「何に楽しさを感じるのか?」で視えて来るもの - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
東京都
クラシックバレエ教師・振付家

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対象:文化・芸術

大園 エリカ
大園 エリカ
(クラシックバレエ教師・振付家)
大園 エリカ
(クラシックバレエ教師・振付家)

閲覧数順 2024年04月19日更新

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「何に楽しさを感じるのか?」で視えて来るもの

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巷では「人生を楽しもう!」「人生は楽しんだものの勝ち!」という思考が大人気ですね!

(*^^*) ~ ♫

 

確かにそれは「"一筋縄ではいかない複雑な人生"を生き切る知恵」として、私も大いに賛同できる一方で、例により、私はそういうものを別の角度からクールに観察してしまうシビアな眼を持っています。

(^^ゞ

 

何故ならその多くは"思考"から来ている場合も多く、どこか自然さの感じられない、頭で考えた"せねばならぬ"の「楽しまなくちゃ!」みたいな無理矢理感やら、違和感やらを感じてしまう事も正直多いからです。

(^^;

 

何故多くの人間が、こうもバーゲンセールの様な安易な「楽しもう!」に執着し拘るのか?

 

それは実は、「色々な苦労や試練とも数多く遭遇する、シビアで現実的な人生」というものを肌身で感じていらっしゃるからこそ生まれる発想(※知恵とも言います)であるという、そういう裏返し現象であるとも言える訳ですね。

(・_・;)

 

 

 

所で、皆様は日常の中で、どの様なものに「高揚感」や「楽しさ」、そして「リラックス感」や「安らぎ」「安心感」を感じられますか?

(^^✿

 

私が思うに、この「楽しむ」という感覚は、「どこで笑えるか?」という"笑のツボ"と同じで、人の持つ段階や感性により、かなり個人差が生じて来るものだと思います。

 

そしてこれは以前にもコラムに書かせて頂いた事でもありますが、よく巷では「「楽しむ」という事と「喜び」というものをごっちゃにされてしまう風潮がある様です。

楽しさ と 喜び の違い

 

 

「楽しむ」という時に得られる感覚にも色々な段階があって、動物的感覚から比較的簡単に安易に手に入れられる"自分の好む或る刺激により興奮する"という快楽的な質のものから、自分の人格・霊格を高めてくれるという嬉しさや喜びが伴う"心からの高揚感"という質の高いものもあるのです。

 

後者は、ただ単にバーゲンセールで得られる「楽しむ」という感覚とはかなり違う「楽しさ」なのですが、これを味わってしまった人間は、バーゲン大安売りの様な表面的な楽しさには興味を感じられなくなってしまう事が多いのが何故かと言うと、

 

それは簡単に手に入れられる安易な楽しさというものは、まるで「一発花火」の様に味わった後には"興奮した事から来る疲れ"が自分の中に残ったりして、そこから来る"空しさ"というものに気付いてしまうからなのだと思います。

 

一方「自分の人格・霊格を高めてくれる喜び」というものは、自分の中の財産となり、生きる上での大きなパワーに変換できますから「興奮した後に疲れる」という楽しさとは全然違う質のものなのです。

 

「何に楽しさを感じるのか?というのは、笑いのツボと似ている」と先に申しましたが、そのセンスや感覚というものを観れば、その方がどの様な段階に生きていらっしゃるのか?という事のバロメーターになるので、実は私に取ってはこのポイントこそが、その方の"人となり"を一番知れるビッグポイントにもなっているのです。

 

それは例えば「残酷」なものや「アイロニック」なものを見て、それを楽しいと感じられる感性の人であるのか、不快感を感じる人であるのかとか、食べ物を粗末にする番組などを見て何を感じるかとか、誰かを貶める事に快感を感じる歪んだ愛の無い人なのかどうかとか、

 

逆にその場の波動を上げて、そこにいる皆に良い氣=誰も不快になる事のない真の楽しさや喜びを与えられる人なのか…と同時に、人の氣を下げる嫉妬深い人間や、意地悪をする様な波動の低い者に対しても、自然に気付きを与える事のできる人なのかとかいう様な事ですよね。

( ・・) ~ ☆彡 or ★彡

 

 

生きる上で大きなパワーをもらう「笑う」という行為は、真にリラックスした中にしか生まれません。そしてどの様な空間や人物にリラックスできるか?というのも、その人、人の感性により大きく異なります。

 

