愛の無い否定的な態度や言葉で人を指導する人達の抱える闇「権威主義」 - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

大園 エリカ
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(クラシックバレエ教師・振付家)
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(クラシックバレエ教師・振付家)

閲覧数順 2024年04月18日更新

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愛の無い否定的な態度や言葉で人を指導する人達の抱える闇「権威主義」

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皆様の周りには「何でも否定から入り、愛の無い不機嫌な態度や言葉(※人がする事への文句・言葉の暴力や恫喝含む)で人を指導する」という方達がおりませんか?

 

そして、その筆頭として挙げられるのが、実は自分の「親」であったりする事は、きっと多くの方達が経験済みで納得できるというのが、この世の隠れた真実ではないでしょうか?

(^^;

 

その様な教育法で育った人間というのは、本当の愛(※信頼される・守られる)を経験した事がない為に、

 

多くの方は、実際に自分が親から教えられたその「否定的スタイル」の教育をお手本に、家庭では自分の子供、そして職場などでは自分より下の立場の者に対して、自分が受け入れてしまったものと同じものを、無意識に与えてしまうのです。

 

それがこの世で「人を指導する時にネガティブな表現や言葉を好む=場の波動を下げる=人を委縮させてやる気を削ぐ方達」が多い理由なのです。

(・。・;

 

 

 

そういう「人を萎縮させる様な教育や指導」を愛と勘違いして(※何故なら彼らはそういう育てられ方しか知らないから)、それが当たり前という麻痺した感覚を持った者同士では、

 

同じ価値観の共有という事で、お互いの傷を舐め合う様な心地好さというのを感じますから(※人はそれぞれ自分と同じ波長を持った者と一緒にいると、心地好く感じる生きものです)、

 

故にそういう価値観を持っている方達というのは、自分達の持つ愛無き"粗雑で荒い波動"が、実はその場の波動を下げているという事には無自覚であるというのも特徴ですし、

 

彼らが波動の高い存在をウザく感じるという特徴があるのは、ネガティブな波動をエネルギーにする彼らには、ポジティブなものをエネルギーとする波動の高い存在からは、エナジーバンパイアできないからなのです。

\(◎o◎)/!

 

 

 

ちなみに、逆に愛を基盤としたポジティブな波動をエネルギーとする者同士は、お互いに高い波動を持つ存在と一緒にいる時に共鳴し合うので場が和み、その場にいる者に怖れ(※焦りや不安、萎縮等)を与えないので、皆が非常にリラックスできる為に、

 

そこに関わる人達は、立場に関係なく「お互いの持っている能力を認め合う事」から、どの様な相手に対しても敬意と感謝が自然に生まれて参りますし、それ故各々が信頼されて任された事からの自己責任感を持つ事ができるのです。

 

そういう場所では、その空気の軽さから来る場の明るさ(=愛の存在する場所)と、お互いのやり方を認め合うという自由さから、場に良い波動が流れる=活気が出て参りますし、確実に波動が上がる=疲れない=仕事の効率も上がるのです。

 

私に取っては、それが「愛」と「フォース(=権威=恐怖)」のどちらをエネルギーとされている方かを見極める、大きなバロメーターに成っているのです♪

(*^^*) ~ ☆彡

 

 

 

私の様な人間からすると、「自分の眼でものを観る」という事をせずに、そういう自尊心を育てない教育法を疑う事無く、或いは嫌いであっても受け入れてしまって育った方達が、人と接する時には「否定的でネガティブな表現」を好まれる事が断然多くなるのは必然で、

 

つまり自分の親や上司が自分に与えた「権威を翳(かざ)したい欲求」というものが無意識に受け継がれる為に、そういう方達の教育や指導というのは、相手の個性を否定し、人格無視という「愛不在の非常に冷たいもの」になるのは必然ですから、

 

いくら本人が「愛の鞭」と自分を美化した所で、心が透明で純粋な子供や、真実の愛というものを俯瞰で感じ取ってしまう人達からは、人として尊敬されずに時に反発されたり、時に恨まれてしまうというのも必然な訳なのですが、

 

それは何故かと言うと、人間という生きものは「自分の個性を欠点と捉え、人格を蔑ろにした相手」に憎しみや恨みを持つという性質を、誰もが生まれながらに内面に持っている為です。(※その理由は、人間の"格"に成っているものが、エゴとは正反対である「自尊心」というものだからなのです)

 

逆から言えば「他者の人格を尊重する人」は、人から尊敬されますし(※自分が人に与えたものが、自分が人から受け取るものの法則)、感謝されるという事ですね♡

(^^✿

 

権威主義者達が、何故人から「尊敬」や「感謝」を受け取れない宿命にあるのかというと、

 

それは彼らが人に与えるものの根底には、魂が不快に感じる「不安」や「怖れ」「萎縮」というものが在る為だという事を、以上の様な解説でご理解頂けましたでしょうか?

