- 大園 エリカ
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
- 東京都
- クラシックバレエ教師・振付家
この世には色々な人間がいて、(※勿論自分も含めて)皆それぞれに様々な価値観を持っている訳ですが、
そんな中で「この人は明らかに気を病んでいる」という方をお見掛けしてしまうという経験は、きっとどなたでもお有りなのではないでしょうか?
(・。・;
まぁ、この世に生まれる人間は、多かれ少なかれ「気を病んでいる」とも言われますので、自分も含めて「症状が軽いか、重いか」だけの違いなのかもしれませんが(笑)、
誰が見ても「明らかに気を病んでいる」と感じられる人間には、私は或る共通点がある様に思います。それは「非常に激しい承認欲」というものを持たれた方達という事です。
( ・・) ~ ★
この「承認欲」というものは、人間なら誰でも持っている欲の一つでもある訳ですが、これが異常なまでに肥大化してしまった方達を、私達は「気を病んだ方達」と感じてしまうのだと思います。
「欲」というものも使い様なので、そういう事を自分で客観視できて、それを自身で良い方向に持って行けば、人の役に立つ大きなエネルギーとなる場合もありますが、
それが良くない方向に向かうと、その欲の激しさに比例して、ご本人は無自覚に段々気を病んだ状態にまで行ってしまうという事なのだと私は思います。
(・・;)
ちなみに自分を冷静に客観視できる人は、「個性的」とか「変わっている」とかは言われても、「気を病んだ人」とは言われません。
まぁ、この他者を勝手に「個性的」とか「変わっている」と判断するというのも、私達が持つ一種の業というか癖ですよね~。
ちなみにこういうジャッジメントがお好きな方達は、そう言う自分も他者から見たらそう見えているという発想は全く無い方が多い様ございますが、(笑)
この世には誰一人自分と同じ人間はいないのですから、お互いがお互いに取って皆がそれぞれ「個性的」であり「変わっている」訳で、私からしたら「目くそ、鼻くそを笑う」なのですけれどね~。(笑)
(^^;
大体自分以外の人間を「変わっている」と思うというのは、その裏に「自分はまともだ!」と思っているから生まれる発想な訳で、でも何を以って「自分はまともである」と判断できるのでありましょうか?
その基準を「世間や社会の価値観」や「自分の人生で見聞きして来た事のみ」に置くか、「この世の真理」に置くかで、その判断は真逆になる事も有り得るのですが、
それを話すと長~く成り過ぎますので、話を今回のテーマに戻します♪
(^^✿
では気を病むほど激しい「他者からの承認欲」を持たれた方達に共通するものとは一体何でしょうか?
それは実は「自分で自分の事を認めていない=自分の事を愛していない」という事であり、それ故その代わりに「他者からの承認を切望する」という深層心理に自分で気付けていないという事実です。
(・_・;)
では何故「自分の事を自分で愛せない人間」というのが、この世にこんなに多いのかと言いますと、
それはやはり全ての方が持つ自分の根としての「親」や、或いは「自分を育ててくれた方」から、豊かな真の愛情を注がれて育ったかどうかというのが大きく関わっていると私は思います。
( ・・) ~ ☆彡
ちなみに豊かな愛情というのは、「過剰なまでのお節介な過干渉=子供を自立させない歪んだ教育」や、親の欲やコンプレックス解消の為の「教育と称した奴隷化=親の為の良い子を育てる=人格無視」ではなく、
如何に「親から信頼されて愛されたか」「見返りを求めない無条件の愛を注がれたか」という事ではないでしょうか?
でもこの世というものは、親子であってもなかなかそういう「真の愛情」というものに触れる機会を得るという事は困難であるというのが現状でありますから、
「この世には気を病んだ方達が大変多い」というのは、哀しいかな頷ける事実ではあります。
(-_-;)
ちなみに子供というのもは真の愛情というものには敏感なので、「自分は本当に愛されている訳ではない=親はありのままの自分を愛してくれない」という事も、理屈でなく肌=ハートで理解してしまうものなのですが、
その事実は自分に取ってあまりにも辛いので、多くの方は頭=理屈でそれを打ち消し、「自分は愛されている」と思おうとする、或いは「愛される自分を演じよう」とするのですね。
それ故に、その辛い事実を自分で気付かない深層心理として、自分の心の奥深くに埋もれさせてしまうというのが、「激しい承認欲」を生む種と成ってしまっているというのが、私から視えるカラクリです。
(◎_◎;)
ですのでこういう方達は、目立つ事で人から注目を浴びる事が好きな「自己顕示欲」タイプであったり、世間や社会から認められる「出世欲」への執着が強い方達であったり、
「人をコントロール支配する為にお金に執着する=Money is power」という価値観を好まれる方達が多いというのも頷けます。
でも元はと言えば、実は全てこれらは「自分で自分の事を愛していない=ありのままの自分を自分で認めていない」というエゴから生まれて来る価値観なので、
そういうものを、例え血の滲む様な努力で得られたとしても、そういう方達は決して心からの幸せを感じる事はできないというのがバランスであり、シビアな現実なのです。
(・。・;
ちなみにこういう真の幸せを感じる事ができない方達というのは、自分の中に「無意識の怒り」というのを溜め込んでいらっしゃるので、
その怒りが外に向かう人は、それが「他者へのサディスティックな苛め」に姿を変えたり、「何でもまず否定する事から入る偏屈人間」に成ったりしますし、
その怒りが内に向かう人(※こういう方は、実はお人好しで優しい心の持ち主が多かったりします)は、「自分自身を責める鬱病」を患ったりしてしまうのですから、
この世のそういうカラクリに自ら気付ける叡智を得る事=無知・無明からの脱却は、自分の幸せの為にも、お互いの幸せに為にも、私達には不可欠ではないでしょうか?
