- 井上 みやび子
- すぐ使える株式会社 代表取締役
- 東京都
- Webエンジニア
対象:システム開発・導入
- 清水 圭一
- (IT経営コンサルタント)
- 清水 圭一
- (IT経営コンサルタント)
関連記事 インターネットウォッチ 2009-5-7
「Googleが「サーチウィキ」公開、Web検索結果をカスタマイズ可能」
Google の公式ブログ 2009-5-7
「サーチウィキ
英語版は2008年11月に既に部分的な公開が始まっていて、知りませんでしたが賛否両論あるようです。
「SearchWiki」機能の概要
「SearchWiki」機能とは、Google の検索結果に対して、自分用の表示に限っては選んだサイトを一番上に持ってきたり要らないサイトを消したりといった操作ができる、というもの。また、そのサイトに関するコメントを付けることもできる。
検索結果の操作は「自分専用」、コメントは一般公開される。
「SearchWiki」機能の評価
「SearchWiki」の評価はいくつかに分かれるようだ。
(ビジネス的な観点は置いておきます。ユーザとして検索機能と関わる場合に限定。)
1.便利でいいんじゃない
んー、自分のお気に入りのサイトは業界トップじゃないから、Google の検索結果を毎回スクロールするの面倒くさいよ。もうブラウザにブックマークなんてしないし、知っているサイトにアクセスするのもまず Google 。よく使うサイトが一番上に出てきてくれれば嬉しいな。
Google 自身の、このツールに関する説明もこの方向。「便利でしょ♪」という訳だ。
2.それって検索って言えないのでは
知っているものを検索する必要なんて、ないよね。知らないものだからこそ検索して探すんでしょ。
個人的に私も、こう思った。世界が閉じてしまうよね、と。
もちろん、この機能を使わない事にしたり一度行った設定を解除する事もできるのだが、方向性として Google は技術の力で私たちをガイドしてくれるのをやめようとしているのかな、と。
技術は万能ではないし、人間の制作物(主に文章等)を解析するのは技術的に難しく、的確な検索にはまだまだ至らない点が多い。しかしそこには「作為なく同じ基準で分類した時に」という平等性があった。そして初期の Google はかなりイケていたと思うが、最近は SEO スパムなどの影響や、サイトが爆発的に増加したこともあってか、駄目になってきた。Google はそれに対抗して解析技術を極めるより、別の「便利さ」を追求する方にシフトしたのか...。(それはとても残念なことだ!)
A. もちろん後で検索結果に活かすんだよね
機能の論点とは別に、当たり前のように、「個々のユーザが設定したサイトの嗜好は、当然そのうち一般の検索結果に活かされるんだよね♪」という論調もある。(コメントの時期からして、英語圏内=米国(?)のユーザと推量。)この中にはさらに、肯定的な見方(被リンク数に加えた新たなサイト評価の基準になる)と、悲観的な見方(新たな SEO スパムの手段が増えただけ。イタチごっこ。)がある。
この考えが当たり前のように出てくる点は、自分の検索行動が集合知として利用される事にまったく抵抗がないという文化の違いを感じる。私自身は、自分の検索傾向が収集されるのもやはり若干抵抗がある。また文化の違いについて脇道にそれると「ほとんど知られていないけど、そこにあるもの」が「集合知」によってさらに脇に押しやられてしまうという事にも漠然とした不安を感じる。これは「主張しなければ無いことと同じ」という欧米文化と、「すべてを言ってしまわないことで表現する」という方法を持っている日本文化で具体的に存在する「もの」に対する捉え方が違うという点を考えなければならない。
「記憶」と「記録」を見直そう
「たかだか」一つの検索エンジンがその機能を公開しただけでなぜこうも私は騒ぎ立てるのか?を考えてみた。それはおそらく私が「記憶」の部分を検索エンジンに頼りかかりつつあるからだと思う。
現在、知らない事はインターネットで調べられる。検索してヒットしたページを読めば、大体分かった気になる。翌日得意げに人に説明する事もできるだろう。
でもそのことは、私に残るだろうか?
1年後、2年後、3年後にそれを自分の血肉としているだろうか?---否。
忘れてしまいそうなことは、便利なITツールに記録しておけばいい。でも、記録したことは自分で記憶しておかなければならない。記憶してあるかを調べるために他人の手---検索ツール---を使う事が当たり前になってしまったら、それが無くなった時に自分には何も残らない。
ITは記録のための手段にはなるが、記憶に代えては「いけない」。
そのような自意識ないしは危機感を持たなければならないと思う。