- 野平 史彦
- 株式会社野平都市建築研究所 代表取締役
- 千葉県
- 建築家
対象:住宅設計・構造
サミット会場となったウィンザーホテルには以前一度泊まったことがあるが、やはり折角の温泉地なのだから宇宙一の大浴場でのんびりするのがいい。
さて、北海道にひとつだけ白井晟一の作品があることを皆さんご存知だろうか?
若い世代の建築家にとっては過去の人かも知れないが、
僕の学生時代は建築を学んでいながら廻りは自然ばかりだったから、
北海道にただひとつだけあった白井晟一の作品には当時、非常に感銘を覚えたものである。
洞爺から少し足を伸ばしたところにあるので、今はどうなっているのかと気になって行ってみた。
ヒノキ新薬のルスツ山荘という、会社の研修施設である。
白井晟一がノアビルの前に手掛けているので、1973年頃の作品だと思う。
学生時代に最初に訪れたのが1981年頃で、
当時、楕円形をしたセミナー室を増築していて、
丁度、白井事務所の所員だった柿沼さんが現場に来ていて、
運良く中を見学させてもらう事ができた。
玄関を入ると白井作品としては以外と明るいロビーだったが、
吹き抜けに軽やかに浮いた階段を登ると、白井晟一らしい暗さの中に誘い込まれた。
そんな壁にさりげなく本物の中世のイコン(フレスコで描かれた聖母子像の板絵)が掛かっていたのを今でも良く覚えている。
それが、今、どうなっているのか、数えてみるとあれから27年ぶりということになる。
流石にもう使われていないのではないか、という危惧を抱きながら行ってみると、
そこには昔と変わりない姿のままでそれは建っていた。
「関係者以外立ち入り禁止」の札を横目に玄関先まで車を乗り入れたので、
勝手口からすぐに初老の管理人らしき人が出て来たが、
「白井先生の作品が今どうなているのか気になってちょっと立ち寄らせて頂いたのですが、」
と言うと、彼はニコリとして
「どうぞ外観だけならお好きに見て行って下さい」
と言って、優しく応えてくれた。
僕は良く整備された庭の中を巡りながら、今でも全く古くささを感じさせず、
昔と何も変わりなく良くメンテナンスされている建物に見入ってしまった。
白井晟一はこの建物の後、その最高傑作となる親和銀行本店や松濤美術館、石水館などを約10年間の内に手掛け、亡くなるが、
モダニズム建築の多くが寂しく朽ち果ててゆく中にあって、彼の建築はいつまでも輝き続けて欲しいと人に思わせる、何か宗教建築にも似た普遍性を持っている。
僕らも一生の間に、それほど多くの作品を残せる訳ではない。
しかし、ほんの小さな住宅一軒でも、長く人に愛されるものを造る事ができれば幸せである。
そんな想いに浸りながら北海道の唯一の白井晟一の世界を後にした。