「すみません」と生きる事が謙虚であると信じている日本人が持つ歪み - 文化・芸術全般 - 専門家プロファイル

舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
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対象:文化・芸術

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「すみません」と生きる事が謙虚であると信じている日本人が持つ歪み

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若い頃から色々な国へ行った経験を持つ私は、日本人が根底に持つ勤勉さ・誠実さ・優しさ・清潔好きなど、特に他者への繊細な心遣いと気配りができる気質というものへ、敬意と誇りを感じている日本人の一人です。

(^^✿

 

そういう方達が多く住む日本という国は、世界に類を見ないほどとても住み心地の良い国と言っても過言ではないと私は思いますし、又そういう優しい波動を持つ「日本」と言う国に生まれた幸運に私は感謝せずにはいられません。(※これは日本という土地の波動が高い事から生まれている気質や文化とも言われていますね!)

☆_(_☆_)_☆

 

その一方、だからこそ私が非常に残念に感じる事の一つに、多くの日本人の方達が無意識に持ってしまっている「歪んだ思考癖」というものがあります。

 

これは「日本」と言う独特な文化を持つ国の環境から生まれている独特な価値観なのですが、そういう思考癖を持った方達の方が多い日本ではそれが当たり前となっていて、

 

そういう日本人の持つ"歪み"というものを、当人達は"歪み"と感じていない所に私は異様性を感じる事も多く、時に"社会的な病"とすら感じてしまう事が多々あるのです。

(^^;

 

では、その思考癖とは…?ですが、それはズバリ、

 

「"すみません"と生きる事を謙虚と勘違いし良しとする」と同時に、その表裏一体として生まれる「"すみません"を他者にも言わせる事が大好き」という、そういう自他共に「歪んだ自虐的・他虐的な生き方を好む」という所です。

 

それが意識的であろうとなかろうと、そういう価値観から「すみません」を口癖にされておられる方達には特徴があって、そういう自分への卑下や自虐が、実は「他虐に繋がってもいる」という事に気付いておられない方達が大変多いという事実があるのです。

(^^;;

 

 

 

こうした日本人が持つ歪んだ哀しい性(サガ)・価値観は「一体何から生まれているのか?」ですが、

 

良く言われるのが「戦後アメリカのGHQが日本をコントロール支配(※隠された植民地化とも言われます)する為に、意図的に日本人を洗脳教育する事で、日本国民に植え付けられた自己否定と罪悪感」からという、その国家的な策略が功を奏しているという説がありますが、

 

日本という国は、元々小さな島国に住む事から生まれた独特の文化である「和を保つ文化」というものがあり、それは非常に美しいものでもありながら、

 

その表裏一体として存在する「皆と一緒という価値観が好まれる」「目立つと叩かれる」「個人的な才能を認めたがらない」「個性的・創造的である人間を奇異な目で見る」といった屈折した文化も同時に育まれている事から生まれた文化でもあるのではないでしょうか?

(・。・;

 

 

 

こういう文化から生まれるものとして挙げられるのが、例えば最近では芸能人が不倫をしたとか、不祥事を起こしたなどという時に一斉に、まるで「私達国民に謝れ!」と受け止められる様な、その異様なまでに対象者を責めたてる集団意識から生まれる凶暴性というものがあります。

 

勿論犯罪に繋がっている悪質なものに対してや、多くの方が被害を受けている様な性質のものに、多くの人間が勇気を持って声を上げる事から生まれる"社会的な改善"というものは、平和的に住む為には当然社会では必要で大事な事なのですが、

 

それが例えば芸能人のゴシップの様なもの=本来ならば「個人的な自己責任」であるべき性質のものであっても、そこに個人的な私情という感情移入をし過ぎて、「謝れ!謝れ!(※← でもこれは一体誰に対して?)」と集団で過剰反応する姿というのは、ちょっと私的には病的にすら目に映る時があります。

 

こういう反応が何故起きるのか?というその裏には、実は「すみません」を好む歪んだ国民性というものが大きく影響していると私は思います。

( ・・) ・・・

 

 

 

実際日本人の方達の中には、まともなディスカッションができない幼稚な大人や、そういう大人を見て育っている子供や若者も当然多く、何か言われるとすぐ「自分を否定された様に感じて傷付く」という思い癖が大好きな方達や、

 

「自分が責められている・怒られている」と、すぐ相手を加害者に仕立て上げる事の好きな自虐的な方が多いのですが、この世にはどの様なものにも、その表裏一体として同時に生まれるものがあるのですね。

 

でもそういう事に思いが行くという方というのが殆どいらっしゃらないから、そういう方達の方が数が多いから、皆無意識にそういう価値観にしがみ付き、お互いを窮屈な人間関係で縛るという関係が育まれているのでしょうねぇと、私の様な人間は感じるのでございます。

(^^;;

 

この様な価値観の方といると、結局他者はそういう方のお守りをさせられる事になりますし、そういう方達がいくら表面上は穏やかで明るく優しく振る舞おうとも、

 

私の様な人間には、そういう方達が"思考"というもので封じ込めているその方の本音=その人の魂が感じている「卑屈さや隠れた怒りから生まれる息苦しさと窮屈さ」という波動の方がこちらに伝わって参りますので、

 

私は一緒にいても全然楽しく感じられませんし、会話も底が浅くて飽きてしまう事も多く、正直とても疲れてしまいます。

(-_-;)

 

その方の表面上(※思考や言動でのお化粧含む)はどうであれ、私はそうしてそういう方達の魂が窮屈さを感じているのが波動で分かってしまう故に、得意のお節介体質が顔を出し、つい相手に対して「それを解放して頂いて、楽になって頂きたい!」とも思ってしまうのでございます。