例えば、多くの人が「近寄り難い」とか「堅苦しい」とか感じるものに、何故か"誠実さ"から生まれる「品格」というものがある様ですが、

 

これは物事を深く洞察できる様になればなるほど、自分の波動が高まれば高まるほど、この「品格」というものは、全ての人に対しての繊細な慈愛や慈悲に通じているのだと理解できる様になります。

 

誠実さから生まれる「品格」とは、自分と他者の人格を尊重し、それを大切に扱う事から生まれる慈愛と慈悲から自然に生まれるオーラです。

 

ちなみに私は「波動が粗く、思い遣りや繊細さのない人や空間」「下品・下劣な思考や行為」「物や食べ物を大事にしない」など、そこに品格や本物の優しさから来る配慮が感じられないものに触れると、全くリラックスできませんし、正直心から笑う事も楽しむ事もできません。

"(-""-)"

 

何故なら感性が磨かれて来ると、そういうものを観た時には、同時にその後ろに存在する状況や背景というものも同時に見て感じてしまうという微細な感性を持ってしまうからなのです。

 

本物の愛を持った人というのは、相手の人格を自分と同じ様に尊重する事から生まれる繊細な感性と、視野の大きさから生まれる想像力というものを持っているが故に、"物を大事に扱う"という人達でもあります。

 

何故かと言うと、それを考えて作った方達への思い遣りを持つ様になるからです。(※例えば演劇では小道具として物を乱暴に扱ったり、壊したりなどという事が演出上必要になって来る場合も多々ありますが、そういうものを感じている方と、そうでない方とでは、同じ物を扱う時に、全然違った扱いや発想になるはずです) 

 

私達は人格を磨く事で感覚が繊細になればなるほど、自動的且つ自発的に、人でも物でも大切に扱う=できるだけ無駄や損失を防ぐ様に自然に成ってしまう=ハートで考える人格者に成って行くのです。

 

そしてそれこそが、私達人間が「何故生まれて来たのか?」に対する答えであると私は思っているのです。(※前回のコラムでもお伝え致しましたが、与えられた才能というものも、その為のツールに過ぎません)

( ・・) ~ ☆彡

 

 

本来人間という生き物は、自分の人格・霊格が高まる時に、真の喜びを感じる様に生まれ付いているのです。

 

ですが、それを味わう為に必要不可欠なものとして、多分多くの方が面倒くさいと敬遠される(?)「努力」や「精進」というものがあるのですが (※でも実はこれも大きな誤解で、本当は努力や精進というのは自発的なものであれば、とても楽しくやり甲斐のあるものなのです!=やらされると感じるから楽しくないのです)、

 

この世は「楽をして得たものには、それだけの感動しか与えられない」という、そういう因果な世界であるというのがシビアな現実です。

 

そして私の様な人間は、厳しくともそこに本物の愛=自分の人格・霊格を引き上げてくれるものに触れた時に、心の底から「喜び」という生きるパワーが湧いて来るのです。

(*^^*) ~ ☀

 

ただ、生きる上での大きなパワーになる「喜び」というものは、「何事も中途半端にせず、無になってベストを尽くして努力精進する」という経験を持った事のある人にしか味わえないものなので、多くの方は敬遠されたり「リラックスできない」とか「楽しめない」とか感じてしまう様なのですが、

 

簡単に手に入れる事ができないからこそ、逆に私の様な人間には、そういう中で生きる中にこそ「本当の楽しさ」や「生きる極意」の素晴らしさを見出すのです。

 

そういうものを深く理解し共有し合える方達と、波動の高い空間の中に居る時に、私は心の底から笑える自分に出会えます♫

 

そういう経験を持った方達に共通するのは、大きな視野から来る"知性"と"誠実さ"から培われた「品格」であり、私はそういうものに触れた時に、ホッとし安らぎを感じ、心から楽しんで寛げる人間の一人なのです。

 

 

 

 

 

子供の時に大好きだった永田萠さんの優しく温かく愛らしい少女の絵は、今でもとても好き♡

半世紀以上生きてしまった逞しい私㋱でも、内面には未だ失う事のない少女がおりますのよ♫ ほほ♡

(^^✿

 

でもそんな"少女の様なエリカちゃん"を引き出して下さる方=私を心底リラックスさせて寛がせてくれる様な知性と品格とユーモアを持った方=私を近寄り難いと感じない様な波動の高い方は、正直最近あまりお見かけしなくなってしまったかもデス。

