「自分は子育てに失敗したのではないか」という自覚を持つ方達に共通するもの - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

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「自分は子育てに失敗したのではないか」という自覚を持つ方達に共通するもの

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私は若い頃から、職業柄色々と様々な親子関係を観させて頂く事が多かったのですが、

 

最近も私の身近で「自分は子育てに失敗した」とか、「思春期になった自分の子供は、親である自分に口答えばかりして苦労している」とか「子供が自分の言う事を聞かなくて、いつも家庭では怒鳴りまくっている」というコンプレックスを抱えている方達に触れる機会がありました。

(・・;)

 

親としてそんな苦労を感じておられる方達は、どの様な時代にも古今東西、常に数多く存在している様に思いますが、私はそう感じていらっしゃる親御さん達には、或る共通点がある様に思います。

 

それは「何故自分は、自分の子供に説得力を持つ事ができないのか?」という謙虚な視野に欠けているという事でしょうか。

 

そうしてそういう親である方達の教育の原点というものが、意識的であれ、無意識であれ、概ね「自分は親だから!」というエゴが基本になっているという事に、親自身が全然気付いていないという事です。

(・_・;)

 

 

 

親というのは、謂わば「人生の先輩」でもある訳なので、本当は人間的には自分の子供よりも成熟しているはずであり、

 

又本当に人として真に成熟した大人であれば、大人より純粋で潜在的に真理を見破ってしまう我が子に対しても説得力を持てるはずなのですが、

 

では何故多くの親達が説得力を持てずに、子供から煙たがられてしまうのかというと、

 

それは多くの親が"社会"や"世間"や"組織"というものを自分の教師にしてしまって、「自分の眼でものを観る」「自分の頭で考える」という事をいつの間にか忘れてしまったという事が原因であり、

 

又一番の悲劇は、親がそうでありながら、全くそういう自覚を自分に持てない事から生まれる弊害=人間として成熟するという事の"意味の履き違え"から、

 

親自身は必死に一生懸命生きていながら、親子関係に不和が生まれてしまうという、そういう必然的で悲しい結果を得てしまうという事実です。

( ・・) ~ ★

 

 

 

…という事で、そんな悩める親である方達の為に、こんなメッセージをお届け致します♪

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

あなたが人間的に成熟している10のサイン

                            メタフィジックス通信 より

 

成熟するってことは、達人になるってことみたいです。

 

 

心の成熟

 

今回は、心の年齢の話です。

 

大人になって就職をしたリ、結婚して家庭を持ち、家を買ったりするうちに、自由な個人ではなく、責任ある市民として世界に関わるようになります。不幸なことに、ありのままの気楽な自分を見失うことで、大人になったと感じる人が多いのも事実です。

 

誰でも年を取ります。けれども年を取ることは決して衰えることではなく、年を取るほど内面的な輝きが増す人もいます。あなたの中にそんな輝きがあることを示すのは、以下のサインです。

 

 

 

1.流れに任せることが出来る

 

大人になると、流れに逆らうことが多くあります。社会では、何かを得るために戦う必要がありますからね。しかし見方を変えれば、そのような人生は、満たされない欲求を次々生み出すサイクルのようなものです。

 

成熟した人々は、起きることをありのままに受け止め、状況にまかせることが出来ます。じたばたしても、起きることは起きるので、どーんと構えるのです。楽観的かつ現実的な態度で、人生のアップダウンを乗り切ります。

 

 

 

2.我慢することを知っている

 

成熟した人は、成果を得るためには時間と努力をかけ、それが実を結ぶのを待つ必要があると知っています。
また周りに合わせて慌ただしく生きる必要性を感じず、自分のペースで生きることが、結果的に自分にとって一番のタイミングをもたらすと知っています。

 

 

 

3.ハイヤーセルフと一体化している

 

大人になったと感じる時のパターンに、社会に適応するために自分の夢を諦めた時と言うものがあります。安全な道を進むことで、手に入るものもありますが、失うものもあります。

 

自分自身でいることを恐れず、自分の夢と情熱を生きるのを楽しんでいる人は、自己実現と成熟を示しています。しかし多くの人は、自分以外の誰かになることに価値を見出しますから、本当の情熱に気づかないまま年を取ってしまいます。

 

 

 

4.物質社会に規定されない

 

成熟した人は、周りの人と自分を比べ、それに追いつこうとするのは、結局空しいだけだと気付き、自分が持っているものに最大限に感謝します。

 

そして競争社会から一旦、距離を置いてみると、人の価値とはハートの大きさで決まると分かります。物質的な基準では、自分も他人も判断しなくなるのです。

 

 

 

5.自分がコントロールできないことも受け入れる

 

