私は日頃、色々な方達の人生を拝見したり、人様から相談を受けたり、又自分の人生を振り返ったりして、痛切に感じる事があります。
それはどういう事かと申しますと、人生では「本当はこれがしたかった」とか「あの時、あれをしていれば・・・」「何故そうしなかったのだろう!?」「あの様な事をしなければ良かった」などの思いを、人は死ぬ時に残さない方が良いのだなぁという事です。《゚Д゚》☆彡
これは死ぬ時に「後悔しない」という生き方に通じますが、それはもしかしたら、どんなものよりも、とても大事な生き方なのではないかと、色々な方を通して思えて来るのです。_(_^_)_
良くお見かけするのが「私の人生は、何だったのだろう!?」と、年を取られて来て悩まれる方です。
その落ち込みは、時に「鬱」や「怒り」となって感じられる方、或いは「病気」という形となって表れて来る方も、きっと世の中には大変多くいらっしゃるのではないかと私は感じます。_(_^_)_
これは私の眼ですが、そういう方というのは、お若い時に本当の意味で「目覚めて」生きておられなくて、その時のご自分の環境に任せて、ただ無意識に "流されて" 生きて来られた方か、
或いは、ご自分の抱えるコンプレックスから、頑固に卑屈になって、ご自分を大事にしない「どうせ自分なんて」的な生き方をされた方か、
その反対に「自分さえ良ければ」と、自己中心的な生き方をされた結果、大事な何かを失う様な生き方をされてしまった方か、
もしくは、「人生楽しけりゃ、それでいいんだよ~♫」と、ご自分を誤魔化し、本当のご自分から「逃げて」生きて来られた方に多くお見受け致します。( ; _ ; )
いずれも、ご本人の中では「人生」というものを、(今、改めて振り返ればですが) 表面的にしか感じておられずに、日々の生活に追われてあまり深く捉えず、無自覚に、
でもご自分なりには一生懸命、その時、その時のバランスを取っておられたのかもしれません。
(※どなた様も「一生懸命生きていらっしゃる」事には変わりはありません) _(_^_)_
私が思うに、こういう「人生の虚無感」という感覚は、或る程度の年齢に近付いて来てからでしか、きっと気付けないものなのかもしれないですね。( ; _ ; )
どなた様も公平に、人生には「若い時」というのを頂くのでありますが、「若さ」とは或る意味、肉体が元気で「若さという美」に酔いしれる事のできる、イケイケの時期とも言えますから、
逆から言うと、もしかしたら人の痛みに鈍感で、或る種の「残酷さ」というものを持っているのが「若さ」というものかもしれません。(自分が若かった時を思い返しても、そういう一面は有ったと思いますもの!)
(^^;)
ですから、何とも切ないですけれども、人間は「老い」というものが無いと、謙虚になる事は難しい生き物なのかもしれないですねぇ・・・。( ; _ ; )
「老いる」というのは、もしかしたら、そういう役目もあるのでしょうか?
誰もが自らは望まない「老い」というものが、「今まで気付かなかったもの」に気付かせてくれてもいるのでしょうね、きっと・・・。_(_^_)_
私が感じる事なのですが、人生というものは、「今が楽しけりゃ、それでい~んだよ!♫」と刹那的に生きるというスタイルは、結果的にはやはり、一時しのぎのバランスでしかないという事であり、
それは「ご自分を大事にされていない」という事に繋がっているのだという事なのですね。
( ; _ ; )
色々な方の人生を観させて頂いて、私が実感するのは、そういう風に若い時を過ごされた方達の「老いた時」の心の状態を、拝見させて頂くからなのでしょう。_(_^_)_
そういう方は、ぶっちゃけ(下品で失礼!(笑) )、お若い時には良くても、お年を召された時には、あまり明るいお心では無くなっておられたり、ご病気で苦しい思いをされたりなさる方が多いです。( ; _ ; )
そういう事からも、やはり人間は人生のどこかで、真剣に「ご自分と向き合う」という事が無いと、どなた様も死ぬ時は「プラス・マイナス ゼロ」ですので、空虚な思いに苛まれてしまう様になっているのでしょう。
何故って、この世は魂を磨く「修行」の場ですから・・・。_(_^_)_
ですから逆に、お若い時からご自分の「使命」というものに気付いて、そういう視野で生きて来られた方は、老年になられても、心がお元気なのかもしれません。《゚Д゚》☆彡
