる方々があり、皆さんの心へ伝えることがちゃんとできたようで、成功だったと思います。でも原稿を持つ左手は、誰の目にもわかるくらいブルブル震えていたんです、コメディアンみたいに。度胸があるのか無いのか分からないです、我ながら。
翌日は、心地よい疲れと脱力感の中、南禅寺の金地院にだけ立ち寄ってきました。京都に来たらココだけ寄れれば充分と思う、小堀遠州による、人の思念の崇高さに心洗われる庭と、宇宙の神秘を感じずにいられない茶室があります。小雨に濡れ細道をひとり巡りながら、前回この石を踏んでからもう10年が経っていたことに気がついました。あのときはまだ24才でした。何者でもない若者が、なにかしらの自分の道に気付き、歩きはじめ、それが少し認められ。この10年というのは振り返ると、いつの間にか、あっという間でした。でも、こうしてひとり枯山水の庭を裸の心で歩いていると、10年前と同じように風景に感動する、なにも変わっていないナイーブ(幼稚)な自分であることにも気が付きます。10年前よりオリコウになってもいませんし、10年前より強くなった感じもしません。やることをやってきた、その過去だけが確かに存在する。次に京都に来るのはいつでしょう。この小道をまたひとりで歩きながら、なにを思うのでしょう。
さて、ここからまた新しい10年の始まりです。建築の活動を通じて、この世に何を残せるか、いつも考えています。そして悔い無き人生にしたいと思います。皆様これからもどうぞよろしく願いします。
原典
http://www.sunaga.org/daily/daily.htm#091002
このコラムの執筆専門家
- 須永 豪
- (長野県 / 建築家)
- 須永豪・サバイバルデザイン
響きあう木の空間
森や山と人、地球が健全に回っていく様子を見届けたい。 木を街に届け人の営みに森をもたらし木が、森が、地球が、生命が、人が、そして星々や宇宙までもが響あいはじめるそんな木の建築空間宇宙の意図が起動する響きあう木の空間をつくろう
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