- 敷浪 一哉
- 有限会社シキナミカズヤ建築研究所
- 建築家
対象:住宅設計・構造
本当にこの決断は正しいことなのか、正解なのかなんてことは絶対にわからないし、正解なんてものはないのかもしれない。いや、どんな決断をしてもすべて正解なのかもしれない。
そして、決断をすると、どんなことがあっても覆すことができないんじゃないかという絶対的な恐怖があります。
この「恐怖」。
これは、立ち向かっていくべきものなのか。
もちろん逃げたくはないし、逃げるということは決断しないということだから、それはない。
ふと思ったのは、これは「共存」すればいいんじゃないか。
恐怖と戦って打ち勝つんじゃないくて、共存していてあっちに揺れたりこっちに揺れたりすることを認めればいいんじゃないか。と。
つまり、決断した後だって別に覆ってもいいじゃないか ということなんです。
設計の作業は、決断の連続です。だって何も無いものをカタチにする行為ですから。
その中で、「これで行こう!」と決めることと、「これで行きましょう」と建主に伝える瞬間というのは恐怖の固まりだし、非常に責任の重い行為です。
僕の場合、最終的なカタチが出来上がるまでに、何回も考えが揺れ動くことが大切で、揺れ動くためにはその都度決定している必要があると思っています。
人によっては優柔不断と思うでしょう。
でも、これってすごく大切で、考え方が右に行ったり左に行ったりを繰り返しながら、だんだんその振れ幅が小さくなっていって、ひとつの方向に落ち着くわけなんです。
それはしかも順番もきちんと決まっていて、Cという結論に至る経緯がA-B-Cだったとして、
Aの状態からCというのは絶対に思いつかないんです。
Bという考え方にシフトしたからこそ行き着いたCなんです。
さて、僕は何が言いたかったんでしょうか というような羅列の文章ですが(この文章も結論が見えずに書いてるんですが)、書きながら思いついたのは、
「直感のままに生きる」ということ。
ふと浮かんだ「感情」に怖がりすぎる必要は無いんだということ。
それは、その瞬間瞬間の自分の中の「正解」をたどっていかないと、最終的な「正解」にはたどり着かないから。
だから、僕も直感を大事にして設計します。
そして、感情を促すような空間を生み出します。
空間によって生み出された感情が、人に直感を与えるきっかけになれば そんなうれしいことはないのだから。
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シキナミカズヤ建築研究所