人間的に成熟すると、自分がコントロールし、変えられるのは、自分だけだということが分かります。他人を変えようと、時間を無駄にすることがなくなるのです。

 

同時に、自分以外に永久に無くならないものを探さなくなります。人生とは変化そのものであるという事実も、受け入れられるようになります。

 

 

 

6.人の話を上手に聞けるようになる

 

人間的に成熟すると、他人の話が、ずっと上手に聞けるようになります。相手が言いたいことを理解し、いちいち自分の意見を差し挟まなくなりますし、言われたことに反応する前に、その人の立場や考え方を、十分理解しようとするようになります。

 

 

 

7.人生は大きな遊び場だと考えるようになる

 

成熟すると言うことは、大人になるために自分の魂を売り渡す必要がないと、知ることでもあります。責任とは、自分自身と自分のインナーチャイルドに正直でいることだと考えます。

 

他人にどう思われるかを気にすることなく、夏の子どもたちのように自由に、のびのび自分を表現し、世界を駆け回ります。

 

 

 

8.反応する前に考える

 

感情を爆発させる前に、相手の立場を考え、さらに自分の感情がどこから来たのかにも注意します。常に平静でいる能力とは、すなわち成熟した人だけが持つ者です。相手の痛みも理解し、自分の事のように感じることも出来ます。

 

人の痛みに敏感になれるのは、経験を重ねた人だけが持つ優しさです。

 

 

 

9.ポジティブな態度を身に着けている

 

「ポジティブって言う人は、胡散臭い」なんて、若い頃は思います。けれども人間として経験を重ねるうちに、ポジティブでいることが、いかに人生に大きな影響力を及ぼすかをつくづく感じるのです。

 

そしてそれがどんなに難しいことかも、理解した上で、常にポジティブなバイブレーションを保てるよう努力するのです。

 

 

 

10.人生に対する無条件の愛がある

 

若いうちは、他人はもちろん、自分自身にもジャッジを下し、ダメ出しをします。けれども人間として経験を重ねるうちに、愛こそが人を自由にし、力を与えると気付くのです。

 

誰にでも、その人だけの価値と人生の道のりがあります。その点では、誰もが平等です。比べることも、それを評価することも、必要ないのです。

 

成熟した人は、無条件の愛とは、究極的には自分を自由にし、力を与えるものだと理解しています。自分を愛してくれない人にすら、無条件の愛を与えることで、自分が解放されると知っています。

 

 

10 Signs Of Maturing, Not Only Aging in Viral Novelty

 

 

 

不思議なことに、成熟するとは、人生の過程で身に着けた余分をそぎ落とし、子どものように無邪気で純粋な状態に還ることのように思います。

 

成熟するとは、魂に還る事だからなのかも知れません

 

 

 

 

 

たまには視点を変えて、視野を広げてこの地球を見てみるというのはいかがでしょう?

(^^✿

 

 

 

「日本を飛び出して、実際に自分の目と身体で他国を知る事がないと、日本という国の全体を正しく見る事は不可能」と良く言われますが、それは「家庭」でも「職場」でも、同じ事が言えるのではないかと私は思います。

(^^ゞ

 

或る意味「非常識が常識」とも成り得る"閉じられた輪"に成りがちな「家庭」や「職場」。

 

そういう"閉じられた世界"だけしか知らない方々というのは、視野が非常に狭い方が多い為、その狭い世界が「自分の人生の全て」になってしまい、それを「自分の人生の大舞台」にされてしまう様ですが、

 

そこに「何が何でも自分が中心でないと気が済まない」というエゴと自己顕示欲の強いキャラクターとして、自身が舞台に登場された時、

 

そういう方達から発生するものは、「常に自分が主役でいたいが為の、人との比較や競争」、酷い時には「人を貶める」という劇に成ってしまう事があります。(※こういう関係、実は親子でも多々あるのです)

 

でも当の本人はあまりに視野が狭過ぎて、自分を客観視する余裕がない為に、そういう自覚はまるで無く、故に「舞台上から自分は多くのネガティブな不調和を発生させている」という部分があるという事に気付けない方が多い様ですね。

(^^;;

 

 

 

一方、同じ舞台に立っていても、「この舞台が自分の人生の全て」とは感じていない人間というのも、この世には存在するのですが、

 

その様な方達というのは、つまり「人生」というものをもっと大きな視野で捉えているので、「この舞台は自分の人生のほんの一部に過ぎない」という視野を持っており、故に自分を客観視する余裕があるのです。

 

つまり、或る方達に取ってはとても大きく見えている舞台でも、そういう方達に取っては「小っぽけな舞台の一つに過ぎない」という様にしか感じていない人間もいるという事なのですが、 

 

人間というものは「自分の器で相手を量る」という性(サガ)を持っているものなので、

 