 

でもこれができるのは、相手がそういう事に気付き始めていて「自分を変えたい」と思われている方のみなのですが…。(※どなたに取っても「自分を変えられるのは自分だけ」です)

( ・・) ~ ☆彡

 

まぁ、私がこうしてメッセージ的なコラムを書く事が多いのも、そういうお節介体質からなのですけれどもね~。(※私のこういうメッセージがどなたかの役に立っているかどうかは、私には分かりませんが…)

(^^ゞ

 

 

 

どの様な人間関係であったとしても、「すみません」が口癖で、それを常に自分と他人に強要する方を、私は昔から"隠れ傲慢"とお呼びする理由を、以上の様な説明でご理解頂けましたでしょうか?(※自分がしている事を他者にも求めるという癖を、人間は無意識に皆持っているからです)

 

「私なんて…」と自分を卑下する事を好まれ、それを謙虚だと履き違われている方達が見落とされているもの、それは「いかに自分に対して失礼な事をしているか」という発想と自覚が彼らにないという事実です。

 

自分を大事にできない人が、本当の意味で他者を大事にできるという事はできないのですから、私はこういう事実を多くの方に早く気付いて頂き、そしてご自身の魂を解放して頂き、楽に成って頂きたいのです。

(・。・;

 

 

 

ちなみに私は、「私なんて…」という思考癖や口癖を持った方とお話させて頂く時に、そういう思考癖を無意識に持っているという事を本人に気付いてもらいたい=楽になって頂きたいと思い、

 

そう仰る方には良く、「貴方は他人に対して『あなたなんて…』と言いますか~?」と質問させて頂くのですが、

 

そうすると彼らは例外なく「他人には言いません」と答えますので、「では何故自分に対してそういう事をするのですか~?」と投げ掛けると、賢い方はそこでハッと気付かれる様です。

(^^✿

 

 

 

これは「皆一緒を良しとする」「特別を許さない」という嫉妬深い性格と価値観から生まれるのでしょうか、「自分を下げる事で、相手を上げる」という行為を好まれる方が実に多いのが、この独特の文化から育まれた多くの日本人の方達が持つ特徴なのですが、

 

でも果たしてそういう行為は、本当に意味の在る美しいものなのでしょうか?

(・。・;

 

…と言うのも、その表裏一体として、実はそういうものを好む方達というのは「相手を下げる事で、自分を高く見せる」という事も同時に好まれる方達でもあるという事なのですが、私達は自分の事になると、なかなかそういう事実が見えなくて「誰かから指摘されないと気付かない」という事が多い様です。

(・_・;)

 

あと日本人の多くの方に見受けられるものとして、「自分の事を自分で褒める人間を見ると、自分のコンプレックスを刺激されたと勝手に感じ、烈火の如く怒り出す」という人が、何と多い事!と私は感じます。

(◎_◎;)

 

確かに行き過ぎた自惚れや、無知から来る勘違いというものは、傍で見ていて戴けませんが、

 

私は自分で言おうが他人が言おうが、それが事実であるならば、「本当にそうだな~」と素直に思える人間なので、「他人から褒められる事は良いが、自分で自分を褒める事は傲慢だ!」と決めつける人が正直理解できません。

 

だって誰が言おうと「事実は事実」なのですからね~。

(・・;)

 

何故私がそういう価値観を持っているのかと言うと、私は本当の謙虚さとは、自分の事であっても、他人の事であっても、歪みのない眼で「事実を認める」という事ができた人だけが持てるものであると思っているからなのです。

☆_(_☆_)_☆

 

 

 

 

  (※カレンダーより)

 

自然には"頭で作られた不自然なもの"というものがありません。

時に優しく、時に厳しいのが自然のありのままの姿です。

☆_(_☆_)_☆

 

この水の流れの様に、各個人の個性をお互い"自然"に受け入れ、そして生かし合えたら、きっと素敵な世の中になるでしょうねぇ!

(^^✿

 

 

 

私達は「生きていてすみません」という為に生まれて来た訳ではないのです。

 

それぞれ唯一無二である自分にしか持てない個性を認め合い生かしながら生きる事で、色々な経験に感動し、そうしてお互いに切磋琢磨しながら魂を磨く為に生まれて来たのだと私は思っています。

 

「すみません」と生きる方達の内面は、実は本来持たないで良い"怒り"や"哀しみ"で一杯であり、その反動が「集団ヒステリー」とも言える社会現象を引き起こしている原因になっていると私は捉えているのです。

( ・・) ~ ★

 

ですので皆様、どうかまずは「ご自分を大事にする生き方」をされて下さいませ~☆彡

☆_(_☆_)_☆

 

それが表面的なだけの"偽善"ではない、お互いの才能を認め合う歪みのない世界=それぞれの個性が生かされ、お互いが真の幸せを感じられる世界を創る第一歩になるのですから…。

(^^✿

 

 

 

【参考過去コラム】

「すみません…」と生きるより、「ありがとう!」で生きた方が良いに決まっている♫

自分を許せば、他者を許せる様になる

 

 

 

これは余談ですが…。

 

日本に初めて来る多くの外国人の方達に取って耳慣れない日本語でも、街中でやたら良く聞く言葉として「スミマセン」や「スイマセン」がある様で、だから「エリカ、スミマセ~ン(スイマセ~ン)とはどういう意味?」と良く質問を受けました。(笑)

 

どこでも年中耳にするので、「su mi ma sen」は、彼らが「覚え易い日本語」の一つである事は間違いない様です。(笑)

(^^;

 

 

 

 

 

 

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舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ

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長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年