【最幸ビジネスモデル】友達が一人も。 - 新規事業・事業拡大全般 - 専門家プロファイル

星 寿美
プラウドフォスター株式会社 代表取締役
東京都
経営コンサルタント
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【最幸ビジネスモデル】友達が一人も。

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 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.7 No.0714
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私は子どもの頃、
友達が一人もいなかった。

あの頃、
友達がいないという事実よりも

 ・性格に問題があるんじゃないか?
 ・何か原因があるんじゃないか?

というような
周りからの無言の評価の重圧が嫌だった。

また、思春期の頃、
ある事件に巻き込まれた時に
私自身は一度も被害者だと感じていないのに
周りの人が私を「被害者」として扱う事が
事件そのものより、ずっと嫌だった。

そして今。

子どもの頃、友達がいなくて
本当に良かったと心から感じている。

理由はいくつかある。

以前、メルマガに書いた
「淡水魚が海で泳いでいた」という感覚。
私の感性と同じ人は、
私が生まれ育った池にはいなかった。
だから、無理して合わせて友達でいる事はない。

そのおかげで
私は「外側」から観察するという術を身につけた。

外側から
社会のしくみや、人間の心理などを
感じていた。

 子どもだったので、
 まったく言語化はできない。
 言語化ができない苦しみはいつもあった。

 言語によって正しいとされる事で
 私の感覚はいつも殺されていたから。

 だから、正しいとか間違いとかではない、
 という感覚も得る事が出来たので
 いろんな意味で、
 自分にとっては、
 本当にいい事しか起こっていない。
 
友達がいない、という外側の現象ではなく、
それによって、私に必要な体験を得る事ができたからだ。

 どんな事にも、それは当てはまる。
 環境や状況は関係がない。
 それによって、
 何を体験するかという部分が大切。

 多くの人が
 あんな事があったから、今の自分はこうだ、
 的な「いいわけ」に使っている事が多いが
 本当は「いいわけ」じゃなくて
 自分にとってプレゼントなのだ。

また、
被害者として扱われる事に苦しみを感じる、
と言う事は
私自身が「被害者意識」がない事を意味する。

 この被害者意識はくせ者で
 ひとたび、持ってしまうと地獄の道(笑)
 自分をコントロールする力を失い、
 すべて他人からコントロールされる奴隷人生が始まる。

 自分の選択を放棄して
 他人や環境のせいにするのが被害者意識
 だから当然だ。

外側の現象は関係なく
いつでも自分で選択できるし
自分で創造して行けるのが自分の道。

この感覚は
10代の頃、世間様にはまったく通用しなかった。

正や悪。幸せな人と可哀想な人。
そういう2元対立の「大前提」の中で
いつも私の感性は「無」とされていた。

そして、社会で生きる為に
懸命に「大前提」に合わせて生きていた。

言語化が難しかったので
2元対立の世界で非常に苦しんだ。

けれど、
いま、その「自分」そのまんまで生きている。

子どもの頃や、
10代の頃に出会えなかった
魂が共鳴する友人たちと出会い
自分の感性で心地よく暮らしている。

この心地よさは
人生前半が苦しかったからこそ感じられる。

(もし、それが当たり前だったら、
 それも空気のように、当たり前だから)

何もかもが素晴らしい体験だ。

そして、今。
ずっと持ち続けた自分の感性は
もはや、自分のモノではなくなっている。

自分が属する大きなものの一部に
溶け合っている。

もし、
社会の中に占める多くの「大前提」に
巻かれてしまっていたら
この感覚には出会えなかった。

そりゃそうだ。

大前提と言う常識は
2元対立や、
言語で説明できてしまう事柄で
成り立っているのだから。

感性が共鳴できる、
多くの友人たちと出会い、
思いのほか、たくさんいる事を知り
満ち足りた感覚に包まれている。

現象(状況や環境など)に捉われず
自分自身(それはもはや自分ではない)
そのもので生きる。

その感覚を得る為に
現象の中にどっぷり入って
体験していたのだと今、感じている。

友達がいないと恥ずかしいとか
大人になったら本当の友達はできないとか
子どもの時にしか体験できない事があるとか

いろいろ言われているが
そういう意識が
大前提の常識というものたち。

人間は何歳になっても子どもそのものだ。
だから、自分を大人だと思う人ほど
子どもから学べばちょうどいい。

 保育士をしていた20代の時から
 私には
 大人と子どもの区別が
 体の大きさや、衰えなど(?)
 という以外に見つけられないでいる。

現在、
子どもの純粋さを持っている大人たちと
面白くプロジェクトを進めて
地球で大暴れしようと企み中。

 明日は、
 子どもの頃、友達が一人もいなかった私が、
 魂が共鳴し合える友人たちに出会うまでの
 プロセスを振り返ってみようと、
 いま、ふと感じたのでチャレンジしてみる。

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■今日のまとめ

人間は何歳になっても子どもそのものだ。
だから、自分を大人だと思う人ほど
子どもから学べばちょうどいい。

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