相手を傷つけない質問の仕方 - 婚活全般 - 専門家プロファイル

橘 凛保
社団法人橘流恕学アカデミー 理事長 講師
東京都
マナー講師

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閲覧数順 2024年04月24日更新

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相手を傷つけない質問の仕方

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講習

教育のためのTOCと「恕」


国際認定プログラム2日目終了ですね

私は今年は所用で参加できずですが

ファシリテーターとしてアドバンストトレーニングの学びには

2日間参加させていただきました

毎回大事な気づきをいただいています


Category of Legitimate Reservation」という質問の仕方があります

これは是非とも学んで日常の中でも使うといいと思います

一種のコミュニケーション方法です

とかく私どもは質問するとき攻撃的になることがあります

そういうつもりはなくても そう感じるような場面に遭遇します

また人に伝える時もうまく伝わらないことがあります

思い込みもあります


CLRはまずは「効果的な質問の仕方」です

私どもがなんとなく思った事・考えた事を書くとき・述べるとき

後で読み直すと「あら?」 「ん?」と

「なんだかおかしいな」「なんだかすっきりしないな」

「この文章で大丈夫かな」

「この文章でちゃんと相手に伝わるかな」

という懸念が生じる事に気づきます

しかしこの懸念 よくよく考えると

そんなにたくさんあるわけでもないようなのです

ゴールドラット博士は 4つの懸念に集約されると述べています

そうなのですね たった4つに集約されるのならばなんとかなりそうですね
   
1つ目は明瞭性の懸念です
2つ目は存在の懸念です
3つ目は因果の懸念です
4つ目は十分性の懸念です



物事は原因があって結果がありますね

次の話を検証してみましょう

私はカンナの花を咲かせたくてカンナの球根をもらったとしましょう


自分はこの球根はカンナだと知っていますから

①「球根をもらった」と書いてしまいがちです

聞いた相手は「なんの球根なのかな?」とすっきりしませんね
明瞭性に懸念がありますね

「カンナの球根をもらった」これなら誰が聞いてもわかりますね
(明瞭になりました)

②「カンナの球根をもらった」結果として「カンナの花が人に元気を与えるように咲いた」
 
 「人に元気を与えるように」というのはその人の主観かもしれません
 (それが実際に存在しているか想像なのかの懸念です)

③「カンナの球根をもらった」結果として「カンナの花が咲いた」
この因果関係はなんだか変ですね

もらっただけではカンナの花は咲きませんものね

いきなり結果が何かを飛び越しているかもしれないですね

そうそう植えなければなりませんね

これでつながりましたね
カンナの球根をもらった」→「カンナの球根を植えた」→「カンナの花が咲いた」

因果関係がスッキリしてきましたね

でもまだなんだか????が残りますね

④そうそう 植えただけでカンナの花は咲くでしょうか
(これで必要十分な原因が揃いましたか

 「カンナの球根をもらう」→「カンナの球根を植える」
              「      」 →「カンナの花が咲く」
              「      
              「      

「植えたらその原因だけで 咲くのでしょうか」
十分な原因が足りなかったのですね

ここには他にも何か必要ですね

例えば「水をやる」「太陽に当てる」「肥料をやる」

これならカンナの花は咲きそうですね
(十分に因果が揃いましたね)


そして「この懸念を解消するための質問」の仕方が問題だと思います

質問時のイントネーショ

どういう心持ちで言うのか・・・

相手を信頼して分かり合おうとして言うのか そうでないのか

相手の顔を見て微笑みを忘れずに言うのか



結局はツールを学ぶことではないのだと思います

人間を信じ ともに歩む 

そんな心持ちで対峙することなのだと思います



人は善なのだと私は信じます

対立はないのではなく 

対立しても相手を信じ尊重しとことん話し合って歩み寄ること

相手の顔を見て その人の心に寄り添って話し合う


やはり「恕」なのだと思います


TOCの場では安全・安心があります

これはマナーと同じです

マナーのあるところは安心で安全です

そして美しいのです

美しいとは 安心感を与えると思います

マナーには美しい所作というのがあります

美しいとは人の心を安定させます


TOCをトレーニングすること

何度もなんどもこの質問の仕方を繰り返していくと

次第にこのような美しい心持ちになります

相手を攻撃するような心持ちは消えて

相手を尊重しようという気持ちが湧いてきます

お互いに想いを馳せあっていけるようになれば

その場は美しく対立は自ずとなくなっていくのだと感じます

「相手の身になる」これは難しいことです

頭ではわかっていてもなかなかできません

相手の身になったつもりでも間違うことがあります


だから孔子の弟子が孔子に尋ねた

「一生涯でただ一つだけするとしたらそれはなんでしょうか?」

その問いに答えて言った「それは恕ではないだろうか」だったのでしょう