12月ですね。年々加速度的に1年が早くなっていくような気がします。
さて、依存的な人は、責任をとることを過剰に怖れていることが多いのですが、あなたはいかがでしょうか。
カウンセリングでも、「責任」ということがときどき話題になります。
最近考えていたのですが、それは、「責任感が強い」ということと、本当に責任がとれることとは別なのではないかということです。
私自身、ずっといい子のアダルト・チルドレンだったわけですが、子どもの頃から学校の先生に「責任感が強い」とよく通信簿などで褒められ(褒めだと思ってた)、自分でも責任感を誇りにしていたようなところがあります。
でも、ここには大きな落とし穴があります。
責任感が強いということは、他人の分まで責任を感じている可能性もあるのです。
自分と他人との境界があいまいになっていると、他人が責任をとるべき機会を奪ってしまうことがあるので注意が必要です。たとえば、子ども同士でケンカして相手を傷つけたときに、親が代わりに謝ってコトを収めようとするようなことです。
責任をとるとは、ダメージを与えてしまった相手にまず謝ること。そのとき、いくら悪意がなかった言い訳をしたくても、被害者にとってのダメージは変わらないので、何よりも「ダメージを与えてしまって、ごめんなさい」が最優先です。言い訳は自分を正当化しようとする保身の行為で、謝罪の効果を弱めます。直接謝れない場合は、間接的にでも謝意を伝えること。
謝ったあとは、できる範囲で精一杯フォローをすることです。相手の意向が聞ければ、なるべくそれに添うように。でも、無条件に受け入れる必要はなく、あくまで「できる範囲で」です。仕事のミスは、なるべく早い原状回復がひとつの目安になるでしょう。
最後に、再発防止に努めること。問題が起きた原因を考え、今後に向け反省し、何かしら行動を改めれば完了、言い訳をしたければ反省の弁として機会があれば触れるくらいでいいのではというのが今の私の考えです。
「謝罪して、フォローして、反省する」、と考えれば、そんなに難しいことも恐ろしいことでもありませんよね。
問題は、それができていない大人が多すぎて、子どもにとっていい見本が少なく、責任のとり方がわからないまま大人になってしまう悪循環が蔓延していることだと思います。
私も大人になるまで何かにつけて過剰に責任を感じていました。それは、責任のとり方を知らなかったため、実際に責任をとらされることになったらどうしようと怖れるあまり、最悪の事態に備えて保険のように先回りして備えていただけのことでした。
29才で未経験の法律事務を始めたとき、当時のボスに「あなたがたとえミスをしても責任はボスの自分にあるし、致命的なことにはならないから安心して」というようなことを言われて救われた気がしたものです。それくらい、責任やミス(失敗)を怖れビクビクしていたのです。
そのとき、失敗しても致命的ではなく、自分の役割のなかでできる責任をとればいいのだと知り、とても気がラクになりました。よく考えれば、私個人がとれる責任など限られています。真面目な人ほど、経営者でもないのに会社の責任を感じて辛くなっていたりしますが、一社員がそこまで責任を考える必要はないのです。
自分の責任をとるということは、実はシンプルで、とても清々しいことです。自分の責任がとれるようになると、精神的にかなり自由になれると思います。
このコラムの執筆専門家
- 藤井 雅子
- (東京都 / 心理カウンセラー)
- メンタルエステ ココロの部屋
カウンセリングはココロのエステ
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