日本人は良く「個性が無い」と言われます。
多くの日本人の方には「その自覚は無い」というのが現状ですが、特に外国の方達から見るとそう見える事が多い様に思います。
それは多分、何か判断しなくてはならない時に「相手の事を先に思う」という気遣い文化から来ている様に私は思うのですが、それが果たして「本当の "気遣い" なのかどうか?」というと、私は少し違うと思います。
日本人のそれは、一見相手の事を気遣う様に見えるけれど、根にあるものは「相手から嫌われない為」「相手から何かを得ようとしている為」という、主体性の無さから来ている「自分の為の気遣い」だったりする事の方が大半の様に思えるからです。《゚Д゚》!
とても人に気を遣う日本人の方に多くにお見受けするのは、そうなさる方が「本当に相手の事を思い遣った時の喜び」というものが感じられないというのが正直あります。(^^;
つまり「相手の為に、自分が我慢をしている」というものを感じるので、こちらにはその窮屈さや不自然さというものが伝わって来るからです。(; ̄O ̄)
(ですので、ぶっちゃけ(下品ですみません)本音にそういうものを持たれた "なんちゃって気遣い(!?)" は、私は要りません) _(_^_)_
大概そういう偽善的気遣いの方に共通するのは、いつも精神的に疲れていて(当然そこから身体も疲れ易い)、表向きは「善い人」に見えますが、身内の者にはとても不機嫌であったり、又人嫌いであったり致します。
偽善から来る我慢は、結局ご本人も周りを不幸にしていて、何も良いものを生みません。(・□・;)
偽善的に良い人ぶっても、人間という者は本来、とてもエゴで我儘な生き物なのですから、嘘は長くは持たないものなのです。(; ̄O ̄)
ですので、元来その様に我儘な私達が「我慢」をする時はどういう時かと言うと「相手から何かを得たい時」以外は有りません。《゚Д゚》!!
(その得たいものは、物質的なものであったり、精神的なものであったり致します)
その我慢が、自分の為では無く「家族の為」であったりする場合もありますが、結局そこに「奉仕からの喜び」というものの無い「我慢」の場合は、最後はその守ろうとした家族に「私はお前達の為に、こんなに我慢しているのだ!!」と、怒りをぶちまけたりするのですから、やはりその「我慢」の結果は宜しくはありません。
そういう方は「家族の為」と言いながら、やはり「ご自分の為の家族」というエゴが強い面は否めないのです。(人間が不機嫌になる原因は、全てこの業やエゴからですから)
前置きが長くなりましたが、それでは今回のテーマ「自分を持つ事」と「傲慢さ」をどこで見分けたら良いか?というお話しに参りましょう。(^^♪
ご自分を持つというのは、「自分はどうしたいか?」「自分がどう成りたいか?」というものを、ご自分で明確に持つ事です。
ところが、この「ご自分の自己責任で考える」というこれが、一番日本人が苦手なものなのですね~。
多分それは「自分がこうしたいというのを持つ事は、我儘」という、間違った思い込みが何処かにあるのでしょう。
そうして自分を押し殺し、相手に合わせる事を覚えて行く結果、人の意見に依存するご自分が育つ訳です。
これを「無個性」と申します。_(_^_)_
では、相手の事はどうでも、ご自分のやりたい事や意見を押し通せば良いのでしょうか?
はいはい、その様に極端に走る思考も良くありません。(笑)
どこからが「自分を持つ」で、どこからが「我儘なのか?」の答えは、
「自分に対して」と「相手に対して」、ご自分がしている事に「矛盾がないか?」がバロメーターになると思います。《゚Д゚》☆彡
どういう事かと申しますと、
ご自分が「こうしたい!」と思う様に、相手にも「こうしたい!」と思う意思がある。
その相手の自由意思を、ご自分と同じ様に大事に尊重できるか?という事です。《゚Д゚》☆彡
もし「自分は良いけれど、相手は駄目」というならば、あなたは「傲慢」な方です。
又「自分が我慢しているのだから、あなたも駄目」というのも傲慢です。
そして「自分は駄目だけれど、相手は良い」というのは、一番の曲者です。
何故なら一見、とても良い人を装えるからですね~。(^^;
でもこの場合、あなたは「ご自分を蔑ろ」にしている事にお気づきでない。
ですので、ハイ!これも、実はご自分を大事にしていないという、もしかしたら一番傲慢な方のされる行為かもしれません。 ( ̄▽ ̄;)!?
「自分を持つ」というのは、ご自分の中からの素直な欲求に正直である事です。
その場合、それと同時に「相手も自分と同じ思いを持つ」という事に、深い理解を持てる方が本物であると私は思います。 ☆_(_☆_)_☆
そういう理解をお持ちでない方が「自分を持つ」と、その行為は自分の事しか考えない「我儘な人」になるのではないでしょうか?
ご自分にも相手にも、矛盾の無いものをお持ちの人間同士でしたら、もし意見が違う場合でも相手への尊重がありますから、決してお互いネガティブな感情は生まれないはずですし、相手の我儘も、自分が我儘と知ればこそ、許せる訳ですし・・・。
ですので意見の相違はディスカッションして、その時、その時に「一番良い」と思われるバランスの良い結論を、お互いで考えて行くのが、本当に良い人間関係なのだと思います。
これは、どんな人間関係にも当てはまる事です。
その様な "本物" の「自分を持った」人間同士のお付き合いでは、お互い不自然な行為や我慢が無く、お互いありのままの正直な自然体の自分でいれますから、最高の家族関係や友人になる事がでできるでしょうね~♫
(^^ ♡
先日撮れた写真♡
空に桜が咲いたみたい!? (^^ ✿
あ、ちょっと・・・ではなく、物凄い季節外れですね!? (笑)
私の眼から観て、「日本人の言う "友人" て、一体何だろう?」と感じる事が正直あります。
一見、相手の事を気遣っている様に見せている "疲れるお付き合い" を「わざわざ、何故されるのかな~?」と不思議に思う事も多いかもしれません。(こういう関係は、特に見栄っ張りな女性に多いかも!?) (^^;
このコラムの執筆専門家
- 大園 エリカ
- (東京都 / クラシックバレエ教師・振付家)
- 舞踊家(クラシックバレエ) 元プロバレリーナ
natural & elegance
長年プリマとして国内外で活躍。現役引退後は後進の指導とバレエ作品の振付けに専念。バレエ衣裳や頭飾りを作り続けて得たセンスを生かし、自由な発想でのオリジナルデザインの洋服や小物等を作る事と読書が趣味。著書に「人生の奥行き」(文芸社) 2003年