例え親から愛されなくても、他者から認められなくても、自分の生き方次第で(※ここ重要ポイントだと思います♫生きるとは頭で考える事ではなく"行為(行動)"です)、
「自分で自分を愛する事」「自分で自分のありのままを認める事」は可能なのですから♪
(^^✿
自分を自分で尊敬できる生き方=行為・行動をしている人が、この世では幸せへのパスポートを得る事になるのです♡
そして私が思うに、そのパスポートを自身で手に入れた方達というのが実はこの世では最強であり、又真の幸せを感じられる為の一番の財産を得た方達なのだと思います♡
自分の事を大事にできない方が、本当の意味で他者を大事にする事などできませんし、自分を愛せていない人が、心から他者を愛する事はできません故…。
☆_(_☆_)_☆
鳥や動物達というのは、誰かに認めてもらおうなどとは思っておらず、生きる事そのものに幸せを感じている様に思えます。
(^^♡
人間とは、本当に面倒くさい生きものじゃのぉ~~~ッ。(笑)
(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;;;
自分の中の無意識の怒りに気付けず、その自分の怒りを他者のせいにしたり、逆に自分に向けてしまう内向的な方達はこの世にあまりに多い様に思いますが、そういう自分の中に元々巣食っている怒りを、他人や自分に向ける人間は、
実はこの世で一番弱く、人間としての真の幸せを人生で感じる事ができないお気の毒な方達です。
つまり「元々自分の中に種として持っている怒り=苛立ちを、何でも人のせいにしたり、逆に自分を責める=自分を蔑ろにする様な生き方をする自分を、自分で尊敬できるか?」という事ですね~。
ご自身を客観視するのが苦手だという方は、「そういう他人がいたら、自分はそういう人間を尊敬するかどうか?」という事でお考えになってみれば、ご自分が観えて来るかもしれません。
( ・・) ~ ☆彡 or ★彡
ちなみに巷では、謝る理由もないのにやたら「すみません」「ごめんなさい」を連発される方というのがいらっしゃいますが、(※文化からなのか日本人には特に多いのですが、こういう方は精神的に自立して誇りを持った方達が多い海外では軽蔑されてしまう事が多いです)
外で自分の立場の上の者にはやたら媚び媚びされる、こういう「謙虚さというものを勘違いされている方」というのは、実は家に帰れば我が子や家族に対して暴君に変貌したりするというのがバランスです。(…あ、今冷や汗をかかれた方がいらっしゃいますね?笑)
人間という者は「謝る理由もないのにやたら謝罪する人間」に対して、最終的には内心でウザく感じてしまったり、イライラしてしまうというのが何故なのかというと、
それは謙虚に見せかけて、実は「自分を卑下して蔑ろにしている=自己を尊敬しておらず、自分を大事にしていない」という本質を感覚で見抜いてしまうからであり、
又これも形を変えた自己顕示欲=歪んだ承認欲であるという事を、理屈ではなく肌で感じてしまうからなのだと思います。
"(-""-)"
私達が本来持っている本質というものは、「自分の事を蔑ろに扱う」という事を最も嫌がるものであり、それが私達の持つ魂=本質だという事を、そういう方達はご存知ないのでありましょう。
\(◎o◎)/!
こういう生き方をされる方の内面も、つまりは無意識な怒りで一杯だという事なのですが、
こういう真理=カラクリというのは、各自が自分自身でそれぞれ気付くしかありませんので、他者はどうしてあげようもないというのも、自己責任を基盤とするクールで愛ある宇宙の法則なのでございまする~。
☆_(_☆_)_☆
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年