「世間がそうだから、そうする事が当たり前」、或いは「誰かの言う通りに生きた優等生」という、"他人に中心を明け渡してしまう" という生き方をされて来られた方達とは、
或る意味「無自覚」な人生を送られて来られた方達であり、そういう方達が最終的に陥るそのお悩みの根には、私は共通のものを感じます。
それは、ご自分の人生を「生き切って来なかった」というものを、どこかでご自分にお感じになっておられるという事です。
( ; _ ; )
でもね、まだ落ち込むには早いです。
何故って、私達はまだ「生きている」のですから!(笑) (^^♪
ですので、これから「死ぬ時に、悔いの残らない様な人生」を、今からお始めになれば良いのです!(^^ ♡
人生は、生きてさえいれば(!?)、いつだって「遅過ぎる」という事はありません。
生きていれば、今から「やり直し」たり、「修正」したり、又「方向転換」だって、即!可能なのですから。
《゚Д゚》☆彡
私は、人の人生というものは「自分のしたい事をする為」にあると思うのですが、
大概それを阻止するのが、何故か自分を一番愛してくれているはずの「自分の親」であったり「自分の伴侶」であったりするのが、本当にこの世の不思議で皮肉な所ですね~!?(笑)
どうしてこの世は、「好きな事をして良い」自由を、お互いに与えないのでしょうか?
「これをしたら駄目!」と、生命力がしぼむ様な事を、何故愛する者同士でしたりするのでしょうか?
(この世の七不思議!?)
《゚Д゚》???
人間は、ご自分がしたい事を、自分に「止めさせた」と感じる人間には、恨みや憎しみを感じ、普段は遠い記憶として意識に上らなくても、深い所でそれは「怨念」となって、心の奥深くに巣食ってしまうものなのですね。
それは決して綺麗事に語れる事ではないのです。(^^;;
特に「やりたかったのに、○○にさせてもらえなかった」などというものがありますと、
その人は、ずっとその「やり切れなかった」思いが人生に付き纏い、自らご自分の人生をとても暗くしてしまっているという例を、私は何人も見て参りましたので、そう感じます。_(_^_)_
その位、人間とは「やり切れなかった」思いというのは、人生に悔いを残すものなのでしょう。( ; _ ; )
もし止めさせた相手が正しかったとしても、「本人がやるだけやった上で、自分から納得して止める」という形ならば、そういうものは起こらないはずですし、
又もし、結果は同じであっても「経験から納得」するのと「思考だけで、諦めさせられた」様な形とは、本人に取っては経験値として「天と地」の様な違いがあるのです。《゚Д゚》!!
又、ご自分が本当にしたいものができなかった方が「何故自分は、そういう運命だったのか?」というのは、それぞれその方の「因果」や「学び」でそうなっておりますから、一概に「こうだから、こう」という単純なお答えは出ないのですが、
良い事でも、悪い事でも、何にせよ、「ご自分が納得するまで、やり尽くす」というのが、一番良い「人生の生き方」であると、私は確信致します。☆_(_☆_)_☆
何故なら「学びには終わりが無い」し、又人間という者は「自分の体験から納得する」という経験で、初めて、本物の理解になるのです。☆彡
そしていずれは、今夢中になっているものからも「卒業」し、次の段階に進んで行かねばならない自然の学びは、絶えず続いて行くのですが、
その様に「生き切る」事から得られる経験が無いと、「卒業」が遅くなってしまうのですね。
ですので、もしこれをお読みになって、思い当たる方がおられたら、
たった今から「思いを残さない」様な人生を、すぐ始めようではありませんか!? (^^♪
(ご自分にできる範囲で構わないし、ご自分のペースでも構わないですから♫)
お若い方も、又そうでない方も、
「生きておられる内に、ご自分の人生の中心を、ご自身で取り戻し、心と身体を健康に・・・♡」
これが、私のお薦めする「人生の奥義」です。☆彡☆彡☆彡
☆_(_☆_)_☆
大丈夫!
今の所、太陽は、まだ毎日「新たな一日」をくれています!?(笑)
生きてさえいれば、いつでもご自分の人生を、ご自分に取り戻す事は可能です。☆彡
☆_(_☆_)_☆
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年