こんにちは、石川です。
今日は「会社でのあなた」を子難しく、哲学的に考えてみます。
あなたは社員50人くらいの会社の営業マンです。
あなたはこの暑いさなか、必死で飛び込みをして営業をしています。
なかなか売れない時はついつい愚痴も出ますが、今月はがんばって社内で2番目の成績でした。
あなたは、自分の力を誇らしく思いました。
これを読んであなたはどう思いましたか?
営業マンを自分に置き換えて「よし、がんばったね!」と嬉しくなったことでしょう。
では、少しここで見方を変えてみましょうか?
この人は「自分の力だけ」でこの成績を残したのでしょうか?どうですか?
朝、あなたが出社した時に、あなたに毎日挨拶をしてくれる受付の人
あなたが外回りに行っているときに、あなたあての電話を取ってくれて、メモを残してくれる事務の人
あなたが売り上げた契約の経理上の手続きをしてくれる人
そして休み時間などにあなたのくだらない話題をしてくる同僚
確かにあなたの力がないとこんな成績は残せなかったかもしれません。
ではあなた以外の人の力は全く不要であり、あなたには何の「恩恵」もなかったんでしょうか?
私は常に「人は他者とのかかわりの中で生きている」と私は考えています。
それは「生きること」は「不完全な自分というパズル」に、一つ一つピースをはめていく作業に似ていると思っているからです。
そしてそのピースは、他者とのかかわりの中でしか発見できないと思っています。
なぜならば「他者を寄せ付けないような自分」には、小さなピースを発見する心の余裕はない、と思うからです。
「他者を寄せ付けない自分」を私は「絶対的な(価値観に基く)自己」と呼んでいます。
その「絶対的な自己」だけで、自分自身を評価することは、結果的に、あなたが他者とのかかわりを排除することに繋がります。
その理由は上に述べた理由からです。
また、その「自己評価」を意識的にしている人もいれば、無意識的にしてしまっている人もいます。
人は不完全ゆえに、常にそういう「絶対的な自己」に傾くきらいがあります。
その方が楽だし、落ち着くからです。
しかし「その自己」はあなた以外の人からは受け入れられにくい特性がありますから、周りが見えなくなると、世間で言うところの「困った状態」になるのです。
そしてそれに気付かない場合もあるわけですが。。。
(ちなみにこれは私が「世捨て人化」していた20代前半に感じていたことですが、最近やっと文章化できるようになりました)
さて話をまとめましょう。
人は「どのようにして生きていっているか?」を私は「他者とのかかわりの中でのみ、生きている」と表現しました。
そして不完全な自己を実現することが「生きる」ことではないだろうか、と考えました。
そのたとえで、会社の例をだしました。
つまり「営業マンとして完全」であっても、その会社の中では他の従業員の人の支えがあり、それがあるからこそあなたは仕事が完了できる、ということでした。
つまり、他の従業員さんの心遣いこそが「ピース」の一片ではないか、という問いかけでしたね。
しかし、人は「自分だけが評価される」のが大好きですので(苦笑)、時々この原則を思い出すことを努力しないといけない、と思いますし、そうなってしまっていないかを無意識的に出来るようになれば、その人は「人生の達人」かもしれません。
生涯をかけてもその境地に立てないかもしれませんが、そういう意味では人生は常に修行であると思います、これはやや飛躍してますが(苦笑)
という哲学的なことを考えた台風一過でした。
ではまたお会いしましょう!