( 一 一) … トオイメ~☆彡

 

でもこれは私の若い時からのお役目でもある様で、私は鏡の役割を担う事が多い為に、邪な心を持った方ほど何故か私を怖いとお感じになる様でございますが、お心の綺麗な方達は、私の内面に可愛らしさを視て下さる方も多くいらっしゃいます♫

(*^^*)~♡

 

 

 

「楽しさ」というものも、簡単に安易に手に入れられるものは"感動も薄い"という事なのですが、この世の大多数の方は、そういうものの方を求めて生きていらっしゃるのかなぁ?とちょくちょく感じる事も正直私はありますが、

 

でも私はそういうものには昔からあまり興味が湧かず退屈してしまう質でして、むしろ何かに真剣に取り組んだりして、自発的な中途半端でない努力をした後に得る快感と充実感の方が、自分に取って「凄く楽しい♫」と感じる体質の様です。

 

だって何事も中途半端にする事から得られるものは、それなりの経験という因果の法則が働きますからね~。だから特に「遊ぶ時=自分の好きな事をする時」には本気で遊ばないと、観えて来る景色も、経験から得られた結果としての学びも、全然違って来るという事です。

 

「仕事は楽しく、遊びは真剣に」は、確かタモリさんの名言だったと記憶しますが、正に言い得て妙でございます!

中途半端で優柔不断な生き方は、人を嫉妬深くさせる!? 

 

 

 

でも人によっては、そういう私の生き方がストイックに見えたりする様で、そういう楽しさをご存知ない方は、そこにご自分を投影してしまうのか、「楽しんでいない」という様に見える方も中にはいらっしゃる様なのですが、

 

これはそういう経験をされた方にしか分からない楽しみ方なので、経験が無い方には理解されなくても仕方ないと思うだけですし、私は常に「自分が楽しいと感じる努力」をするのが好きなだけなのです♫

(^^✿✿✿

 

それが「私の人生の楽しみ方」でもあり、又私の生きて来たバレエの世界では、そういう事を理解実践できる素敵な情熱と感性と行動力を持たれた魅力的な方達が沢山おりましたから、私は本当に日々が充実していましたし、そしてとても楽しかったのですが、

 

引退した今の私の環境の中では、なかなかそういう感覚を一緒に共有できる方が少ないという現実が正直ありまして、でもそういう環境の中でも、私は自分を見失わずに"自分流に楽しむ"という事を自分の為に貫く事にブレはなく、

 

どんな環境であっても、自分の中では「どんな時も、常に自分のベストを尽くしてトライする」という姿勢は変わらず、それなりに自分の中では楽しんではいるのですが、では「以前の様に私を高揚させてくれる世界か?」というと、ちょっと違うかなぁというのが正直な気持ちでしょうか。

 

これは多分、以前の様に「そこから生まれる喜びを、誰かと一緒に共有する」という感動が、あまり味わえなくなってしまった事から来る感覚なのでしょう。

(^^;

 

バレエというとても波動の軽やかな世界に生きて来た私に取っては、波動の重たい世界では「鳥は自由に羽ばたけない」、そんな感覚(※楽しさよりも苦しさや不快感)を時々感じてしまうのも事実かなぁ。

 

(※これは以前にもどこかでお伝えした事ですが) お魚は水の中で生き生きと魚らしく生きられるけれど、鳥は水の中では生きれませんし、鳥は空を飛んでいる時が一番幸せを感じる生きものですが、でもお魚は陸地に上がると死んでしまいますよね?

 

どちらが良いとか悪いという事ではなく、皆「生きていて心地好い場所」というのは、様々ですからねぇ…。

(・・;)

 

 

 

…あ、でもご心配なく♫

 

いつだって私は自分を信じておりますし、又自分を守るのは自分ですし、そして私も伊達に長く生きて来た訳でなく、そんな中でも「自分の羽ばたける空」を、どんな状況でもしっかり自分で確保する術を身に付けております故♫

 

何より"自分の為の自分の人生"ですからね~。

 

特に最近、とても摩訶不思議で貴重な体験が重なった事から、「これはどうも自分へのメッセージだ!」と感じられた事もありまして、

 

私は宇宙から愛され、そして宇宙に守られているという安心感と、そしてそんな中での「私の役目」というものも、実は自分の中でしっかりと自覚できているのです~☆彡

(*^^*) ~ ♡

 

人としての在り方

 

 

 

 

 

 

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natural & elegance

長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年