特に狭い視野しか持てていない方達には、「相手も自分と同じ様に見える」という悪癖を持たれた方が非常に多いというのも、共通した特徴の様です。

(◎_◎;)

 

 

 

ちなみにこういうご自分の持つ狭い世界が全てという方達は、いつも焦燥感というものに駆られているというのが特徴なのですが、

 

それは何故かと言うと、そういう方というのは根本には「愛情飢餓」というものを抱えた方が多く、故にその反動で「いつも自分が主役として人から注目を浴びていなければ気が済まない」という性格の方が多いからです。

 

そしてそういうエナジーバンパイア=愛情飢餓の方は、自分が思う様に他者から注目を浴びないと、非常に不機嫌になったりイジけたり、

 

人によっては人や物に当たり、意地悪をしたり暴力(言葉の暴力含む)を振るう様になるというのがバロメーターになりますし、(※こういう言動を取る方の裏にあるのは、「皆こっち向いて~~~ッ!私を愛してッ!!」と泣きわめく3才児と同じ心理です)

 

逆に自分に自信が持てないが故に、「自分の上の者には媚び諂う」事で、過剰なまでに自分を「良い人間」だとアピールする事にエネルギーを注ぐコンプレックスタイプの方もおり、

 

人によっては、人前で意識的にそういう自分を演出する事で、自分とは違う個性を持った他者を「悪者に仕立てる」「他者より自分の方が良い人間だと思われる事に快感を覚える」という強かな裏技もお持ちの強者もいらっしゃいます。(笑)

\(◎o◎)/!

 

 

 

ちなみに職場などで「自分の思い通りにならないと不機嫌に怒る」という方が自分の家庭に戻り、妻(夫)の顔や親の顔に戻った時に、家庭で見せる顔というのは一体どの様なものであるか?というのを、皆様は想像された事はありますか?

 

そういう方達というのは、伴侶や家族から愛されていないと感じて不満を持っていたりする事が多いので、その反動で子供を溺愛して子供を駄目にする様な親になる事もありますし、

 

「親だから」というのを建前に、子供に過干渉になり過ぎたりして、子供に疎まれる親であったりする事も多いのです。

 

家庭という、或る意味"閉じられた輪"である場所では、人間のエゴが一番出る場所でもありますから、職場で自分が見せている顔が、姿形そのまま、或いは表裏一体として形を変えて、もっと顕著にその人自身が現れるという事でもありますから、

 

職場では自分より上の立場の者に、必要以上に過剰に自分の為に媚び諂う者が家庭に戻り、自分が「上の立場」に成って、その職場でのストレスを"躾"や"教育"と称して家族に発散する時の姿というのは・・・

 

(※後は皆様のご想像にお任せ致します。笑)

(^^;;;

 

 

 

子供というものは、親より社会や世間というものに毒されていない分、真っ直ぐな曇りのない眼で、そういう大人の"自分の為の保身や嘘や偽善=愛の無さ"に気付いているのです。(※「親だから!」を無自覚に自分の教育の基本にされておられる方は、そういう真理が理解できない方がとても多いです)

 

子供が何故反発するのか、子供が何故口答えして素直にならないのかというのには、子供には子供なりのちゃんとした理由があるのですが、視野の狭い方というのは、そういう角度から物事を観ようとは決してなさらないのは、

 

大体は「親だから!」という権力=エゴで子供に言う事を聞かせようとするから、子供に説得力を持てないというのが原因なのです。 

 

つまり子供が親に抵抗する原因の多くは、自分のエゴに気付かない親による「あなたの為を思って」と称した、その実「親が子供を自分の為にコントロール支配する為」、つまり「本物の愛の不在」が理由なのです。

 

ちなみにこういう親御さんの多くは、子供に「何故そうするのか?」と質問されても、自分を持っていない為に「そういうものだから」としか答えられなかったりするので、子供を納得させる事ができないのです。

"(-""-)"

 

 

 

「家庭」でも「職場」でも、もし何らかの不調和や、波動の低い荒んだ空気が流れると感じられておられる方達は、その原因を我が子や他者の中に探すのではなく、

 

それぞれが「視野を広げて、自分の生き方を客観視する」という事が、実は一番の解決法になりますので、

 

その方法の一つとして、「今の自分の言動は、全体に取ってどういう波動を生んでいるのか?」という事を常に自分で意識する=「自分の口から発せられる言葉=言霊に気を付ける」という事から実行されると良いと思います♪

 

そういう事を意識された事のない方達の多くは、きっとご自分が普段無意識に口にする言葉が、如何にネガティブな表現が多いか、否定的な怒りを伴った発言が多いか、或いは過剰で不自然な媚び諂いが多いかという事に気付かれると思います。

\(◎o◎)/!

