京都:二条城二の丸御殿 1 - 生涯学習 - 専門家プロファイル

中舎 重之
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京都:二条城二の丸御殿 1

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          に じょう じょう     に     まる  ご てん         

       二  条  城 ・ 二 の 丸 御 殿






          京都市中京区二条通り堀川西入ル が住所です。
         


      慶長七年(1602)天下を平定後の徳川家康の         

      手により着工して、翌年にかけて完成しました。         

      同年三月初めて入城し、以来 徳川氏の支城として、         

      将軍家の京都における拠点となりました。         

      その後、伏見城の天守をはじめ多くの建物を移築して、         

      壮麗な城郭美を誇りましたが、数度の火災により         

      天守閣は喪失しました。         

      本丸、二の丸を合わせれば、約十万坪におよぶ         

      地域を占めています。











      城は、古今東西 どこの国にも、どの時代にも構えられた   

  ものですが、日本の城ほど、すぐれて美しく、優れて雄々しく、   

  洵に神々しい清姿をもった城はありません。
     


   今、二条城の前に立ちて思うのですが、立派な構えであり、   

  厳しい構えです。大阪城の豪快さはないが、なかなかに美しい。   

  大阪城の名を出したが、大阪城と比較するのは少々当たらない   

  かもしれない。   

  何故なら、二条城は軍事目的として築いた城では無いからです。   

  平和な時代の将軍家が宿泊する館です。公武双方の首脳者が揃い、  

  会合すべき外交の場でもあります。ですから、濠は深くもなく、   

  広くもなく、至極平穏でノンビリとした水の色です。石垣の石積   

  にも、四隅の隅楼にも、たいした威圧を感じません。   

  しかし、門構えは違います。閉ざされた表門を飾る鉄板の丈夫さ、    

  若い女性の乳房を思わしめる柔らかい円を描いた丸鋲の硬さ、   

  千万の軍隊と言えども、突破し得ざる門構えです。


    此の入り口の門で入場券を渡し、何気なく横文字の説明板を見ると、    

  説明にNijoCastleと書かれています。これをPalaceに置き換えたら   

  と考えました。欧州には、この種の性格を有したものがあり、   

  彼等には理解できると思います。日本ではPalaceは御所のみで、   

  後はCastleになります。二条城に関してはCastleよりもPalaceの   

  性格が強いと思います。


      そんな事を考えながら、もう一度城門を振り返る、その門の脇   

  の石垣に不思議なものを見つけました。大小様々な石で組み上げ   

  ているのですが、その中に薄い石、厚みが一寸とか二寸板程の石   

  を縦方向に巧みに嵌め込んでいます。良く見ないと見落す程です。    

  城郭の石垣と云えば、豪快で粗野なほど荒々しい男性的なものと   

  相場が決まっています。しかし、此の石組みは豪快とは無縁の   

  品とか、格とかを感じさせられるものでした。


      何の飾りも持たぬが、威風堂々たる土塀に沿って歩くと南向き   

  に、二の丸御殿の唐門があります。唐門は大きな唐破風を前後に   

  持った切り妻造の四脚門で、随所に彫刻を充填し、極彩色を用い、  

  飾り金具を使用して、洵に善美を尽くした堂々たる建築です。     


   冠木上には龍虎の彫刻があり、龍には雲水を、虎には竹と梅と   

  を添えています。これらは、古代から用いられいる手法です。   

  それから、牡丹の彫刻があちこちに配され、冠木上の牡丹には   

  揚羽蝶が飛翔しています。揚羽に限らず蝶は牡丹には来ないよう   

  です。牡丹には香りが無いのでしょうか。ですが此の組み合わせ   

  鎌倉時代の末からの流行みたいです。紅白大輪の牡丹に黒揚羽は、  

  かなり人目を惹き付けます。     

   飾り金具の使用は室町時代に始まり、桃山時代では一層激しく  

  なり、時にはうるさい程です。極彩色の所へ金色絢爛たる金具で   

  すから、とても美しいものです。   

  此の唐門は、一流の工匠の手に成るらしく、当代稀観の傑作です。


    唐門をくぐると、桃山時代の大書院造りが見えます。此の二の丸   

  御殿は慶長八年(1603)の創建の時、徳川家康が聚楽第の   

  建物を移したとか、寛永三年(1626)に後水尾天皇の行幸を   

  仰いだ時に、家光が伏見城の遺構を移して、御殿を拡張整備した   

  と言われています。聚楽第でも伏見桃山城にしても、桃山時代の   

  傑作として当時の人々からは広く認められているものです。     

   従って、伏見遺構であると云えば、桃山時代の代表作であり、   

  建築の優位性を示すものです。京都、大阪の寺院には、伏見遺構   

  と称せられる物が往々にして見受けられます。   

  二条城の位置と、家康の性情と政治的配慮から推しても、聚楽第   

  の建物を取り壊し、多くの用材を転用した事は有り得ると思います。


      二条城二の丸御殿は住いの建築としては、注目すべきものが   

  有ります。特に城郭内に残された事です。書院造りの遺構の多く   

  は寺院に付属しています。様式的に云えば、桃山時代の新しい   

  封建制秩序を示すものとして、大規模で新奇な形式の空間が造り   

  出された新様式です。     


   此処の書院は、玄関・車寄せを入ると、遠侍(とおざむらい=  

  警固武士の詰所)で、次に式台・大広間(将軍の表での対面所)   

  と連なり、渡り廊下である蘇鉄の間を経て黒書院(将軍の内輪の   

  対面所)に至り、更に廊下を渡り白書院(将軍の居間)と4種の   

  建物が、東南から北西にかけて、左後方へと少しづつ退がる、  

  いわゆる雁行型として建ち並んでいます。   

  此は庭園を主体とした建物の配置を示しています。

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