今回も昨年末にご相談を受けた方からのご質問です。(※今回もコラムにさせて頂く事を心良く承諾して下さいました)
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【質問者様からのご質問】
大園様
こんにちは。お元気ですか?
あれから色々考えたりしてふと思うのは、私は自分自身の良し悪しが好きな人基準になってしまってるなぁと思いました。それを基準にするから足りてない感じもします。またこれが執着につながったりしてる気がします。職場関係では全く思わないから不思議です。
どうしてそうなるのか分かりません。また、どうしたら相手基準じゃなくいられるんでしょうか?大園様のアドバイス頂けると幸いです。
【大園エリカの返信】
こんにちは。
今回の「私は自分自身の良し悪しが好きな人基準になってしまっている」という所ですが、それは自分が好きな人の価値観に合わせてしまうという意味ですか?それとも彼への未練から、どうしても彼の様なタイプを求めてしまうという事でしょうか?
今回はちょっと言葉が足りなくて正しく把握できないので、もう少し詳しくご説明頂けると幸いです。
大園エリカ
【質問者様の返信】
大園様
言葉足らずですみません。自分が好きな人の価値観に合わせてしまうという意味です。
そしてその価値観を100みたいに見てしまう為、それに見合わない点を欠けている点として、自分を責めちゃう事が多いような気がします。
少し内観の上で気づいた事。それは欠けている点に意識を合わせて、それに気づくことにより、より理想に近づこうという自分が無意識にいるのかもしれません。
ただ自分を責めちゃうのはしんどいですね。結局のところ自分の欠点みたいなものを受け入れていないから、まだまだだぁみたいになっちゃうのかもです。
潔く自分の全てを受け入れたら!きっと解決につながるのかもしれませんね。
なんだか質問しておいて、自己完結的になってしまいました。笑
【大園エリカの返信】
そうそう、その様に自己分析をされて行かれると良いのですよ。
本当は個性には欠点というのは無いのですが、私達は生まれた時から社会と家庭に洗脳されているので、皆その外から植え付けらえた罪悪感から抜け出せないのです。そしてそれを突破するという事は、物凄い孤独感や孤立感を伴う作業でもあるので、凄く勇気が必要にもなりますからね~。
ちなみに個性というものは、それ自体がそれぞれオリジナル=完璧なのですから、本当は罪悪感など持たなくても良いのです。自分の個性を欠点と思った時に、人間は不幸を味わいます。
その為には、まず「自分が理想とする自分」というのを捨てる事が必要かもしれません。
「理想」などを掲げたら、不完全で未熟な私達人間は罪悪感しか持てなくなってしまうでしょう!(笑)
きっとあまりに彼氏が好きだった為に「彼の理想の彼女」というものに成りたかったのだと思いますが、実はそれもご自分が勝手に「彼はこういう人だろう」「彼はこう感じるだろう」「彼ならこう思うだろう」という勘違いで(本当の彼の姿ではなく、ご自分の願望というフィルターを通して)彼を見ていた可能性は充分ありますね。
でも「恋」とは元々そういうもので、そういう妄想の結晶作用を生むものを私達は「恋」と呼んでいるのです。(つまり「あばたもエクボ」というヤツですね?笑)
その彼に対する「あばたもエクボ」というものの見方の反面として、「自分を悪く見る」という事でバランスを取っているのだと思います。
ですので、最後の所で
「結局のところ自分の欠点みたいなものを受け入れてないから、まだまだだぁみたいになっちゃうのかもです。潔く自分の全てを受け入れたら!きっと解決につながるのかもしれませんね」
と言われた部分に、すでに的を射たお答えが出ている様に私は思います。
追伸
実はご自分がとても依存心が強いという事が、彼との関係性(彼の理想を自分の理想としてしまう=自分の中心が自分ではなく彼になっている)から分かりますか?
大園エリカ
【質問者様の返信】
大園様
個性には欠点ないの分かります。ただ、好きな人に自分の事を否定されるといい気はしないし、そこからなんだか足りてない自分というところに繋がる気がしました。(否定する彼にも彼なりの心の問題があるんでしょうね)
彼がよく、自分の理想みたいなのを言う人であったり、私が出来てない時にそれをいう事が多かったため、だんだんとマインドコントロール的に頭の中に染みついていったのかもしれません。もちろんそれとともに、彼の言い分を勝手に私のフィルターを通してみていたところもあると思います。
「"あばたもエクボ" というものの見方の反面として、『自分を悪く見る』という事でバランスを取っているのだと思います」は、おもしろい解釈ですね。でもなんだか分かる気もします。
今色々と書いていきながら同時に整理できてきました。やはり人は相手の理想の状態で居続けることはできないと思いますし、仮に1つ達したとしても、相手はまた違う理想を掲げてきてエンドレスな気がします。(彼みたいな人の場合ですが)
大園様が仰るように自分が理想とする自分というのは必要ないのかもしれませんが、少なくとも自分が好きな自分でいられる状態ってある意味理想的なのかなって思います。これが自分の中心が自分ってことですよね?
コメントありがとうございます。
【大園エリカの返信】
自分の中心を持った者同士だと、恋人関係含めて本物の素晴らしい人間関係を築ける様になりますけれど、「恋」とは相手を美化し過ぎて自分を見失うものでもありますからね~。
でもそういう情に流されて相手を美化し過ぎると、結局自分で自分を傷付ける事になるのです。
(「おもしろい解釈」という所に、一番ヒントが隠されている様に私は思います)
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大園エリカ
【質問者様の返信】
大園様
色々回答ありがとうございます。
いつも色々勉強になります。
色々なやりとりの中ででてきた、人は鏡の法則。
例えば、嫌味っぽいひとがいたらほとんどの人が嫌な気分を感じるのではないかとおもうのですが、それも、感じる側に嫌味な部分があるからってことですか?
ほんと奥が深く難しいですね。
また、人は鏡の法則についてコラムにして頂いたら読んでみたいです。
…と、以上が今回のご質問者様とのやり取りでございました。
(^^✿
…という事で、それでは彼女のご要望にお応えして、次回は「人は鏡」の法則というのをテーマにしたコラムを書いてみようと思います♫ (私にテーマを下さってどうもありがとう!)
☆_(_☆_)_☆
この犬の優しい表情が好き~♡
(*^^*) ~ ♡ ♡ ♡
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年