 

ちなみにこの様な表現をされる方達というのは、実は根底に「自分自身を愛していない」という深層心理が隠れているからであり、つまり彼らの感情の起伏の激しさ含めた不機嫌は、実は他者が原因ではないというのが事実なのです。

 

 

 

又これは余談になりますが…。

 

「言霊」と言っても、例えば中には「挨拶」というものを社会人として表面的にはキチンとされていても、その言葉にちっとも心がこもっていないと感じられる方というのが時々おりますよね?

 

そういう方の挨拶というのは、ハートからではなく、頭で考えた「社会人としてせねばならぬ」で挨拶している事が多いのですが、こういう方の挨拶が、何故多くの方の心に届かない(※本人は全く気付かずに、人に不快感を持たれてしまっている事もある)のかと言うと、

 

そういう方というのは常に「自分の様に挨拶をしない人間への批判=怒り(※そこから生まれる「相手にもせねばならぬを強要する事」含む)」というものを、同時に無意識に表裏一体として自分の中に抱えている事に気付いていない事が多いからです。

 

故にそうした方の挨拶というものは、挨拶というものの本来の意味=「相手に安心感を与え、心地良くさせるハートからのコミュニケーション」から生まれる高い波動というものは生まれず、

 

その表裏一体として存在する、真逆の低い波動から生まれる粗雑で潤いの無い声が(※声はその人の本質をもろ表します)、実は相手の心を不快にさせている事も多く、単に「言霊=大きな声で挨拶をすりゃ~良い」って訳じゃありません。(笑)

 

ちなみに私の様な人間は、「そんな心がこもってない挨拶なら、しない方が良くね?」と思ってしまうタイプです。(笑)

 

何故なら常に宇宙には「自分が放ったもの」を、良くも悪くも「それを放った本人に(※時間差はあっても必ず)そのまま返す」というクールな法則が働いているからです。

(・。・;

 

 

 

これはこの世の隠された真理なのですが、実は自分の心が発した言葉と行為=言動そのものが、各自の「自分の生きる波動の世界」を生み出しているのですね。

 

同じ空間に居ながら、「天国に生きる人=感謝で生きている人」と、「地獄に生きる人=不平・不満ばかりに目を向ける人」とに分かれるというのは、正にそういうカラクリから来るのです。

 

全ては「自分に原因がある」という事であり、「家庭」でも「職場」でも、各自ご自分の住む世界を幸せなものに変えたければ、まずは各自「自分が変わる事」しかありません。

 

その中には「波動の低い者から受ける心無い行為を止めさせる=自分を大事にする」という事も、とても大事な勇気ある行為になります。(※波動の低い者が、波動の高い者へ影響を与える事はできませんが)

(*^^*) ~ ☆彡

 

 

 

この世には「自分で変えられるものは自分だけ」という真理がありますので、

 

私は自分の人生のモットーとして「全体の波動を上げる=人々が喜びや幸せや感謝を感じられる空間を創る」為に、自分の責任と判断で、自分ができるだけの事は致しますが、

 

後はそれぞれ「相手の事は相手に委ねる」のが、お互いの為の礼儀と心得ております。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

「こっちに来れば、幸せと感謝を感じられて楽しいよ~♡」と誘う事はできても、

 

「いや、私はこのまま、この暗い不平不満の生き地獄に居続けたいのだ」「いや、私は自分の生き方に自信が無い故に、権力という力で人から牛耳られたり、牛耳るのが好きなのだ」

 

という方に、私は無理強いはせず、放っておくクールなタイプなのは何故かと言うと、

 

それぞれの人生には、親子であっても、どんなに親しい関係であったとしても、他者が介入してはいけない領域=自由意思の尊重という愛の法則が働いているからなのです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

ちなみに今回のコラムのメッセージの意味が分かる方は、もうすでに「愛の領域=天国」に住んでおられる波動の高い方達です♡

(*^^*) ~ ♡

 

 

 

最近私の周りでは、人間の抱える永遠の悩みではないかとも思える「子育てで悩みを抱えている方」や「自分の子育てに後悔を感じている方」というのを数多くお見掛け致しましたので、今回は私独自の感覚と視点から「親子関係」というものを取り上げてみましたが、

 

基本的にはどの様な人間関係も、良好な関係を築く為の法則は全て同じではないかと私は思っているのです♪

(^^♪

 

それは何かと言うと「それぞれの立場を超えて、お互い善い人間でいましょう=波動を高め合う素敵な関係をお互いで築きましょう」という事でございます♪

 

「私は親だから!」「私は上司だから!」「私は教師だから!」「私は先輩だから!」etc.…というエゴを外した時に、他者に説得力を持てる人間というのが、人として本物であると、私の様な人間は思っているのです~♫

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

 

 

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(東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年