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中舎 重之
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稲垣 史朗
稲垣 史朗
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閲覧数順 2024年04月24日更新

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                  楼  閣   建   築

                  についての一考察




        金閣や銀閣は、室町時代の代表的建築として評価されて   

  います。それは次の時代の飛雲閣や、城の天守閣などにも     

  連なるものとして、重要な意味をもっています。

    金閣と銀閣は狭い意味での住宅の範疇には入りません。     

  それでも、住宅の建物としての意識にて作られているので     

  それらのもつ意味について考えてみます。


        重層の建築は、古くからあります。例えば、法隆寺に   

  ついてみれば、金堂、中門は二重であり、塔は五重です。     

  このような例は数多くあります。しかしながら、それらの     

  重層建築の上層は、人々が上に登って利用するための施設     

  としては、造られてはいません。       

   塔の内部は、上に登ることは出来ますが、構造材が縦横     

  に通っていて空間としては利用できません。       

    金堂や門の上層にしても、部屋として利用できる様には、     

  しつらえてはいないのです。


        平安時代の大内裏の棲鳳楼や、羅城門にしても、上層を     

  平生には用いられてはいないのです。何故なら、そこには   

  死人の骨が散乱していたとの記録があるからです。       

    すなわち、これらの重層の建築は「見上げるための高さ」     

  が必要な建築なのです。     

  人々が、高い所から四方を望むための「眺望のための高さ」     

  を持った建築でもないのです。     

  そこには、同じ様な楼閣建築であっても、建築自体がもつ   

  意味合いでは、格段の相異があります。


        金閣や銀閣のような、新しい意味を持つ楼閣建築は、     

  いつ頃から起こったのでしょう。     

  平安時代にも上層に仏像を安置した鳥羽南殿とか、二階の     

  釣殿とかはありました。また、金閣の前身にあたる北山第   

  の西園寺邸にも二階屋がありました。       

    いづれにしても、それらは特殊な例であり、一般的では     

  ありませんでした。


        室町時代の楼閣建築は、金閣や銀閣を始めとして多くの     

  例を挙げることが出来ます。だだし、その多くは禅宗建築       

  であるのが特徴です。 三門(山門)の上層に十六羅漢を   

  安置した寺は、東福寺、大徳寺、妙心寺などがあります。     

  法堂の上層に仏像を安置した寺は、東福寺と鎌倉の建長寺     

  があります。    

    もっとも多いのが、方丈などにある二階です。   

  例を挙げると、南禅寺雲門庵甘露法閣、東福寺待月楼など     

  があります。


        高い所にあがって、四方を眺めたいと思う気持ちは、     

  人々の自然な欲求だと思います。     

  古代の大宝令では、「個人的な建物では、楼閣を造るのは   

  よろしくない」と規定しています。     

  ですから、古代においては二層以上の建物は少なかった、     

  と思われます。       

    楼閣建築が数多く見られるのは、鎌倉時代の禅宗建築   

  からだと思います。これは中国大陸の文化の輸入と時を   

  同じくして、盛んになって行ったと推測できます。


        金閣と銀閣と共に、上層が仏堂風に造られ、下層が住宅     

  風なのは、方丈に造られた楼閣建築が手本と思われます。     

  次の時代には、西本願寺の飛雲閣や横浜三渓園で見られる     

  聴秋閣へと受け継がれて行き、さらには城郭の天守閣へと     

  発展して行ったのです。











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