 

 

 

…という事で、それでは今回のメッセージをお届け致します♪

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

だれもが、自分の中に種として宿しているものにしかなれない

 

OSHO

 

 

どんな親でも、子どもが不幸せなままでいるとは思いたくない。 

親は、子どもの幸せを望むものだ。 

ただ、彼らの考え方が間違っているにすぎない。 

 

 

両親は子どもが医者になれば、 

あるいは大学教授か技術者か科学者になれば幸せになれるだろう、 

と考える。 

 

 

だが、彼らには分かっていない!  

子どもたちが幸せになれるとすれば、 

それは彼らがそうなるべく生まれてきたものになる場合だけだ。 

子どもたちは、自分の中に種として宿しているものにしかなれない。 

 

 

だから、可能な限りあらゆる手を尽くして、子どもたちに自由を与え、 

機会を与えるようにつとめなさい。 

 

 

ふつう、子どもが母親に何か訊くと、 

母親は子どもが言っていることを聴こうともせず、 

子どもが訊いていることにノーとしか答えない。 

 

 

「ノー」というのは権威のある言葉だが、 

「イエス」のほうはそうではない。 

だから、父親も母親もその他の何らかの権威の座にある人たちも、 

どんな些細な事柄に対してもイエスと言いたがらない。 

 

 

子どもは、家の外で遊びたがる。 

だが「ノー」だ。 

子どもは雨が降っているのに、外に出て雨の中をはね回りたがる。 

だが、それに対しても「いけません! 風邪をひきます」という。 

 

 

風邪は癌ではない。 

だが、雨の中で踊らせてもらえなかった子どもは、 

二度とそんな経験をする機会もなく、 

非常に大切で美しいものを逃すことになる。 

 

 

風邪をひいても、それだけの価値はあったかもしれない。

それに、子どもが必ず風邪をひくというわけでもない。 

それどころか、子どもは手厚く保護されればされるほど、 ますますひ弱になる。 

 

 

より大きな自由を与えておけばおくほど、子どもには免疫力がつく。 

親は、イエスと言うことを学ばなければならない。 

 

 

ふつう、親がノーと言う場合の99パーセントまでは、 

ただ権威を誇示するためでしかない。 

誰もが一国の大統領になれるわけではないし、 

何百万という人びとに権威を振るえるわけでもない。 

 

 

だが誰でも、夫となって妻に対して権威を振るうことならできる。 

どんな妻でも母親となって、 子どもに対して権威を振るうことはできる。 

 

 

どの子どもも縫いぐるみを持っており、 縫いぐるみの熊になら権威を振るうことができる。 

縫いぐるみの熊なら、部屋の隅から隅へ蹴とばして、 たっぷり平手打ちを食わせてやることができる。 

その平手打ちは本当は、母親か父親にお見舞いしたいと思っていたぶんだ。 

 

 

そして、哀れな縫いぐるみの熊にはその下がいない。 

これが権威主義社会というものだ。 

 

 

私が言っているのは、自由に満ちあふれ、「イエス」という言葉は聞き慣れていても 

「ノー」という言葉はめったに聞いたことがない子どもたちを生み出していく過程で、 

権威主義社会は消え去っていく、ということだ。 

私たちは、もっと人間的な社会に住めるようになる。 

 

 

したがって、これは子どもだけの問題ではない。 

この子どもたちが、明日の社会となっていく。 

「三つ子の魂百まで」という諺のとおりだ。

 

 

 

 

 

美しい花には人を癒す力があるのは、そこに何も見返りも求めない「献身」が在るからだと言われます。

花や動物が自然で美しいのは、人間の様な過ぎた自己顕示欲やエゴがなく、咲く事や生きる事自体に喜びを感じているからではないでしょうか♡

(^^✿

 

 

 

「絶えず監視し、必要以上に干渉し続けるスタイルを好む指導者」が何故反発を喰らうのかと言うと、「いつまでも自分が権威者でいたい為、相手に自立されたら困る=自分の権威を誇示したい」という自覚なき隠されたエゴを、心在るものは肌で感じてしまうからではないでしょうか。

 

