Me商品が“家族”から子供を開放した!? - 住宅設計・構造設計 - 専門家プロファイル

野平 史彦
株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
千葉県
建築家

注目の専門家コラムランキングRSS

対象:住宅設計・構造

専門家の皆様へ 専門家プロファイルでは、さまざまなジャンルの専門家を募集しています。
出展をご検討の方はお気軽にご請求ください。

Me商品が“家族”から子供を開放した!?

- good

  1. 住宅・不動産
  2. 住宅設計・構造
  3. 住宅設計・構造設計
野平史彦の言いたい放題”家族論” 子供部屋って何だ!?
 日本人は世界で最も「物」を持っている国民である。1950年代の戦後復興機には白黒テレビ、洗濯機、そして冷蔵庫が三種の神器と言われ、それらを持つ事が生活の豊かさを測る指標となった。1960年代の高度経済成長期に入ると、それがカラーテレビ、クーラー、カーとなり、新三種の神器と呼ばれた。これらは一軒の家で、家族で使うものだから「ファミリー商品」と言われる。このように家庭電気製品はおよそファミリー(家族)向けに作られて来たものである。

 しかし、1979年、時代の変化を象徴する電気製品が誕生した。
それは、ソニーの社員が遊びで作り、誰も売れるとは思わなかったという「ウォークマン」である。これは当時爆発的なヒット商品となった。
このウォークマンの登場は社会の変化を示す象徴的な出来事だった。

 家族をターゲットとし、家庭電化製品と言われたファミリー商品の時代から個人をターゲットにした「Me商品」の時代が切り開かれた瞬間だったのである。

 なぜこんな話しを始めたのかと言えば、Me商品がその後、子供部屋をどんどん居心地の良い部屋に変えて行ったからである。

 ウォークマンはただ単に自分の好きな音楽を自分の好きな所で聞ける様になっただけに過ぎないかもしれない。しかし、それまでラジカセが何とかリビングにあったバカでかいステレオセットから開放してくれはしたものの、持ち運ぶにはまだ不便だった。それに、自分の好きな音楽を誰に遠慮する事無く、自分の好きな場所で楽しむ事ができる、それは実は、子供にとっては“家族”から自由を手に入れた瞬間だったのだ。

 その後、テレビゲームが発達し、小さいうちはリビングのテレビに接続して遊んでいたが、そのうち何処でも持ち歩けるゲーム機ができ、パソコンが普及して来ると、自分の部屋から世界中の情報を入手できるインターネットが生まれる。テレビは常に自分が情報の受け手であるに過ぎなかったが、ネットの世界は自分から情報を発信することができる。さらに決定的なのが携帯電話である。

 こうして子供部屋は、家の中を通過する事無く,直接外界と繋がる様になった。

 それまでの日本の家では、子供は、家族、家庭というフィルターを通して外界と繋がっていた。それがどんどん突き崩されて行って、子供はとうとう完全なる自由を手に入れたのである。

 Me商品の発達が“家族”から子供を開放してしまったと言えるのかもしれない。

(次回は、何故,子供部屋と言うのか,考えてみよう!)