そういう子供をスポイルしてしまう様な教育や指導をされる方達の原動力というのは、常に「不安」や「恐怖」というネガティブなエネルギーになるのですが、

 

それは同時に「人を信頼していない」という根本を持っている事にも繋がっておりますから、故に彼らは「負のパラドックス=絶えず人を監視し続ける」という過干渉を好むのですが、

 

実はそういう心理の裏には、表裏一体としての「いつまでも自分が権威者でいたい」というエゴが潜んでいるからであり、

 

故にそういう方達というのは、自分が指導した相手が自力でできる事が増えたとしても、相手の進歩成長した部分を認める事も、喜ぶ事も決してしないのです。

 

何故なら「不安や怖れをエネルギーにする権威主義者」である彼らは、相手が完全に自分から自立する事=自分と同等になる事をとても不愉快に感じてしまうからなのです。

(-_-;)

 

 

 

ですので、そういう自分の権威を脅かす様な精神的に自立した存在に対して(…って、実は誰も脅かしていないのですが、権威主義者であればあるほど、そういう不安にいつも駆られてしまうというのが特徴です)

 

常に「これでもか!これでもか!」という様に、際限なく「もっと!もっと!」とサディスティックなまでに過干渉する=相手がどの様な状態であっても、常に至らない点や粗探しばかりするという特徴がありますので、それがバロメーターになります。

 

中には相手にコンプレックスを植え付ける為とも思える様な、病的な"私情を入れたストーカー行為"をされる方もおりますが、

 

実はそういう方は間違いなく「自分の生き方から来る家族や伴侶などのパートナーからの(※セクシャリティ含む)愛情飢餓状態」に陥っている方々なのですが、本人にはその"自己責任"という自覚はないのです。

(^^;;

 

 

 

ちなみに本物の教育や指導であったならば、「相手が成長し、自立する事を一緒に喜ぶ」という特徴がありますので、皆様も是非バロメーターにしてみて下さい。

(*^^*) ~ ☆彡 

 

「相手を信頼して見守る愛在る指導者」から放たれるものには、相手のやる気を削ぐ様な否定的態度や粗探し(酷い時には、相手が失敗する事に喜びを感じる様な愛の無い輩もおります)、

 

そして相手を萎縮させる様な言動というものはありませんから、指導した相手からは感謝を得る事もできますが、

 

「常に監視する過干渉な指導者」という存在は、その裏に「相手を信用していない=相手を自立させない事に繋がっている」という、或る意味「指導者に一番必要な要素を欠く指導者」であると言う事も言えますし、

 

故にそこから「信用していない相手に対し、自分の為に相手の個性を変えようとする」というエゴの混じった指導に必然的に成ってしまうので、

 

それを見抜いてしまう相手からは、疎まれて恨まれるというのは当然の理、必然になるという事なのです。

(^^;

 

 

 

ちなみに私はそういう指導者に対しては、宇宙の法則という観点から視てしまうので、

 

私は自分の個性や人格を否定された時には、自分の為に「自分がされたくない事」として毅然とした態度を取る=自分を大事にする=自分を大事にしない者は、他者を大事にする事ができない法則を選択する事はあっても、

 

その相手を憎んだり恨んだりする事はなく、誰にでも(※勿論自分にも!)平等に働く「因果の法則」というものに思いを馳せてしまうタイプです。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

この世は、各自「自分が思う世界がそれぞれに与えられる」という平等な法則が働いておりますので、「人を信用しない」という方々には、常に「信用できない人達」が、自分が思っている通りに宇宙から与えられますし、

 

「人を信頼する」という方々には、やはり自分が思っている通りに「信頼できる人達」が宇宙から与えられるという事ですね!

(*^^*) ~ ☆彡

 

 

 

この宇宙には「自分が信じているものを与えられる」という性質がありますので、私は自分の普段の思考と言動には細心の注意を払います。

 

「思考=創造」「言葉=言霊」と言われる通り、自分の日常の思考や言動が、それぞれの自分の生きる環境を生み出しているという事実に気付けた人は、

 

"相手の為"というお化粧を施した「自分の為に相手を変えよう」という愛の無い行為が、いかに不毛な事かという事にも気付く事ができます。

( ・・) ~ ☆彡

 

「変えられるのは、自分だけ」という宇宙の理は、自己責任を伴った自由を与えられているという事でもありますから、「自分がどういう環境で生きたいか」を選び創造するのも、各々自分の責任だというのが、

 

この世に上手に隠された真理であり、法則なのです♪

(^^✿

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年